チェチェン人が絶賛した明治のポストマン
執筆者:伴 武澄【萬晩報主宰】
日露戦争後の日本を訪ねたチェチェン人、アブデュルレシト・イブラハム氏が書いた「ジャポンヤ」(第三書館)という旅行記が90年ぶりに本になった。イスラム系ロシア人による明治日本の印象記そのものがおもしろく一気に読んだ。
その中で日本の郵便制度について何度も触れている。アジア主義者で黒竜会の内田良平氏と日比谷公園で待ち合わせる場面は、読者をなかなか感動させる。その一節を紹介したい。
「葉書は5月22日9時に投函され、11時5分前には私の手元(横浜市)に届いた。そして当日の午後1時には落ち合うことができた。電報よりも迅速である」
また「郵便」と小見出しを打った部分では、明治のポストマンたちの勤勉ぶりを特記している。
「日本では郵便事業は年中無休である。手紙、現金、小包等を送り出す為に、郵便局は昼夜開いている。ただし職員は時間ごとに交替する。郵便局が開いたの閉まったのという言葉はない。夜中の12時に横浜から、ある友人に送金した。『この金を受け取ったなら、これこれの通りにある写真屋から私の写真をとって来てほしい』と。私の友人梅原は、2日後の朝9時に、写真を届けてきた。なんたる几帳面。こんな郵便制度を持つ国には電報すらも必要ない」
このほか1日に10回も集配していることも紹介している。イブラハム氏がどれほど正しく当時の郵便制度を紹介したものなのか確かめようもないが、夏目漱石の小説にも午前中にその日の夜の会食の予定を書いた葉書を投函する場面があったように記憶している。
もうひとつ夏休みに高知県物部村の山道で道に迷った時、たまたま出会ったクロネコヤマトの集配車の配達人に道を聞いた時のエピソードも紹介したい。
「・・・という在所はこの先にあるのでしょうか」
「それはもう一つ向こうの谷。道を間違ったのでしょう」
「やっぱりそうですか。ところであなたここらの荷物を集めているの」
「はい。担当地域は3町村。1日に2回ほど集配に回ります。走るのは1日280キロ」
「え!そんなに走るの。それで郵便屋さんは?」
「よくて1日1回でしょ」
勘のいい読者は筆者がなにを訴えたいか分かっていただけたと思う。勤勉な明治のポストマンたちが生きていたなら郵政事業の民営化などは求められなかったはずだということが一つ。もう一つは郵便事業の民営化で民営反対論者が不安視する「過疎地の集配業務」という問題である。
すべての宅配業者が物部村で出会った集配マンのような勤勉さを持ち合わせているかどうかは分からない。しかし、このような集配マンが存在するかぎり、郵便を民間業者に委ねても問題はないということである。
この夏の物部村での出会いは、世の中の有識者は自分の中で持っているイメージだけでなく、過疎地での民間の宅配業者の実態をもっと知ってから、ものを言うべきだということをしみじみと考えさせらた。
付け加えるならば、今年の夏に上映された中国映画「山の郵便屋さん」はそれこそ明治時代の過疎地のポストマンたちもかくあったのだろうと考えさせられる作品だった。