執筆者:伴 武澄【萬晩報主宰】

【読者の声】国費で高速道路を建設すればいい 真境名 悟(まじきな さとる)8/9付け高速道路に関するご意見、私もまったく同感です。車が一部の人の占有物だった時代はいざしらず、現代においては自分の移動のみならず、消費面から考えても輸送コストに高額な高速料金が反映されていることを考えれば、国民全員に高速道路無料化のメリットはあるのではないでしょうか。

また、どうして国費を投じて高速道路を整備せず、財政投融資を受けて、高い利息(国費であれば国債で資金調達できるはず)を支払わねばならないのでしょうか。その利息を払うために財政から補助が出ているときくとますますわけがわからなくなります。いっそのこと、全国津々浦々国費を投じて(今は国債利回りが低いのですから)高速道路を整備して、無料化すればいいと思います。景気対策にもなるかも?国民サービスの原則は低価格か無料 内海 仁中野様のご指摘、私自身いままで気が付きませんでした。満足に対する対価の支払いが原則の経済社会であれば花火は当然、有料でしょう。と言う意味から花火とハイウェーの関係は非常に興味深く読ませていただきました。

この考えを素に今の公団民営化を考えるとこんな疑問が出てきます。所謂、道路族といわれている議員達や地方の首長の発言が、地方格差の是正や活性化、国家としての交通網整備が政府の勤めであると発言しています。また、都市と地方といった地域差のない、平等なサービス又は福祉の提供が必要とも言います。では、国家が国民に提供するサービスの原資を税金として徴収していながら何故、利用したからと言って再度徴収するのでしょうか。しかも消費税という二重課税で。

公共の福祉を標榜するのであれば、国民が平等にサービスを受けることが出来るように所得による差が出ないように公共施設は原則無料若しくは低価格での利用できないと意味をなさないでしょうし、例えば道路であっても観光道路を別にすれば生活道路として地域格差や地方活性のための高速道路は生活のための道路ですから全て無料ではないでしょうか。高額の通行料の徴収は、いくら高速道路を作っても地方活性化に繋がらないのは「東京湾横断道路」を見れば明らかで道路族や地方の首長が言う利用の根拠の希薄さを示す良い例でしょう。

今の道路公団の議論は、公共の物は原則無料若しくは格安を前提に考えれば議論の中心は、建設コストや管理経費の削減や効率化のためには民営でか、公営でかの議論という気がします。高速道路は有料の固定観念の中で議論していては・・・・という気がします。今後も興味深い記事の掲載を期待しています。難しいコストの比較 高橋 勤花火と高速道路の考え方、楽しく読ませていただきました。花火が無料なのは小生もうれしく感じてました。協賛金と称する名前で金を集め夜空にその金を打ち上げているようですが、アートのはかなさと、夏を楽しむ心の思い出に掛かるコストとして、協賛者が少なくなっているといってもまだ市民権があるようです。

また、陶器の材料は土を使い、絵画の材料はキャンバスと絵の具、どちらも芸術品となると、コストを比較する実用品はありません。

今、コスト意識を皆さんが考える場合、実利を求めるコストと、心を満たす(癒し、独占欲、プライド、他)コストを比較する必要はないのではないでしょうか? 所詮、実利と自己満足(心の満足)をコストという、メジャーで比較することは、難しいのではないでしょうか?

高速道路の利用料金は、安くすべきと思うのは、コストの感覚として正しいのではないかと思います。今の道路公団の料金設定の試算など見ていると、公団傘下の組織を維持するためのコストとして考えているのではと思います。邪推でしょうか? 参考になればと思いお送りいたします。無料化で地域は活性化する 鈴木 方人本日のコラムによる提言に賛同です。高額な通行料を取られる現状でも、一部の道路は日常的に渋滞していますが、全国的に見れば通る車もまばらといった有料道路が大半です。無料化すれば地域の活性化に大いに役立ち、都市住民と地方住民との交流も自然に増えると思います。

