執筆者:中野 有【米東西センター北東アジア経済フォーラム上級研究員】

新潟から2時間強のフライトでハルピンに行ける。ごく最近までハルピンは、日本の近くに位置しているにもかかわらず直行便がなく北京経由など迂回を強いられ、遠い最果ての存在であった。それが、新潟・ハルピンの直行便のおかげで、ローカルtoローカルの醍醐味が味わえる。日本海を挟み数字上では世界で最も豊かな国から、中国でも比較的遅れた地域への旅である。恐らく、これほどの短時間で、10分の1の所得格差がある地域は、世界広しといえども稀であろう。

これ程の経済格差があるから、さぞかし中国は貧しいだろうと考えてしまうが、実はそうではない。毎年、中国を訪問する度に中国の進歩に脱帽させられる。

ハルピンの中心街は、ロシア風の重厚な建造物と石畳がマッチし、ヨーロッパに来たかと思うほど異国情緒が漂っている。また、戦前の日本の大和ホテル等の歴史的な建物が街に調和している。ハルピンから長春への3時間の列車の旅も大陸のおおらかな空気が感ぜられ悪くない。長春の関東軍の建物は大阪城を彷彿させる。

これらの立派な建物を見る限り戦前の日本は壮大な国家プロジェクトとして、本格的に旧満州の開発に取り組んだと考えられる。20世紀前半の日本の歴史の真実を学ぶ機会がなかっただけに、戦前の日本の立派な建物に接したときのインパクトは想像以上である。当時の日本人の壮大な夢が伝わってくると同時に、大東亜共栄圏が旧満州地域に与えた社会的影響と太平洋戦争への道を考えさせられる。

長春にある吉林大学は4つの大学が合併したことで、中国最大の7万人規模のマンモス大学になった。広大なキャンパスには如何にも教育に投資を惜しまないという近代的建物や歴史的な建物が並び、学生も生き生きしている。長春は文化・学術都市として着々と進歩している。吉林大学の北東アジアの研究を担う王勝今院長は、日本で学んだ大変な親日派である。

細菌兵器の開発で有名なハルピンの731部隊の跡地を訪れた。悲惨な戦争の傷跡に触れ考えさせられるものがあった。また当時の弱肉強食の冷酷な国際情勢の中で、日本が人権を無視した限られた選択を強いられることになった背景に興味がわいた。現地の観光ガイドさんは、「百聞は一見にしかず」の如く戦前の日本の行為に、できる限りバイアスを通さず見ることの重要性を指摘した。文章で表現された歴史の記述でなく現場でその臨場感を味わって欲しいと訴えた。

歴史は未来を照らす鏡である。明確なビジョンを描くためには、歴史を学ばなければいけない。その学び方であるが受験勉強のための学習でなく、歴史的建造物や戦争の傷跡に触れ、そこで考えることが歴史を学ぶきっかけになるのではないだろうか。

米国の「フォーリンアフェアーズ」に掲載された戦前の論文には、戦争回避のために書かれた、まさに「ペンは剣よりも強し」の気概が込められたアメリカ人のみなら日本人の優れた数多くの論文がある。混沌とする国際情勢の中で論じられたビジョンを検証することで多くのことが学べ、長期的ビジョンの構築に役立つと思われる。

教科書問題で周辺諸国との温度差が表面化している。こんなときこそ、歴史を学び考えるにあたり、旧満州に旅し、見聞することが重要であるだろう。

今回、新潟―ハルピンのローカルtoローカルの旅をし、所得10倍の日本が本当に豊かだろうかと考えさせられた。子供のころにイメージした貧しい中国と現在の中国は違う。欧米に旅するのもいいが今回のローカルtoローカルの旅は実に有意義であった。是非お勧めしたい。

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