執筆者:伴 武澄【萬晩報主宰】

昨年末に上梓された高島俊男著「漢字と日本人」(文春新書)を読んで、言葉の意味や文字について考えさせられた。

明治の日本人は西洋から新しく導入した概念について、苦心惨憺して「漢字」に翻訳する努力をした。われわれが日頃、新聞などで目にする八割の単語は明治以降につくられた造語で、それまでの大和言葉はほとんど駆逐されてしまっているそうだ。

現在、多用されている二字熟語を無理やり大和言葉に直すとなんとなく饒舌な言い回しとなり、稚拙な表現のように感じられてしまうのは、すでにこれらの言葉がわれわれ日本人に慣れ親しんでしまっている証左なのであろう。もはや後戻りはできないのである。

その多くの漢字に翻訳された造語は、当時、日本に多く留学していた中国人たちによって大陸に持ち帰られ、これまた「中国化」している。政治や経済、哲学などの用語のほとんどは日本人が考え出した漢字の組み合わせなのである。

翻って戦後の日本人はカタカナを多用して、外国語を漢字に翻訳する努力を怠ってきた。ここらが、明治日本と戦後の敗戦日本の気概の違いなのであろうか。

●「日本展望」のクールなページ

中国には日本のようにカタカナがないから、いまでもすべての外国語を漢字に翻訳する努力を続けている。外務省の外郭団体で、中国との交流事業をしている霞山会が中国語で日本社会を紹介する「日本展望」という月刊誌をつくっている。その編集長の柴田さんが悩むのが、世界の地名と人名。特に日本語に氾濫するカタカナ語は難しい。

ドラえもん(機器猫・チーチーミャオ)とか「東京ディズニーランド」(東京迪斯尼・トンチンディシニ)はすでに知られている単語だが、「ユニクロ」はどう表記するのか「スタジオ・ジブリ」はとなると思考が止まってしまう。

そこで柴田さんはこの「日本展望」の末尾に【漢日新詞新譯】というページをつくった。雑誌に出てくる新しい単語を70から80掲載し、その中国語対訳を載せている。中国語に興味のない人でもなかなかおもしろい。知的刺激があり、インターネットでは関係者の間で「クールなページ」として評価を高めている。

http://www.kazankai.org/publishing/japan_today/2002_03/big5/34.html

●中国語の新語をつくってきたのは誰か?

以前から疑問に思っていたのが、中国ではだれが、新語や造語のたぐいをつくってきたのかということである。まさか文部省の国語審議会のようなところで議論するのではなかろうし、そもそも漢字で表記されないかぎりほとんどの中国人に知れ渡ることもない。

答えは意外に簡単なところにあった。新聞である。新聞が一度書いてしまうとその表記が人口に膾炙してしまうからだ。でも最初に表記する時に、A紙とB紙で違う表記になるとどうなるのだろう。またインターネットの時代にはマスメディアより早く普通の人が新語をつくってしまうかもしれないのだ。

中国語圏を旅行していて、「ハハーン。こうやって訳すのか」と感嘆することがある。中国語の翻訳で最高傑作は「可口可楽」(コカコーラ)であることは誰もが知っている。

20年前、大学の教室でコンピューターは「電子計算機」とならったが、実際はパソコンが普及すると「電脳」となった。中国語も変化するのである。いじわるな学生が「先生、喫茶店は中国語でなんというのですか」と困らせたことがあった。革命中国にそのような場所はなさそうだったから真面目な先生は悩んで「明日までに調べてくる」と約束した。

本来は悩む必要もなかった。台湾にも香港にも当時から喫茶店(珈琲館)はあったからだ。新しい中国語をつくってきたのは何も大陸に限ったことではないのだ。中国語のコンピューター用語の多くはシリコンバレーから生まれていた。初めの頃の中国語ワープロソフトをつくっていたのは台湾でも香港でもない。シリコンバレーに留学してその地に居着いた中国人たちだった。

ちなみにそのころのパソコン用の中国語ワープロソフトはウインドウズの英語バージョンにしか搭載できなかった。英語で中国語を考える仕組みだったのである。

漢字と日本人について書いているうちに、中国語の話になってしまった。カタカナ文字の氾濫への反省から「電脳」のように中国製熟語が日本語で多用される時代がくるかもしれないという気がして来た。実は萬晩報の「晩報」は中国語で夕刊という意味なのだ。