執筆者:伴 武澄【萬晩報主宰】

郵政関連法案修正のドタバタをみていて「族議員」の無力を感じた。4月末に内閣が国会に法案を上程した際に自民党は「法案の中身を認めたものではない。国会で修正する」と脅しをかけたものの、泰山鳴動してねずみ一匹とはこのことである。

自民党が3日、修正した中身は日本郵便公社法案の中で、(1)郵便局はあまねく全国に配置しなければならない(2)公社は郵便関連事業に出資できる(3)国庫納付金は経営ぶ支障がないかぎり「積立金増加額の一部」に限る-の3点だけだった。

マスコミは公社の民営化に逆行しかねない内容と通り一遍の批判を加えているが、そもそも公社化は民営化に対抗して生まれた発想。自民党が党を挙げて取り組んだにしては中身があまりにも薄い。この程度の手直しは修正とはいえない。

当初、自民党が求めた「公社化後、4年間は民営化見直しの議論をしない」「ダイレクトメールは基本的に信書である」を盛り込むという要求がいとも簡単に外れたことこそ郵政族の無力化を象徴する出来事だったのではないだろうか。

自民党はこの財政難の折に、収益性のない郵便局を人のいない村にどんどんつくろうというのだろうか。郵便事業はこれまでどれだけ関連事業に出資してきたのだろうか。国庫納付金だってあまりに恣意的だったのではないか。この3点どれをみても郵便局にとって大きな得点とはいえない。

郵政族は特定郵便局向けに「修正しました」というポーズをつくり、野中弘務元自民党幹事長と青木幹夫参議院自民党幹事長は総務会で波風が立たないことだけに腐心しただけだった。この間、「政策論議」はほとんどなく、「修正」論議は腰砕けに終わった。

郵政法案はもともと来年から発足する「日本郵便公社」設立に向けた単なる設置法づくりだったものを、小泉首相が押し返して、郵便への民間参入を求めたところから内閣と自民党の軋轢が生まれたものである。郵政民営化をもくろむ小泉内閣にとっては「いずれ不必要となる」法律にしかすぎない。

小泉首相の郵政民営化の背景にあるのは、巨額な郵便貯金が日本の財政資金に還流して、財政投融資という不透明な財政構造を築き上げたという問題意識がある。

政府の一般会計予算と財政投融資の違いは前者が税金による国の事業で、後者が借金による国の事業。一般会計が国債という名の借金まみれになってしまい、いまでは両者の区別がつけにくくなっているが、財政投融資は高速道路建設のように、あくまで将来の収益によって借金の返済が可能であることが前提なのである。

その財政投融資が過去の景気対策で大盤振る舞いされ、収益の見通しのない事業にまでつぎ込まれてきたことは承知の事実である。民間であったらとうの昔に破たんが宣告されてもいい事業がいつまでも続くということは、郵便貯金の不良債権化に直結するはずなのに、いったん「国」というフィルターを通ると問題の在処が見えなくなってしまうのである。

お金の使い方の出口にも当然、問題があるのだが、入り口である郵便貯金に手をつけないかぎり、財政投融資も郵便貯金も破たんするのは間違いない。

すべての自民党を含め国会議員がこのことを知らないはずはない。知りつつも問題を先送りし、これからも先送りしようとしているのである。

改革が一日にして成るとはだれも考えていないと思う。サッチャー改革は10年の年月を要した。抵抗勢力があれば、なおさらである。行きつ戻りつがあるのは当然ではないか。その先送り阻止の先陣を切る小泉首相にさらなるエールを送りたい。

ちなみに郵便事業の民営化は重要である。今回の信書法案は民間参入に高いハードルを設けてしまった。ポスト設置10万件だけをとってもハードルは高い。しかし、コンビニは全国に5万件以上あり、酒屋もまた10万件ある。これに宅配便の集配の拠点となっている米屋と地域のよろずやは無数にある。設備投資に何百億円もかかるとは思われない。

クロネコのヤマト運輸が信書の参入するのならば、はがき100円、封書200円でも筆者はクロネコを選ぶだろう。勇気ある事業参入を求めたい。