執筆者:美濃口 坦【ドイツ在住ジャーナリスト】

冷戦時のヨーロッパでは、共産主義を独裁体制と見なし敵対視する反共イデオロギーが強かった。当時、また今でも共産主義はその前の時代欧州を席捲した右のファシズムと束にされて「全体主義」と呼ばれる。この独裁体制を悪とする思考は、当時ソ連の軍事的脅威と結びついていたのはいうまでもない。また共産主義・反対の理由は、この体制が個人の基本的権利を平気で踏みにじったり、不法行為をいとわなかったりするからである。共産主義は非人間的不法体制であり、これと対決することが、彼らの「冷戦」であったことになる。

希薄だった「冷戦」感覚
戦後日本では、「冷戦」をこのように「不法な独裁体制vs民主主義的法治国家」と見る考え方は本当に弱かった。冷戦の最前線国家・西ドイツで暮らした私は、この点で自分が日本人だなとよく思った。
共産主義独裁体制の犯罪的側面が、日本人に、特に左翼と呼ばれる人たちにとって死角に入って見えない、ピンと来ないことであったのも、「冷戦」を欧米人のように感じなかったからである。現在拉致問題に関して「力不足を心から謝罪」し、肩身の狭い思いをする政党もその一つの例である。
でも反対に左翼でなく、外国をはじめから悪いと思う「右」傾向の人々は、今回愚かな誤りをおかさなかった。でもこれは、自分以外の「人間は皆悪い」といっていて、近所で犯罪が起こり、「俺が正しかった」と自慢しているだけである。
西欧社会での北朝鮮のイメージであるが、いうまでもなく不法行為も辞さない共産主義・独裁体制国家である。私がはじめてこの国の悪い評判を聞いたのは七〇年代のはじめ頃だった思う。当時のドイツの雑誌で、北朝鮮外交官が自分の立場を利用して麻薬やその他の密輸をしたという記事を読んだ。「外交官特権」は国際社会で伝統ある規則である。これを悪用するこの国に、私は仰天した。その後、北朝鮮の不法性を報道する記事を、私は何度読んだことか。西欧では、北朝鮮は他の共産主義国家と比べて野蛮で特に後進的であると見られ、「石器時代共産主義」というあだ名が流布している。
ドイツで拉致事件の報道が地味だったのは、よその国で起こったこともあるが、「石器時代共産主義」ならそんな悪事をしても不思議でないと、この社会があまり驚かなかったからである。また冷戦下、地続きの欧州では諜報活動も盛んで、その最盛期「拉致」も何度かあったことである。
こう見ると、北朝鮮が拉致を認め8名の拉致被害者の死亡が判明したとき私たちは憤慨したが、この憤慨の強さの一部は、日本が地続きの国でなく、外国が自国民に悪いことをすることに慣れていなかったからではないだろうか。
これは、日本が幸運にも「冷戦」を肌身に感じないで済ますことができたことでもある。日本の首相が北朝鮮による拉致を「神隠し」と呼んだが、この文脈でヨーロッパの政治家の口から、このような風流で古風な表現は出て来ないと思われる。この表現も、私たちの希薄だった冷戦感覚と無関係でなく、その結果拉致事件を国際政治という文脈でとらえる意識があまり強くないことを物語るのではないのか。

独裁体制国家とのつきあいかた
北朝鮮は厄介な国である。普通厄介な人に近づかないほうがいいのであるが、国際社会で隣国となるとそうはいかない。とすると、問題はこの不法な独裁体制の国家とのつきあい方になると思われる。
私はドイツで暮らし「洗脳」されているせいか、冷戦時の西側、特に西ドイツの共産圏とのおつきあい、「東方外交」を思い出す。当時の政治家には、おつきあいする相手が法治国家でなく、犯罪的傾向があることも、またそれが早急に変わらないことも、絶えずわかっていることであった。彼らは「和解」とか「友好」とかを口にし、相手をおだてながら、自分はそんなコトバに惑わされず、現実的で醒めているところがあった。
また彼らには、どこか犯罪性癖のある人の更生の世話をするソーシャルワーカーや教会の神父のようなところがあった。
現在、中国を訪問するドイツをはじめヨーロッパの政治家は中国人に人権についてお説教をしてから、経済交渉にはいるのが長年の儀式になっている。これは、お説教をした後、お布施を求める教会の神父に似ている。こんなことは、日本の政治家にはできない。とするとソーシャルワーカーのほうが日本人に向いていると思われるが、怒りっぽい人、もっと正確にいえば怒ってみせるのが好きな人には、この仕事はつとまらない危険がある。 日本には、共産主義独裁体制の「国家犯罪」の凄まじさを理解しない人が多いのではないのだろうか。日本の新聞を読んでいて、この印象を私はもつ。
北朝鮮のした拉致は「国家犯罪」である。ところが、原則として「国家犯罪」はその独裁体制が崩壊しないと解明されない。というのは、独裁体制そのものが犯罪的で、だからソ連が崩壊してから共産主義体制の犯罪が少しは解明できるようになったからである。
とすると、外交交渉で「拉致解明」を要求するのは相手の体制崩壊を要求することで、どだい無理な話である。また国交正常化しても日本側に捜査権がゆだねられるわけでもないので、本格的解明など本当は望めない。「拉致解明」要求も交渉を有利に導くための戦術とか、金正日の「トカゲの尻尾きり」を愉しみたいというのなら話は別である。
また死亡されたとされる拉致被害者についての事情をもう少し知りたいというのも理解できる。このような場合の家族の本意は生きていて欲しいとか、少しでも何か生きていたときのしるしを見たいのである。この願望は私にもよくわかるが、でもこういったことは、本当の意味での事件の解明とは別のことである。私が気になるのは、多くの人が漠然と「拉致解明」というコトバをつかっていることである。
共産主義独裁体制の「国家犯罪」の解明であるが、冷戦終了後ドイツだけでなく東欧圏で実施されたことである。話のタネが欲しいメディアはどこの国でも解明を要求するが、真実をあらわにすることが国家犯罪の犠牲者やその家族に望ましくないこともあるのである。当事者の彼らはそんなことを考える余裕がない。だからこそ、私たちは今後起こるかもしれない厄介な問題を考えたほうがよいのではないのだろうか。

