ビッグ・リンカー達の宴(うたげ)-10
執筆者:園田 義明【萬晩報通信員】
■JPモルガン・チェースとニコラス・ロハティン
昨年9月26日、全米2位のJPモルガン・チェースはダグラス・ワーナー会長が年末までに引退し、後任にウィリアム・ハリソンを起用する人事を発表する。
新会長のハリソン氏は、1967年にケミカル・バンクに入社、チェース・マンハッタンの会長兼CEOを経て、合併後はJPモルガン・チェースの社長兼CEOに就任していた。
ワーナー会長は1968年にJ・P・モルガンに入社、同社の社長、会長、CEOを歴任した。モルガングループの中核企業であるである複合企業ゼネラル・エレクトリック(GE)、総合エンジニアリング最大手ベクテルの社外取締役を務め、ピアポント・モルガン・ライブラリーの理事を務めるなど生粋のモルガン人として知られる。
以前のコラムにこう書いたことがある。
「J・P・モルガン・チェース誕生によりモルガン系企業が今後離散していくことも十分予測される。なぜなら異なる文化を有した金融資本と産業資本の融合には、過去失敗例が数多く残されており、アメリカ内部での産業界の分裂にも繋がる要因ともなりえる。」
どうやら私の予測はあたっていたようである。エンロン破綻問題もこのあたりに原因がありそうだ。
旧J・P・モルガン幹部の相次ぐ辞任に対して、10月24日には日本でも人気の高いGEのジャック・ウェルチ前会長を顧問に迎え入れると発表した。ウェルチ前会長の強い意向により中途半端な顧問になったようだが、この混乱はしばらく納まりそうにない。
なお、辞めていった旧J・P・モルガン幹部には、ワーナー会長が後継者として非常にかわいがっていた人物がいた。彼の辞任が発表されたのは、同時多発テロ直前の9月7日のことである。彼の名は、ニコラス・ロハティン。そうフェリックス・ロハティンの息子である。
昨年3月、ワーナー会長はe-ファイナンス部門として『ラボ・モルガン』の設立を発表し、そのヘッドにニコラス・ロハティンを任命した。そしてその事業は合併後も『ラボ・モルガン』の名を引き継ぎながら運営されてきたのである。
これまでに何度か両社の合併の噂があったことは事実であるが、J・P・モルガンは、その前身であるロンドンJ・S・モルガン商会から派生したモルガン・グレンフェルや1903年にJ・P・モルガンより分社したバンカーズ・トラストと同様、ドイツ銀行と合併すると見られていた。そこにチェースが強引に割り込んできた形となった。
J・P・モルガンは、古くからロスチャイルド・グループに代表される「欧州・貴族系グローバル企業」と連携してきた。チェース色が強まる中で、欧州との関係に暗い陰を落としていく。
■JPモルガン・チェースとテキサス
1991年にマニュファクチュラース・ハノーバー・コープとケミカル・バンクのふたつのニューヨークに本拠を置くマネー・センター・バンクが合併し、ケミカル・バンクとなり、1996年にこのケミカル・バンクとチェース・マンハッタン・コープが合併して新チェース・マンハッタン・コープが誕生する。
チェース・マンハッタン・コープは、かっては「ロックフェラー銀行」あるいは「石油銀行」の名で知られてきた。旧スタンダード石油企業である、エクソン・モービル、シェブロンなどのロックフェラー・グループを束ねる中核銀行である。
このチェース・マンハッタン・コープと名門中の名門J・P・モルガンが2000年9月に合併し、現在のJPモルガン・チェースが誕生する。
JPモルガン・チェース合併時にはすでに辞任していたが、大型合併の主導的役割を果たしたのはウォルター・シプリーである。1956年にケミカル・バンクに入社し、1983年に社長、1984年に会長になる。マニュファクチュラース・ハノーバー・コープとの合併後、1992年に社長、1994年に会長兼CEOとなり、1996年には新生チェース・マンハッタン・コープの会長兼CEOに就任する。
シプリーは、1999年に会長兼CEOを辞任するが、現在でもJPモルガン・チェースのふたつの諮問委員会のメンバーとなっている。
ひとつが国際諮問委員会であり、ジョージ・シュルツ元国務長官を会長にキッシンジャー元国務長官、デビッド・ロックフェラー元チェース会長、フィアットの名誉会長ジョバンニ・アニェリなど、これまで紹介してきた世界各国のビッグ・リンカー(日本人二名含む)37名で構成されている。特にシュルツ元国務長官とキッシンジャー元国務長官はブッシュ政権のお目付役である
そしてもうひとつの諮問委員会は、「テキサス・リージョナル・アドバイザリー・ボード」である。