全日空が全路線1万円という企画を発表したときには、普通運賃ではあまりの高額で二の足を踏む北海道や八重山諸島などに「自由旅行」の人々が訪れ、ツアー旅行の団体客ではない普通の人対人の交流が生まれたと思います。私自身、この1万円企画の期間には何度も出かけました。都市住民が地方の生活感覚を体験できたと思います。そしてそのときの交流は旅の後も続くのです。団体旅行とは一味もふた味も違う効果が期待できます。その後はJALも特別バーゲンというのを打ち出して同様に活況ですが、しかし両者とも設定期間が限られるため今ひとつ利用が盛り上がりません。

これは大きなヒントだと思います。経済の活性化、内需の喚起に一番の即効薬になりえるのではないでしょうか。つまり政府はこのような企画を常時施策として今後(2年間ぐらいの期間を区切ってでも)支援する予算を組むことで、これまでの公共事業の性格を変えるとともに、内需の拡大ができるのではとないかと思うのです。航空機だけでなく鉄道もホテル旅館も一定の支援料金設定で、観光が経済活性化の牽引役になるのではないかと思います。

「本来無料であるべき道路」という最初のテーマからはずれてしまうことを書きましたが、道路も常時渋滞の例えば東名・名神のような道路は早期に拡幅と二本目の路線を造る一方で、すべての道路は税金により運営していくべきだと思います。現在の公団方式で財投資金を使うやり方では、官僚が自らの職場(利益)作りを進め、国民からは見えにくい借金を増やすばかりです。わかりにくい国の財政も、この道路無料化をすることにより金を使うべきものと節約すべきものとが見えてくる効果が出ますし、政治家や役人が分かりにくい説明をして私利を図ることもしにくくなります。

いま道路公団の民営化議論が白熱していますが、これなどどうやってみてもツケを払わされるのは国民すなわち税金なのですから、最初から税金で無料化して行くべきだと思います。いずれにしても人や物の移動は経済活動のまた生活活性化の基本なのですから、できるだけ安価にすることが肝要だと思います。やめたい「いままでこうだった」という発想 加藤 毅ソフトウェアの会社を細々と10年ほどやっており、業務の関係で米国とアジアを行ったり来たりしています。外から見ると日本はその他の国から見て「え!どうして?」ということが常識的に普通に行われていたりします。其れも一つの国としても個性と言い切ってしまうことも出来ますが

今後、事実上国境というモノが形骸化して世の中が「地域」「人」「産業」というとらえ方をされてくると、今の日本のあり方は周りの国(地域)や人々(日本を離れている日本人も含めて)からはより受け入れがたいモノとして扱われるのではと思います。

原因はいろんな所にありますが、一つ「教育」の占める役割は大きいと考えます。

いままでがこうだから・・・

国はこう考えているから・・・

ではなく

今後こうなっていくだろうから今までとは違うけどこうしていった方がいいのではないか。そのような教育や子供と共に考えるあり方が今後の「変な日本」から国際的に地域に受け入れられる国を作っていく人を生んでいくのではないかと考えます。

いままで、こうやってきたんだから・・・

という人が日本を変えていこうというのは説得力が無く期待するのは難しいと考えます。

国はそう簡単に滅びるモノではないと思います。

変えるときは変えないとと思うのですが・・・

この国は外からの力が働かないと変わらないんじゃないかなと思います。コラムを読ませていただいて感謝しています。今後も書いてください、元気が出ます。期待しています。萬晩報お江戸のデスク日記メールに掲載されたあなた様の書かれた内容をみてつたない感想をメールにて差し上げます。

現在の非力な首相にあって、道路公団民営化の時節もあり、この意見こそ(ハイウェーからフリーウェーに)もっとも出したい意見だと感じました。

全ての路線とまでは言いませんが、日本の路線は必要もないのに修復、補強?が多すぎます。確かに場所によっては採算等の理由からの徴収も必要かと思いますが、あなた様の書かれた文面の、「日本の高速道路は、世界の非常識」は的を得たものだと感じられました。出来れば大々的に新聞、テレビ等での公開論争でもやれば多くの人の賛同が得られるのではと考えました。