外交目的
冷戦時代、共産主義独裁体制とのおつきあいで何度も議論されたのは、その目的である。不法な共産主義国家と外交関係を結ぶことこそ、この不法体制の承認もしくは延命につながると批判された。この見解もこの点だけを考えれば間違っていないと思われる。
それに対して、当時の接近政策・推進者にとって、独裁体制国家とつきあうことの意味は、相互交流を拡大し長期的に相手の体制の質的変化をひきおこす点にあった。この見解も現実に東欧圏の崩壊につながった以上、誤っているといえない。
私は不勉強なせいか、この点に関して日本でどんな議論がされているかに無知である。でもヨーロッパ人の眼には、北朝鮮が崩壊することは韓国、中国、日本の三国にとって望ましいことでないように見える。だからこそ欧米では、金大中の「太陽政策」も、今回の小泉訪朝による「平壌宣言」も高く評価された。
日本の対北朝鮮外交が、かっての欧州の東西接近と似た立場から進められ、相互交流の拡大によって北朝鮮の閉鎖体制に穴をあけて内部を長期的に変化させるのが目的なら、今回の日本政府の決定はこれに矛盾する。生存被害者は、拉致という非人道的なきっかけであるしろ、北朝鮮の生活に慣れた親しんだ日本人である。その彼らを日本に留め置いたり、また彼らの家族の「永住帰国」を要求したりするより、自由に往来してもらうことのほうが、日本がめざそうとした外交政策に沿うものではなかったのだろうか。
国際社会のメディアは、日本政府の「拉致被害者5人永住帰国」決定で、「ならず者国家」対日本の「奇妙なホームドラマ」、別の表現では「日朝綱引きごっこ」がはじまったことに驚いた。また「(政府決定が)外交問題をこじらせて、拉致被害者が二十年前に日本に残した家族と、外国で築いた家族の間に立って身の引き裂かれる深刻な悲劇をうみだす」(AP電)と予想した。クアラルンプールの日朝会談でも日本が「核問題をそっちのけにしてホームドラマばかりに専心し」、交渉をデッドロックさせたと疑う声もある。
外交の世界で、外国が自国に重要な決定をしたとき、それを外電から知るのはどこの国とっても不愉快な状況で、可能な限り避けられるべきとされる。21世紀の現在でも外交はどこか密室的な性格があるのではないのか。犯罪人は外交交渉の相手として処遇する必要がないと思うなら、これも自己矛盾で、最初から正常化交渉などはじめるべきでない。
五人の拉致生存者が本当に日本にいて家族を呼び寄せて永住したいのなら、(本当はこのことを誰も知らないのであるが、)日本政府は、外交的にスマートな手段をとることができたのではないのだろうか。
そうならなかったのは、外交問題が高視聴率の連続テレビ「ホームドラマ」の一部になり、政治家がこの人気ドラマのシナリオ作成に参加することを外交と勘違いしてしまったからである。また、この高視聴率を見て、発行部数減少をおそれるプリント・メディアも声を小さくしたという人々がいるが、判断は読者にお任せする。 この事情を、私たちは別の視点から見ることもできる。
長年、私たちがある問題に直面した。その間、私たちは解決案を想定し、また目標を設置し、要求をかかげてきた。ところが、新しい状況が生まれ、問題の質も変わり、解決案もまた目標も要求も考え直さなければいけない。これは企業内でも、また別のの組織ても、よくあることである。
何かの原因(例えば精神的怠惰)から事態が変化したことを認めたくない。その結果、前と同じ解決案・要求を繰り返す。こちらのほうもよくあることである。
今回の「拉致問題」に対する日本の反応は後者のケースである。北朝鮮が拉致を認め、「正常化」交渉の開始が発表され、私たちが帰国した生存拉致被害者を見た時点で、本当は状況が変わっていて、拉致問題の質も、またその解決法も別のものになっていた。本当はそのことを、私たちは認識するべきであったのではなかったのか。
確かにその前の状況であれば「完全な現状回復」の要求も事情がわからなかった以上、意味を成した。
今や拉致被害者に成人に近い子供がいたり、女性被害者の伴侶が脱走米兵であるなど、こんなことは誰も予想もしていなかった。これは新しい状況で、拉致問題の質が変わってしまったのである。ところが、私たちは状況が新しくなり、問題の質が変わったことを考えたくない。あたかも昨日拉致事件が起こったかのように、前と同じ要求を繰り返し、多くの人が「日朝・綱引き合戦」に参加する。 問題についてこう書くと、このような現象は現在の日本で、「拉致問題」に限らないと言い出される人が出て来るかもしれない。
美濃口さんにメールは Tan.Minoguchi@munich.netsurf.de