地方紙にみる日本海地域新事情
執筆者:平岩 優【メディアケーション】
昨年、21世紀の幕開けの年は、国内外に大事件、大問題が噴出した。マスコミは連日、それら「構造改革」、「同時多発テロ」、「デフレ不況」等の報道に始終。我々も自分の足元を見るより、それらの報道に目を奪われがちだったのではないか。しかし、考えてみれば、こうした事件・問題もここ10年-20年の間にその萌芽、兆しを見せ、我々に小さなシグナルを送っていたはずである。そして、今もよく注意すれば、大きな変化につながる多くの小さな徴や兆しを見つけることができるはずだ。
そんなサンプルとして、東京発の情報からは見えてこない日本海沿岸地域の動きをあげることができる。私の元に毎月“にいがた22の会”という地元の経営者やジャーナリストなど有志の方々から「環日本海ローカルニュース」を送っていただいている。このニュースレターは北は北海道新聞から南は西日本新聞までの地方紙から、日本海を囲む極東ロシア地域、朝鮮半島、中国東北地区と日本の沿岸地域との経済・文化交流に関する記事をスクラップしたものである。
今手元にある最新のニュースレター(2001年11月分)に目を通しても、そこには小さな兆しをたくさん見て取ることができるので、少し紹介してみたい。
北海道新聞に連載されたシリーズ企画「日ロ経済の新展開」では、道内、サハリン、釜山などでの取材を通じ、グローバル化が進む中で、ロシアとの経済関係に展望を見出せない北海道経済の様子が活写されている。
たとえば、韓国・釜山には年間、外国船の4分の1に当たる約5000隻のロシア船が寄港し、数万人のロシア人が上陸する。いまや釜山港は「極東アジア最大のロシア船団の集積基地」である。つまり、人、モノ、金は釜山に集中し、北海道は単なる通過地になる危険性にさらされている。
ロシア船が釜山港に集まるわけは、外国船が支払う使用料がコンテナ1個当たり169ドルで、香港(同355ドル)、神戸(同356ドル)の半額以下であること。しかも、港周辺の水産物保冷施設の保管料金は150キロ当たり1日約5円である。
韓国政府は釜山港を自由貿易地域に指定し、極東経済圏の物流拠点を目指すという。
北海道の稚内にもロシア船が多く入港する。しかし、道内の企業はカニを転売する以外なかなかビジネスに結びつけないようだ。依然、商店などには「ロシア人お断り」の張り紙もあるという。「稚内にとってロシア船の方が自衛隊より経済効果は高いのに、ロシア政策がまるでない」という税関幹部の言葉が重い。
また、すぐ目の前の北方四島でも、水産加工にモスクワ資本の工場や、ドイツ、アメリカ企業が次々と参入している。道内の水産業界では、いずれ、島が一大加工基地になると不安視しているという。
さらに、ロシアでも本格的に水産加工に乗り出すケースもある。経営者の39歳のユーリー・テン氏は韓国人の父と日本人の母を持つ。ソ連崩壊後10年で、ユジノサハリンスクに本部を置く、木材会社、カジノなど13社が構成する企業グループを育てた。6月に完成した水産加工工場の冷凍機械は中国製、コンベヤーは韓国製、売り込み先は日本と韓国だという。
同時にこうした環境の中で、奮闘する日本のビジネスマン、企業もある。非自由化水産物輸入割当(IQ)制度で規制される昆布の代わりに、規制から外れる加工品(昆布巻き)をサハリンから輸入する食品メーカー。日本より安い韓国のカニかごを輸入し、ロシアのカニ船へのカニ代金と相殺する商社。利益を日本に持ち帰るのではなく現地に落とし、ルーブル世界で生きていくことを決めたというDCチェーン・サハリン現地法人の日本人社長などが紹介されている。ユジノサハリンスクのショップにはイタリア製の靴、フランス製の化粧品、ドイツ製のスープなどが並ぶという。(以上11月1日、3日、5日付北海道新聞より)
ニュースレターにはこの他にもさまざまな記事がスクラップされているが、長くなるので幾つかを箇条書きにする。
■北朝鮮ハタハタ、今季初入港(11月9日 秋田さきがけ)
■庄内-ハルビン定期航空便、中国の航空会社と事務レベル交渉(11月10日 山形新聞)
■新潟県が県産業のIT化を図るため、韓国サムスンと提携(11月3日 新潟日報)
■富山県とロシア沿海地方政府がウラジオストクで8回目の「日本語スピーチコンテスト」(11月10日 北日本新聞)
■富山市で日韓中の学者が参加する環日本海学会研究会開催(11月11日 北日本新聞)
■富山・福井が韓国企業の北陸誘致を図るため、釜山でセミナー開催(北陸中日)
■松江市で「北東アジア地域自治連合」(日韓中、ロシア、モンゴルの36広域自治体)の第1回文化交流分科委員会開催(11月9日 山陰中央新報)
この他にも地域企業の中国への進出、中国企業へのソフト開発委託の記事、さらに北陸地域への中国観光客の誘致プランなどが目立った。
こうしたさまざまな動きがこの先の変化にどのように結びついていくのか。小さな事実を積み重ねて、考えていくことが大事であると思う。ちなみに、私事であるが、以前、「環日本海交流事典」という大判の本を編集した経験がある。その時には資料として、こうした地方紙に載った小さな記事も集めた。編集室には北東アジアを研究するプリンストン大学のプロフェッサーやオーストラリアのシンクタンクの研究者等が事典を求めに訪れたが、その人たちにも、こうした小さな記事のコピーを所望された。当時、北東アジアの経済や国際関係論を専攻する欧米の研究者やジャーナリストは、全国紙には載らない地方紙の小さな兆しに目を据えていたのである。
平岩さんにメールはyuh@lares.dti.ne.jp