もちろん多くの道路公団の者に言わせれば自分たちの解雇が掛かるので、抵抗はするでしょうが、そろそろ日本人の目も覚めてきたような気がします。

せっかくのこの話をメールだけで済ますのは何か残念な気がしてこのメールを差し上げます。以前にも、確かこれに起因するメールをそちら様に送ったと思いますが、時期的にちょうどいいので、国民全部に聞いてみたいですね。ワン切りメールででも全国的に送ってやりたい気持ちです。公立の経済フォーラムとおぼしきところの上級研究員の方に、釈迦に説法、私ごときいちサラリーマンが云う事とは思いませんが、私も高速道路料金が高いことを非常に腹立たしく思っている一人ですので、不十分でしょうが言わせてもらいます。本当は、民営化委員会の猪瀬氏に語って欲しいところです。

昭和30年代に有料の高速道路が作られ始めたときは、税金で作る無料の国道公道のほかに、高速道路も是非必要と思われ、ないお金を郵便貯金から借り、その後通行料で返す方式を作った官僚はえらかった。今ごろはいくつかの高速道路が返済済で予定通り無料になっているはずでした。

しかし問題はその後に起こったと思います。高速道路を作ることで非常に儲かる人々が、土建業以外に、政治家・官僚などにも大勢出来たのです。それでもまじめに通行料でおとなしくまじめに返しているうちは良かったが、作るだけで儲かることを覚えた連中は、返せる以上に作ることを麻薬中毒のように繰返し始めたのです。

昭和30年、40年に作られた高速道路は、我々が払った高額な通行料で借金分の何倍も稼いでいるが、中毒患者の政治家と官僚がこの稼ぎを、「くるま」だけでなく「くま」も通るような道路つくりにまでも際限なく注ぎ込みつづけたのです。また、工事単価を高くして、工事費を増額すれば、族関係者全員がよりもうかる仕組みを作ったので、なるべく多くのトンネル、橋をつくって ”土木技術を向上” させ、同時に自分の懐にも入れたのです。

おかげで高速道路網は全国に出来ましたが、自動的に多額の借金もでき、結果としては国際価格の何倍もの費用がかかっている高規格・高額道路となったようです。

同時に税金で作りつづけた国道・地方道(これが天下の公道)・農道・林道も相当立派に出来上がり、地方では高い有料の高速道路(これは残念ながら道路族の私道)をよく使うのは自費では払わぬ役人・政治家などで、普通の人は無料の国道・地方道であまり不自由なしとなったのです。

勿論公道も、まだ完全とはいえず、さらなる改良、改善が必要なところはまだたくさん有りますが、費用は安いでしょう。筆者の言うように、高速道路を ”生活の一部として利用しなければならない” 地方の人は、皆無とは思いませんがどれほどいるのでしょう。よほど特殊な環境ではないでしょうか。

それより、最も不思議なのは何故こんな状況が何十年も平気で、上手に続けられたのか、借金がきちんと返せますという計算前提の虚偽が見えてきたのになぜ修正しないのか、そこを上級研究員殿に解析していただき、再発防止対策を考えたい。

私は、原則として税金を使わず郵貯からの借金で建設することとしたことが、納税者の注意をそらせたと思います。また、原則として地元の財政負担無しとしたことも、多くの人に高速は出来たほうが良いと考えさせる秘訣でしょう。

やはりこの現状を変えるために、公団の民営化が、より良い現実的な対策ではないでしょうか。借金は返せる範囲に抑えるのが原則です。如何思われますか?

これでも返済計画どうりに郵貯に返済できれば良いのですが、すでにそうでなければ、郵貯の破綻か、それは出来ないから税金の大量投入となるのでしょうか?

高速料金を無料にという主張は、いっけん心地よさそうに思え、取敢えず賛成したくなるのですが、一寸待った。代わりの費用負担を誰かがさせられることを思うと、最大の声なき納税族であるサラリーマンの私は恐怖を覚えるのです。

道路公団以外にも住都公団など、類似の問題は多く、結局はいままでのほかの例とおなじに、税金で尻拭いとなり、納税負担の大きい都市部居住者、まじめでなくても節税がしにくいサラリーマン、にまとめて付けがまわると思わざるを得ません。

将来もおとなしいサラリーマンが納税族で有り続けるのでしょうか?北東アジアのなかの日本経済の将来にとって、とても重大な課題と思います。この辺については筆者はどのように考えるのでしょうか?サラリーマンでない人は無関係な話でしょうか?私もそのうち年金生活となり、納税族からすこし離れるから、我慢して無視していればよいのでしょうか?

