湾岸戦争・板垣・大隈問答
執筆者:伴 正一【元中国公使】
亡き父親の遺稿の中に「湾岸戦争・板垣・大隈問答」がある。12年前の湾岸戦争を素材にわが先哲「板垣」と「大隈」の二人に戦争の在り方を語らせたシリーズである。戦争の起こし方、そして止め方、さらには戦後工作。感情論だけで戦火を開くととんでもないことになる。そんな戦争論を分かりやすく展開している。ブッシュ・ジュニアにも読ませたい論考だと思う。読者のご批判を請う。続きを読みたい方はhttp://www.yorozubp.com/sakigake/をご覧あれ!
一、はじめに
(司会)
中東の風雲も、地上戦百時間でケリ、イラク軍がこんなにあえなく潰え去るとは思いませんでしたね。あと二十四時間もやられたら、フセイン大統領の、すくなくとも政治生命は断ち切られていたでしょう。 その鮮やかな対照が攻撃側……。疾風の進撃、圧勝、しかも、まだいくらでも追撃できるところを思い切りよく鉾を収めた。主力だったアメリカ軍、そしてアメリカそのものの声望がいっきょに高まった。もうアメリカのリーダーシップは認めるも認めぬもない、冷戦の幕が下りたあと、これからの世界新秩序は、アメリカのリーダーシップ抜きでは考えられないところまで現実がきている。 さあ、そこでここが思案のしどころ、この現実は、世界全体のために喜ぶべきことなのかどうか。今回は、去年の八月からこの春までのアメリカの行動をたどり、リーダーたるの資質が充分かどうか、突っ込んだ討議をしていただきます。
二、アメリカはなぜイラクの暴発を抑止しなかったか
(司会)
まず事件の勃発から見ていきましよう。大隈さんどうです。
(大隈)
イラクがクウェートに進攻準備をしていた段階で、アメリカはそれを察知できなかったのかなぁ。その能力は十分あつたはずなんで、ウッカリしていたなんてのは言訳にならない。知っていて警告も出さないでいたなら、もっと由々しい問題だ。イラクが手を出すのを、待ち構えていたことになる。アメリカには、どうもそんなところがあるもんだから気になるんだ。 太平洋戦争のときも、日本に先に手を出させて、国内の戦争反対論を雲散霧消させ、一挙に、世論を戦争一本にまとめ上げてしまったフシがある。タチが悪いよ
(板垣)
大隈さんのいわれるように、イラクの軍事行動発動前から、アメリカのトップがイラクをやっつける肚を決めていたとなると、弁護はかなり苦しくなりますね。地域覇権を目指して突進するイラクが、アメリカにとってあつらえ向きのタイミングで先に手を出した、ということになる。
(大隈)
たとえフセインの性格がどんなに異常だったとしても、おとり捜査みたいなのはいけないよ。それにしても、この点の詮索をどの国もそれほどしないのは不思議だ。アメリカのリーダーシップを認めるにしても、そのクセはクセで知っておく必要があるよ。
(板垣)
ちょっとそれた話で申訳ないですが、イラクがクウェートを占領したあと、何度か国連決議がありましたよね。最後は十一月、クウェート撤退の期限をつけ、それに従わなければイラクヘの武力行使を認める、というきついものでした。その時点だと、もうアメリカの肚は決まっていたのだと思います。フセインも、そして海部さんもわが外務省も、そこいらを読み切れなかっただけのことで、読み切れなかったほうがどうかしている、と私は思います。だって、世の中で、駆け引き上、こんなことはよくあることじゃありませんか。ある時までは本気で交渉をまとめようとしてやっているが、それからは決裂の肚を決めてかかる。相手が呑めないことが分かっていて、難しい条件を持ち出す……。
(大隈)
ホンネの話としては合点がいくが、表面に持ち出したらそう簡単にはまかり通らんよ。というのは十一月のあとの国連総長やフランスやロシアの動きは、泳がされたに過ぎないことになってしまうからだ。べーカー国務長官の動きもあれは一体何だったのかと、攻め立てられたら弁解は苦しい。肚が決まるのと、最終の決定にはズレがあるんで、肚はきまっていても相手の出方次第で最後のドタン場で和平に戻ることはありますがね。
