執筆者:伴 武澄【萬晩報主宰】

「東芝が1万7000人のリストラってすごいですね」
「うん、NEC、富士通、松下に続いて東芝、日立もってところですかね。全部で10万人とかになるんでしょ」
「でも松下とか東芝の人たちって優秀だから、引く手あまたでしょうね」
「よく分からないけど、いまや希望退職を募ると希望者が殺到するんだから優秀な人から社員が減っていくというのは大きな矛盾でしょ」
「でもそういう優秀な人たちが中小企業に入ったら、その企業はあっという間に業績を伸ばすかもしれない。日本はいままで大企業が人材をかっさらって無駄にしていたんだから、大規模なリストラは日本にとっていいことなのかもしれない」
「ユニクロの経営陣はほとんどが大企業のスピンアウト組で、社長も偉いんでしょうが、社長を支える人材がこれまで培ってきたノウハウを一斉に花開かせたという印象もある」
タクシーの運転手との会話でひらめいたことがある。企業のリストラは社会全体の活性化という観点からみれば、悪くはないのではないか。リストラされた個人にとっても新しい土俵で新たな挑戦が可能になるかもしれない。そんなことを思い始めている。

大企業で自らの能力が発揮できないでいる人材が多くいるだろうことは想像に難くない。だが妻子がいる生活者としては大企業でもらっている報酬を投げ捨てることはなかなか難しい。多くのサラリーマンは心に不満を抱えつつも長いものにまかれ、毎夜、居酒屋で憂さを晴らしている。「いっそ会社がつぶれた方が踏ん切りがつく」などと考えている人も少なくないのではないかと思う。

最近、頭をよぎるのが日本の経済界における「旧山一証券人脈」という概念である。金融だけでなく、商社やメーカー、はては学習塾にいたるまで「元山一証券です」という人材に出会う。山一証券は1998年3月31日に会社がなくなり、8000人の従業員が多種多彩の再就職先に散らばったが、企業とか業界を超えて意思疎通を可能にする人材群が誕生しているはずだという確信がある。筆者の友人はとある部長職だったが、数年後には外資系の投資銀行の社長となった。ソニー銀行の社長石井茂氏も旧山一証券人脈である。あなたの周辺にもいるかもしれない。

山一証券を解雇された人々がすべて、恵まれた地位を得ているとはいわないが、別々の会社でそれなりの地位を得ている人も少なくない。こうした人々が連絡を取り合って、ヨコのネットワークを広げているということだ。これまで、会社というタテ社会の中で、ヨコのネットワークといえば学生時代の同窓生ぐらいだった。そんな硬直した日本の企業社会の触媒として旧山一証券人脈が誕生する意義は大きいはずだ。

当時はマスコミは仕事を失う悲惨さをことさら強調したが、いまとなっては、山一証券に在職していたという者同士ということがビジネス上で大きな武器となることさえあるようだ。

企業が破たんするのは経営の問題であって、従業員が使い物にならなかったではない。それぞれに有能な人材を抱えながらその能力を十二分に発揮させられなかった側面も強いのである。そもそも人材の流動化が叫ばれるのは、大企業に人材が集まりすぎているからだ。10年ほど前、バブル経済真っ盛りの時代大企業はそれこそ「投網」をかけるように大卒者を大量採用した。中小企業の悩みは「人材が取れない」という不満だった。

大企業にとって、多くの人材を競争させて切磋琢磨することも重要だろうが、一定以上の年齢になれば、人を絞り込まなければならなくなる。大企業が大量採用して、多くの人材を腐らせてきたというのが日本社会の一面だったのではないだろうか。

仮に勤めていた会社が破たんしたとしても、そう落ち込むこともない。「人生万事塞翁が馬」である。中堅・中小企業にとっても同様である。いまが人材採用の絶好のチャンスととらえれば未来は明るい。旧山一だけでない。これから旧そごう人脈、マイカル人脈も生まれることを期待したい。大企業の破たんは中長期的にみれば、人材の分散というビッグバンを引き起こすはずだ。