素人の、歯切れの悪い文章となったかも知れませんが、納税族には道路族と違ってうまい話はない、いまからでは道路族に変身もできないという閉塞感に明るい展望が見えるアドバイスを戴ければと思います。高速道路より鉄道運賃の方が高い 中坊 真(大学院生)いつも興味深く記事を拝読させていただいております。高速道路無料化については、「萬晩報」でも以下のページのコラムが掲載されたように記憶しております。

http://member.nifty.ne.jp/shomenif/index.html

私は、高速道路が安くなるのは基本的に反対の立場です。なぜなら、高速道路料金が安くなればさらに日本のモータリゼーションが加速するからです。そうなると、ますます地方の公共交通機関が衰退し、自家用車なしには生活できなくなるでしょう。もし、高速道路を無料化するならば、公共交通機関も現在の料金を大幅に安くする必要があると思います。しかし、そんな財源はおそらく日本政府にはないでしょうから、いまのまま高速道路料金を徴収し続けて欲しいと願っております。

私は、阿蘇という田舎に現在住んでおりますが、自動車なしでは、生活できません。鉄道はあるにはあるのですが、運賃はガソリン代のおよそ4倍程度します。しかも、1時間に一本程度しか運行していません。また、駅からあるいて一時間半程度の場所にいつも通っています。バス停も近くにありません。近所の農家は、家族がそれぞれ車に乗るので、自家用車を4台所有しているのが普通です。しかし、多くの人は、自家用車で移動することよりも、公共交通機関が発達することを望んでいます。その理由は…

・年をとると運転できなくなる

・病気になったときはタクシーを利用する必要がある

・お酒を外で飲めない

・弱視の人や運転技術に自信のない人も同様にタクシーなどを利用する必要がある

・自動車の税金や維持費が高い

・週末には生活道路が渋滞する(観光地のため)。

以上の問題を簡単にまとめると、高速道路無料化によって以下のデメリットがあげられるでしょう。

・モータリゼーションの加速

・公共交通機関の衰退

・交通事故の増加

・環境汚染の進行

・交通弱者(運転免許を持たない人)の負担増

・地方のさらなる過疎化(これについては、見解が分かれるでしょう。)

高速道路無料化によって、予想されるメリットが、上記のデメリットを上回るとはとても思えないのですが、いかがお考えでしょうか?例えば、中野さんが車の免許を持たないとしても、高速道路無料化を望まれるでしょうか?そのあたりのご意見を、是非伺いたいと思います。

個人的には、高速道路の料金よりも鉄道料金の異常な高さのほうが気になります。東京-河口湖往復は昼飯代より高い ゆうきはじめまして。ゆうきと申します。萬晩報を読んで、メールします。

道路の通行料金がバカ高いということ、そのとおりだと思います。全然車が通らないような採算のとれない道路を建設するために、我々は高額な料金を払わなければいけないと思うと、本当に腹がたちます。先日、東京都内から車で中央道を通って、河口湖に行きました。往復で5千円ほどかかりました。昼ご飯代よりも、河口湖でのボート遊覧料よりも、何よりも高速道路代が高くつきました。

こんなことで、いちいちどこでもお金をとられていれば、そりゃ誰でもお金がもったいないと思うのは当然でしょう。それによって消費は抑制されます。

くだらないことで国民の家計を圧迫して購買力を低下させておいて、やれ景気対策だ、だのやれ先行減税だ、だのとは政府もよく言うものです。それでも、国民の血税を無理なく活かして、採算のとれる健全な為政であればそれほどの不満はないでしょう。ところが今の国債はン百兆円、天文学的な数字ですね。立派な政治家のみなさんは今日も地域のために、いくら税金をぶん取ってこれるかを競ってるんですね。もっと国民ひとりひとりのことを、その総体である国全体のことを考えられる人が増えてほしいと思います。高い、安いは価値の問題 宮本小生、神戸に住む宮本と言います。先日 「mag2萬晩報お江戸のデスク日記」で貴殿の意見を楽しく読ませてもらい、小生も感じるところがあり、意見を書かせてもらいました。