(大隈)
外交交渉の機微だ。こうなると、いい悪いではなくて、どちらが役者が上かという話になるんだろうね。真珠湾攻撃直前の日米交渉が思い出される。
三、アメリカの派兵と「国連軍」
(司会)
ところで事件発生直後のサウジ派兵。アメリカの過剰反応だという批判がとくに日本では多かったようですが。
(板垣)
そのときは私も、なんであんな大兵力が、と思いましたが、あとで考えてみると、タイミングといい、兵力といい適切、適量だったと思います。あの時のイラクの勢いを押し止めるには、あれくらいやっておく必要があった。軍事的にひ弱い近隣の国々に、アメリカの並々ならぬ決意を分からせるためにもです。なにしろイラクは五十万人の大軍、しかもイランとの実戦で鍛え上げられているんですから、サウジの五万人なんか、イチコロですよ。
(大隈)
近隣の国にアメリカの決意を分からせるのだったら、一万人か二万人の兵力投入で十分だよ。いわゆるプレゼンスの威力がものを言うんだから。そうしておけば本当の意味で和戦両様の構えになる。 ところが、十万人もの派兵をすると、身の構え方がすっかり戦争の方に傾いてしまって、何もせずに引き揚げるのがいかにも不恰好になる。戦争にならないとアメリカの見通しが狂っていたみたいで物笑いのタネにならないとも限らない。
(板垣)
それも分からないではありませんが、兵力の小出しというのは、いいようで大きな災いももたらす。フセインが北ベトナム気取りで、本当に攻めかかって来たらどうしますか。 多国籍軍であろうと国連軍であろうと兵力の損耗を最小限に収めるには、一見ムダに見えても最初から大兵力で立ち向かうのが一つの秘訣だと思いますよ。
(司会)
湾岸戦争の中には、これから先の教訓になる個所がずいぶんありますね。今年は真珠湾攻撃五十周年でもあり、戦争開始論議だけでも話はつきないと思いますが、今日は総ざらえの日ですから、先を急いでつぎのテーマに移ることにしましょう。 アメリカはなぜ国連軍に関心を示さないのか。また、そういうアメリカの無関心を放置していいのか。
(大隈)
そりゃアメリカの身になってご覧なさいよ。作戦・用兵の上で、多国籍軍のほうがずっとやりやすい。圧倒的主力が米軍で、その米軍は大統領が思うように指揮できるのだから。なまじ国連が介在し、安保理、さらにはその下にできる軍事参謀委員会にまで容喙されはじめた日には、機密は漏れるわ、作戦のタイミングは外れるわ、たまったものではない、というのがアメリカの首脳や軍幹部の実感だろう。無理からぬことだ。戦争は命懸け、ちょっとのミスで何千人もの人命が吹っ飛ぶのだから。
(板垣)
だけど、それをいっていたらいつまでたっても国連軍はできませんよ。 そこなんですよ、踏んぎりの必要なのは。世界のリーダーとしての統率力を問われるのは。 ところが残念なことにいままでのところ、米軍が圧倒的主力だからといって、米軍の作戦・用兵の都合ばかり考え、国連軍では戦争にならない、の一点張りみたいですね。去年十月ごろにあったロシアからの提案、国連軍を創れという提案も無視してしまいました。
(大隈)
難しいところだ。このままでいくと世界の安全保障は、やっぱりアメリカということになって、国連は浮き上がる。国連軍創役の動きも見えないような国連なら、どの国だってあてにしない。イザというときに備えて、直接アメリカに守ってもらうことを考える。実質アメリカ、形式多国籍軍方式の方へなびいていくだろうね。そうでないと、安心して軍備の削減なんかできぁしない。 世界のどこへでも、たちどころに大量派兵のできる力が、今のところアメリカにはある。そしてアメリカにしかない。これは厳粛な事実だもんな。
(板垣)
