執筆者:伴 武澄【萬晩報主宰】

高知県の明徳高校が夏の甲子園でついに決勝に勝ち進んだ。筆者の身辺でも高知県の明るい話題に事欠かない。東京の「NPO人祭会」が日ごろ、よさこい踊りを練習している東京の小中学生60人を連れて10、11日の本場のよさこい祭に参加した。この企画がユニークなのはよさこい祭参加と併せて、高知の山間部での生活体験を組み合わせた点だ。

高知の山間部の町村が都会の子どもたちを迎えるために心尽くしの準備をし、子どもたちは山間部の人たちの人情を堪能した。大豊町では旧関所の番屋の大広間で大の字になっての「昼寝」が楽しく、子どもたちにはつくられた接待より、ありのままの田舎生活がうれしかったようである。

筆者は、22日から高知のよさこいチーム「よさこい国際交流隊」(松本光司代表)の主力メンバー15人を引き連れてクアラルンプールに向かう。同地で10年前から続いているジャパン・フェスティバルの公式行事としてよさこい踊りを披露することになっている。

姉の友人で、マレーシア日本語協会の会長をしているエドワード・リーさんからこの春、よさこい踊りをマレーシアでできないかという話があり、とんとん拍子でよさこい踊りの「輸出」が決まった。

よさこい踊りは、高知市で昭和28年に始まった。商店街の振興策として、田んぼのスズメよけに使っていた「鳴子」を両手ににぎやかな夏祭りとして県内で人気を呼んでいたが、10年前、北海道大学の学生がこの祭を「YOSAKOIソーラン祭り」として札幌市に導入したことから全国的知名度を得た。なにしろ本場、高知の踊りが1万5000人に対して札幌は5万人の踊り子を擁するから規模が違う。

この学生が感動したのはよさこい踊りが持つ自由さだった。それぞれのチームがそれぞれの音楽と踊りを持ち、好みの衣装で2日間、市内を乱舞する姿はこれまでの日本にはない夏祭りの形態だった。踊りのきまりは、鳴子を使用することとよさこい節の一節を音楽に取り入れることだけで、後は一切、自由。正調あり、ラテン、ロック、ラップなんでもありだ。最近は復古調なのか「沖縄」の音階も聞かれるようになった。

灯台下暗しとはまさにこのことで、県外人が評価することによって「よさこい踊り」が全国に通用する概念であることが分かったのである。ひょっとしたら世界にも受け入れられる可能性があるのではないかと思っている。

われわれがマレーシアで披露するのは「よさこい・ボレ!」。ボレはマレー語で「すごい」とか「やるじゃん」といった意味合いの言葉だそうで、「マレーシア・ボレ」といったように日常的に使われるのだ。受け入れ先は流通コングロマリットのサンウエイ・ショッピングセンター。日本語協会と日本人会が現地での踊り子隊を募集、現在、猛練習中。24日は、高知チームと合流して100人を超える大踊り子チームが編成される予定だ。

単純にマレーシアでよさこいを踊りたいという発想から始まったこのプロジェクトだが、どういうわけか日に日に輪が広がり、現地での期待も高まっていて、記者会見まで設定されるというおまけもついた。受け入れ側では、すでに来年7月のクアラルンプールでの「世界一の盆踊り大会」のプログラムによさこいを入れようという話まで持ち上がっているそうで、うれしいやら面はゆいやら。

マレーシアの盆踊りは20年前、クアラルンプール在住日本人の楽しみとして始まったが、いまでは5万人の参加者を得る規模になり、ジョホール市やペナンでも開催されるなどマレーシア社会に完全に定着した感がある。しかし、最近では東京音頭や黒田節では「パンチが足りない」「もっとダイナミックな踊りはないのか」という声も出ている。

現在、日本国内で約40カ所でよさこいが踊られている。昨年から東京・原宿の表参道で始まった「スーパーよさこい」は今年は24、25日に開く予定で、すでに大飛躍の可能性を秘めている。われわれもなんとかよさこいのクアラルンプール・バージョンを生み出したと思っている。