兵庫県に明石と言う町が、明石大橋の西にあります。明石大橋が出来るまでは独占をいいことに今の倍近くの料金を取っていました。ところが、現在、橋の通行料とほぼ同じの料金で、運行をしています。私は舞子と言う、フェリー乗り場の近くに住んでいるので淡路に渡るときはフェリーを使って行きます。もともと、このフェリーは国道を本州と淡路間をつなぐためのものでした。国道の延長にありながら料金を、通行料と言う名目で、三セクが取っていたのです。有料の自動車道路と同じです。

通行料金の高い安いは価値観の問題であるので気にはしません。往復一万円の通行料をマイクロバス(たいてい29人乗りで普通料金の通行料)で渡れば、一人が払う料金はJRなどを使うより安くなることもあります。 しかし、必要だからと言う観点で作った橋、道路がたとえ、一円でも料金を払わなければならないと言うことには、声を高くして意義を述べたいと思います。これらが一部の通行料を払うことが出来る人たちのための道と言うように考えたらどうでしょうか。本来、国道、県道、市道は広く、国民、県民、市民のためのものです。この問題は「平等取り扱い原則」の矛盾を感じます。

○○料などは、そのものの価値に対して、支払うべきものではないでしょうか。そこには安い、高いという考えはどうでしょうか。貴殿が「橋の通行料と高速料金は高すぎる」と述べていることに、また、高速道路の「高級」ということについても述べていますが、何を持って「高級」と言うのでしょう。イギリスやドイツは高速道路を人の住んでいないところに道をつくり、日本のように防護壁や其の他もろもろの設備を、道路上に設置をされたオービスなども小生は見た記憶はありません。勿論、それらの国では見たこともありません。もちろん、すべてを走ったわけでないので、確実とはいい切れませんが、安全にかけている費用は日本のほうが多いのではないでしょうか。しかし、ひとたび、事故がおきれば、ヘリコプターがすぐに飛んできます。緊急にかけている労力はたいしたものだと思います。しかし、全体的には日本の方が金がかかっているように思います。金がかかることが、「高級」言われるのなら、日本の道路は世界最高の「高級」ではないでしょうか。

夏の花火、咲き乱れた朝顔の花、太陽を連想させるが、大きなひまわり、冷房の効いた美術館での芸術の鑑賞。これらは有料で観るところもあるが、無料のところもある。夏の暑いときに心の中から和みを作ってくれる。時間と手間のかかった、盆栽などを冷やした飲み物を横にどこかの展示会場で見るのは、汗が噴出すが感動を覚える。美しいものには、人に感度を与え、それに対して、見合うだけの料金を出すことに違和感を持つ人は少ないと思います。

おそらく貴殿の本意は最後の、節の「都市、地方間の移動を活発化することで経済の活性化が促進をされる」と、いうところにあるのではないかと思います。小生は違うことを考えています。それは価値観です。神戸肉は高く売られていますが、食肉問題の時もさほど影響なく出荷をされたようです。ベンツは高い車種から予約がうまるそうです。ユニクロは売り上げを伸ばせなかったようです。ジョルダーノは香港、シンガポールで買うより数倍の値段で売られています。料金の値段の高い安いと言うことにわれわれは、もうとらわれていけないのではないでしょうか。それぞれ、ここの持つ価値にわれわれは、値段をつけ(感じ)代価を支払う時代に変わってきているのではないでしょうか。高速料金が橋の通行料金が高いというなら、どのようなコンセプトでその橋をその場所に作ったのか。それを観続けることが大切ではないでしょうか。ドイツの道路のよさを引き合いに出したら、アウトバーンは街中に走っていない、町の中心部からアウトバーンまで20分かからずに合流することが出来る。シンガポールは5分で合流できる。小生の知っている多くのドイツ人は、本当に見栄や無駄なお金の使い方はしない。われわれが、外国の例を持ち込む時にはその国の歴史、文化を同時に伝えて、公に発表することが大切ではないかと思います。また楽しい日記を期待します。(C)

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