しかし、はたしてアメリカに、これからさきもずっと、一国で世界の安全を請け負う用意があるのかどうか。アメリカが主力ではあってもアメリカだけではない。という構成の、恒久的な国連軍をもっと真剣に考え始めるべきではないですか。思い通りにならないことがあっても、そこは我慢するしかないのだという見極めをいい加減でつけないと、構想は前に進まない。 たまたま湾岸では大勝を博し、いまのところアメリカ軍も国民も意気軒昂ですが、いつまでそれが続くか。アメリカ国民だけが持っている(といってもいい)使命感、そしてそのために血を流す気概、これを世界新秩序へのエネルギーとしてつないでいくには、アメリカ国民の士気の高いうちに、将来のことを考えておく必要があります。士気を長続きさせるにも、背中の荷物(出血の負担)をできることなら軽くしておく配慮が必要。その深慮・遠謀が、いまこの時期に切に望まれる。強大な軍事的ライバルが姿を消そうとしているこの時期にです。
(大隈)
君のいっていることはいちいちもっともだ。しかし、同時に、多国籍軍の長所、短所をじっくり研究し、この方式でシステムを構築するのも一案ではないか。アメリカが主力ではあってもアメリカだけではないというのだったら、多国籍軍だってそうじゃないか。また多国籍軍だって国連をまったく無視はしない。国連から安保理決議というお墨付きをもらって動いたじゃないか。何といっても、アメリカの嫌がるものを押しつけるわけにはいかないよ。一番血を流すはずなのは、アメリカ人なんだから……。
(板垣)
ちょっと待って下さい。そのところなのです、問題なのは。アメリカが嫌がるから、で投げ出す手はありませんよ、こんな大事なことで。アメリカに向かって問題提起をすることが、大切じゃないんですか。それが問題提起はおろか、日本人同士の議論までやめてしまうなんておかしいですよ。いやがるかってことだって、どの程度いやがっているか、当たってみなくてははっきり分かりませんよ。
(大隈)
議論はこうしてやっているじゃないか。前回の討論も国連軍か多国籍軍か、という内容だったし、国連軍論議は続けるという合意がその時の結論でもあった。僕の方でもつぎの機会までに、多国籍軍のメリットを理路整然と説明できるようにしておくが、ここで一言いっておきたいことは、国連軍方式でやっていたら、湾岸戦争のあんな軍事的成功は、覚束なかっただろうということだ。
(板垣)
それは私も否定しません。ただ私の方も一こといわせてもらうと、一つ惜しいことをした。私がブッシュ大統領だったら、作戦完了、撃ち方やめ、となった時点で、子どものままごとみたいだといわれるかも知れないが、十カ国近い多国籍軍を国連軍に編成替えしようとしたでしょうね。こうして、たった数週間でもいいから、アラビア半島に残留する三十万人、四十万人の大部隊を国連安保理の管理下におき、軍事参謀委員会の指揮を受けさせたでしょうね。 数え切れないくらいの任命行為が必要になる。戦時に準じた形で命令が伝えられ、報告が上がり、伺いが立てられる。そうすれば実験的に組織体をこしらえ、どんな具合に血が通っていくものか、よく観察することができたでしょうよ。形だけとはいっても、史上初の国連軍ですから、その誕生にあたっていろいろなゴタゴタも起こるし、難しい課題も浮上する。けれども作戦は終わっているんだから、そんなことは試行錯誤のいい材料にこそなれ、戦局全体の命取りになることはない。 こうして国連軍の試運転をやっておいてご覧なさいよ。それから先の国連軍論議がどれだけ地についた、現実味を帯びたものになりえたか。 湾岸戦争はアメリカの大成功だといえますが、勝って兜の緒をしめよ、遠く世界の将来を考えての布石まで、配慮は行き届かなかった。
(大隈)
確かにそれはやってみる価値があったな。アメリカの威信が絶頂期にあった。その時だったらやれたよ。海部さんがそれを進言でもしていたらなぁ、ブッシュも日本を見直したろうに。
(司会)
モノとカネ、汗と血、そのほかにも英知というかソフトでの貢献という際限のない分野がありますものね。