安らぎと知的刺激もたらす牧野記念館
執筆者:伴 武澄【萬晩報主宰】
本草学の旅があるかどうか分からない。先月、高知市五台山にある牧野富太郎記念館を訪れた。世界的植物学者として知られる故牧野富太郎(1862-1957)を顕彰するため、2年前に建てられた。
記念館が出来たのは知っていたが、植物学などには一切興味が湧かなかった。知人に「騙されたと思っていってごらん」といわれたのがきっかけだ。それ以降、どういうわけだか書店で植物の本が気になり始め、トマトだとかジャガイモの本を立て続けに読むはめになる。
新大陸で育てられていた多くの植物がどのようにしてヨーロッパに渡り世界的に普及していったかをたどる作業はなかなか知的刺激があった。そんな刺激を与えてくれたのがこの牧野記念館だということになる
さて牧野記念館に戻る。ここは牧野博士が収集した5万点にもおよぶ書籍や植物画などのコレクションを収納する博物館である。全国の多くの博物館がただ収納品を時系列的に並べてあるのと違って、なにやら雰囲気が違う。
記念館は五台山の山頂の起伏に「沿わす」ように建ってられた秀麗な木造建造物である。400本におよぶ巨大な「梁」は1本ずつその長さと形状が違い、その上を銅版の屋根でおおわれる。建築家の内藤廣氏が東京・練馬にあった牧野文庫に入り浸り、収納のためのイメージを考え、職人たちの「潜在的伝統」を引き出した。
まず木造の博物館はめずらしい。消防法がハードルとなって日本で木造の公共施設は建てられないことになっているからだ。この木造建造物を見るだけでも入場料を払う価値がある。
牧野富太郎は高知市の西約25キロにある佐川町で幕末に生まれた。年少の頃より植物に興味を抱き、上京して東京大学の門をたたく。といって入学したわけでも教授陣に交えられたわけでもない。生涯、一助手として近代日本の植物学の基礎を築くという稀有の人生を歩んだ。
自ら「草を褥に木の根を枕、花を恋して五十年」と称した波瀾の人生が、幕末から明治・大正・昭和の日本という時代とぴったり重ね合わさるだけに、展示の手法に「時代史」を感じさせるものがある。植物にも牧野富太郎にも興味のない人には歴史博物館として観覧できるようになっている。
牧野博士は膨大な数の植物画を遺している。細密画のように繊細なタッチの植物画はほとんど芸術の領域である。多くの植物学者が絵画の基礎を習ってその道に入ったのと違い、牧野博士は独学で植物画を描き始めた。牧野博士の場合さらにすごいのはすべての植物画を筆で描いたことだった。「ペンとインクでは線に勢いがなくなる」と筆書きを貫いた。
知人は記念館を訪れたら必ず併設のレストランで食事をするように薦めた。植物園に張り出したテラスに座るだけで安らぎを感じさせる演出がある。
「毎月1回はコーヒーを飲みにここへやってきます」。
牧野記念館にはそんな人もやって来る。