物価が下がるってのは悪いことなのか
執筆者:伴 武澄【萬晩報主宰】
きのうの夕刊早版をひとしきり眺めていた上司が「おう伴。物価が下がるってのは悪いことなのか」と問いかけてきた。どうも東京都区部の消費者物価がこの1年で1.2%下がったという記事がお気に召さないようなのだ。
「わたしはちっとも悪いことだとは思いませんよ。物価がマイナスということは実質GDPを押し上げる効果があるんですから」
「そうだろう。この間、経済産業省のOBと飲んだ時、ようやく日本にユニクロ効果が現れたってことだよって言っていたぜ」
総務省によると物価の下落は3年連続だそうで、どの新聞を読んでも物価下落を歓迎しているようすはない。逆に物価下落が世の中にとって悪いことのように書きたてている。しかしよく考えてみよう。いつだって消費者の最大の怒りは物価の上昇だったのではないか。それが下がっているのだから少しは喜んでもいいのではないだろうか。
●消えた「よい物価下落」論議
景気低迷で失業率が上がり、給料も減っている時世に物価だけが上がったのではサラリーマンはたまったものではない。しかも下がった下がったと大騒ぎしているが、3年間で下がったのは毎年平均1.1%でしかない。それなのに「物価下落に歯止めがかからない」というような表現が横行するのはいかがなものかと思う。
物価動向に関して、つい数カ月前まで日本銀行でさえ「よい物価下落」と「悪い物価下落」に分けて分析していたが、もはや「よい物価下落」という表現すらなくなり、世の中すべて物価下落を景気後退に結びつけた論調となっている。
衣料品はユニクロ効果で当然ながら下がり、外食もマクドナルドや牛丼の値下げ合戦が熾烈だ。電話代もようやく競争に火がつき値下げが目立ってきた。パソコンはつくりすぎのおかげでお買い時。液晶ディスプレイなどは去年の半額だ。賃貸住宅もまた持ち家が増えた影響で下がっているそうだ。値上がりが目立つのは盆暮れの航空運賃ぐらいで、円安になっても総じて物価が上がる気配はない。
個々のサラリーマンにとって歓迎すべき材料ばかりで、物価上昇を願うような論調はやはりどこかずれていると思わざるを得ない。
こんなことを言っていると、経済の「専門家」から「日本経済はデフレスパイラルの入り口に入っている。物価だけの現象をとらえて喜んでいる場合ではない」とお叱りを受けそうだが、果して経済は縮小してはいけないのだろうか。昨今はそんな疑問さえ湧いてくるほど世の中はマイナス思考一色だ。
小生だって「インフレもデフレもほどほどがいい」というぐらいの経済知識を持っているつもりだ。一番悪いのは景気が後退しているのに物価が上がるというスタグフレーションである。たかが1.2%程度の下落は「戦後最大幅」だとか騒ぎぐほどの下落ではない。
●始まる本格的物価下落
振り返れば1985年9月のプラザ合意から16年。円安が進んでいるといわれる昨今でも円の価値は当時の約2倍。円が1㌦=100円以上だった95年前後、マスコミによって「価格破壊」が歓迎された時代もあったが、ベンツやBMWの価格が国産車並みに下がったわけではなかった。
いったい円高のメリットはどこに消えていったのだろうか。輸入業者が円高差益を独占したのだったら、そうした企業は驚異的な業績を上げていたはずだが、そんな報道はなかった。輸入車の分野では円建て決済をすることで輸出国側に差益が生まれるよう工夫されたが、あくまで部分的現象にすぎない。
そもそも日本のGDPに占める輸入の割合は10%にすぎない。これまでの円高が物価にほとんど影響を与えなかった一番の原因は衣料品など一部を除いて日本企業はアジアで製造した製品を日本国内に持ち込まなかったからなのだ。日本企業が日本市場向けに製品をつくるようになってようやく日本の「物価下落」が始まったのである。
中国産のネギやシイタケのセーフガード騒動が象徴するように日本企業が中国で生産して日本に輸出するという企業行動は、ハイテク製品から農産品まで広がっている。日本の産業界の新しい展開に目をつぶっていては21世紀の日本の展望は開けない。