1987年にケミカル・バンクは、テキサス・コマース・バンクと合併したが、テキサス・コマース・バンクは、1866年に設立された老舗であり、合併後もその名を残してきた。1998年にようやくその名をチェース・バンク・オブ・テキサスに変更し、2000年に完全統合される。
「テキサス・リージョナル・アドバイザリー・ボード」は、このテキサス・コマース・バンク出身者とテキサスを代表する財界人により構成されている。ここにシプリーが参加しているのは、元会長であるためだけではない。シプリーは、現在もテキサスに本社を構える世界最大の石油会社エクソン・モービルの社外取締役であり、エクソン・モービルを代表して参加しているのである。
■テキサス発”axisofevil”=「悪の枢軸」
戦後、テキサス州出身の大統領は、リンドン・ベン・ジョンソン、ブッシュパパに次いで、現在のブッシュ大統領で3人目となる。プライドが高く、独立心が旺盛なことからテキサス魂と言われることもあるが、その背景には複雑な歴史がある。
これまでにテキサスの国旗は、スペイン、フランス、メキシコ、テキサス共和国、アメリカ合衆国と南部共和国のアメリカ合州国の6種類が掲げられ、とりわけ、有名な「アラモの砦」を経て、1836年から1845年までテキサス共和国として独立国家だった歴史と深く関係しているようだ。
京都議定書や弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約からの一方的離脱などに見られるアメリカのユニラテラリズム(アメリカ単独主導主義)もテキサス州出身の大統領とは無縁ではないようだ。特に欧州勢からすると、レーガン大統領以上に理解不能のエイリアンとみなされているようである。
エンロン破綻問題が米・英(ウェイクハム卿=ロスチャイルド人脈)中枢を巻き込む一大スキャンダルに発展する中、有力な支持基盤を失ったブッシュ政権は、今年11月の中間選挙に向けて、保守票を取り込むために、ウルフォウィッツ国防副長官を中心とするタカ派やクリスチャン連合に代表されるキリスト教右派に歩み寄らざるを得ない。そして登場してくるのが、”axisofevil”=「悪の枢軸」発言である。
ブッシュ大統領が1月29日夜(※日本時間30日午前)、上下両院合同会議で行った一般教書演説は、戦時下ということもあり高い関心を集める。全米で5200万人がテレビを見たようだ。ここでブッシュ大統領は、北朝鮮、イラン、イラクの三か国を、世界の平和を脅かす「悪の枢軸」と位置づけ、「我々を脅かすことは許さない」と強く警告した。
この発言に対して、世界中を巻き込んで一大騒動となっている。特にフランスを中心とするEU圏では今なおこの発言を巡って緊迫した状況が続いている。
もし田中真紀子外相がいれば、日本でも大きな話題に発展していた可能性が高い。しかし、一般教書演説の直前(日本時間1月29日深夜)に更迭が決定されており、ここでもロッキード事件を思い出させるものがある。事前にアメリカから圧力があったのではないだろうか?
なお、イタリアでも今年1月5日、ルジェロ外相が反欧州統合路線を批判し辞任している。ルジェロ氏はWT0前事務局長を務め、フィアットの取締役及び国際諮問委員会副会長、キッシンジャー&アソシエイツ取締役も歴任した。協調派として国際的に知名度が高いビッグ・リンカーである。
かっての枢軸国である日本とイタリアで同時期に怒った外相辞任は、来たるべき混乱に備えたもかもしれない。
右傾化を強めるイタリア・ベルルスコーニ政権でもカーライル・グループと深いつながりを持っている。このカーライル・グループの2000年の宴が9月にワシントン・モナーク・ホテルで行われたことは第一章でご紹介した。そして2001年の宴は、ワシントンのリッツ・カールトンホテルでウサマ・ビンラディンの親戚も同席する中、華やかに開催された。
その宴が行われた日付は2001年9月11日である。
(ビッグ・リンカー達の宴(うたげ)アメリカ編-終了)
▼参考
政界・産業界・国防を操って巨万の富を築くカーライルグループの闇
文 ダン・ブリオディ(DANBRIODY)
(翻訳者:IDS中島由利)
[Carlyle’sWay,Dec.2001p63(C)REDHERRINGCOMMUNICATIONS]
http://loopcafe.jp/site3/article_rh_carlyle.html
園田さんにメール yoshigarden@mx4.ttcn.ne.jp