執筆者:齊藤 清【萬晩報コナクリ通信員】

◆ポルトゥドゥナミュール駅

ベルギー・ブリュッセルの、地下鉄ポルトゥドゥナミュール駅の地上出口そばにあるファーストフードの店「クウィック」の前。春とは名のみの小寒い夕暮れ。夕方6時の約束を5分ほど過ぎて、坂道の向こうから手を振る長い黒髪の若い女性アンヌの姿。急ぎ足で距離を縮め、「だいぶ待ちましたか」の問いに、「いいや、5分前に着いたばかり」と応える男。3カ月ぶりの再会ということであれば、単なる知人ではあっても、当然のように互いの頬を合わせる挨拶をして、あるいは抱き合ってもいいくらいのものだけれど、照れくささから、その習慣にはいまだになじめず、アンヌのタイミングをかわしたまま、簡単にごぶさたの言葉を交わして握手をする日焼けした東洋の男。

彼女の黒いコートの肩には異様に大きなスポーツバッグ。しっかりとした体つきとはいえ、そのかしげ具合からすればかなりの重量にみえるものの、男がおずおずと差し出した手を、ただ一言、「いつものことですから」とにっこり微笑んで軽くいなし、ゆるい坂道を先だって歩いていくアンヌ。彼女の後を追い、あるいは肩を並べ、暮れかかった街の石畳を歩く中年の男。
◆アフリカンダンス教室

古い建物の2階のドアを開けると、そこでは15人ほどの白人女性たちが、それぞれのいでたちで軽い準備運動をしていて、アンヌが紹介するその男の方へ顔を向け、さりげない会釈。男は一世一代の笑みを浮かべて、とまどいながらも「はじめまして」と声をかける。

アンヌが、「飽きてしまったら、そのあたりを散歩してきてもいいのよ」と男に話している間に、縮れ髪をていねいに編んだ恰幅のいい黒人男性が入ってきて、彼女がかついできたバッグから取り出したタムタム(太鼓)を受け取り、そして東洋の男を一瞥。アンヌが、「このひとは今朝ギニアから着いたばかりで、今日はみんなのダンスを見学に来たの」と紹介すれば、「マリのシディキ・カマラです」と、右手を差し出して男の手を握る。男は、彼の手の厚みと、手のひらの一部にできている厚く盛り上がったタコに触れて、思わず「すごいですねぇ」とうなる。

パーカッショニストのカマラ師と助っ人の黒人が、タムタムをズンタカタと叩くと、踊り手の女性たちが部屋の中央に集まり、まずはギニアのマリンケ族伝来のカサのリズムで舞い始める。黒い紗のドレスのアンヌは、低音を受け持つ中太鼓をバチで叩いてリズムを刻む。流れが盛り上がりピッチがあがってくると、白い歯を見せて笑顔を浮かべ、踊り手たちの動きを追いながら嬉しそうに身体を揺らす。踊り手たちが縦横に飛び、はじける。

男は、ギニア人女性の踊る伝統舞踊は、アフリカンミュージックの源流地帯といわれる高地ギニアの村々で何度も見、その動きの激しさと鋭さ、そしてあふれるエネルギーにはいつも驚かされているけれど、白人女性の踊るアフリカンダンスはまったく初めてのことで、多分に昇華されたなまめかしさを感じつつ、女性たちのやわらかな動きに目をうばわれている。ステップを踏む衝撃、跳躍、腕の投げ出し方、腰の動き、すべてがしなやかで繊細。高地ギニアの村の広場で、砂埃を舞い上げて踊る黒人女性たちのダンスとは、その迫力に圧倒的な相違があるものの、それでも郷愁を誘う目の前の踊りに、男は狭くなった地球を感じ、乾季の枯れ野原を吹きすぎる灼熱の風を身近に想いおこしている。
◆バマコの空港喫茶室

昨年の暮れのこと、男はパリからコナクリへ向かう飛行機の中にいた。午前中にパリを出て、明るいうちにコナクリへ着けるはずの便だったものの、都心のホテルからシャルルドゴール空港に着いてみれば、出発時刻案内の表示さえまだ出ていず、日をまちがえたかと男は首をひねる。カウンターで確認すれば、出発時刻がすでに午後へと変更されていて、その時点ですでに4時間程度の遅れ。もっとも、それはよくあることで、今日のうちに飛んでくれるといいな、と呟きながら男はカフェへ向かう。そして、充分に待ちくたびれた後で、男の乗ったエールフランス機はバマコ、コナクリへ向けて離陸。

この日、この便の経由地点となっているマリ共和国の首都バマコでは、ギニアとリベリア、シエラレオネ3国の国境問題について、西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)のサミットが開かれていて、各国の首長クラスを乗せた飛行機の出入りのために、一般機の離着陸が制限されていた。

日が沈みかけた時刻、男の乗った便はとりあえずバマコへ着陸したものの、機体の移動が許されずに長時間の待機。バマコで降りるマリ人、異邦人もしびれを切らしきった頃、首長を乗せた隣国の飛行機が飛び立ち、乗客たちは、空港ターミナルからはかなり遠い場所で解放される。離陸時刻が決まるまで、喫茶室で待てとの指示。

他の機のジェット噴射を避けながら、空港ターミナルへ向かって歩く途中、男の近くにいた白いTシャツの女性と視線があう。長い黒髪をかきあげながら、目で挨拶を返す落ち着いたその女性は、顔の表情、たおやかさから、あるいは日本人かもしれないという感じはしたものの、それはきわめて稀なことなので、男はとりあえず英語で、「コナクリへ行かれるのですか」と尋ねてみる。きれいな英語で「そうです、初めてなのです」という答え。これは日本人の反応ではない。

空港の喫茶室で、支給されたビールを飲みながら、男のかなり破綻のあるフランス語を気遣って、「英語にしましょうか」というその女性は、ベルギー人。その名はアンヌ。 韓国人の両親から生まれた後ベルギーで育てられ、出生地ソウルのことは何も覚えていないという。「いやフランス語で続けましょう」と、男はそれが相手に対する義務ででもあるかのように繕ってはみたものの、その実、英語よりはふだん使いなれたフランス語のほうが、まだ会話がしやすいことを彼自身がよく知っているだけのこと。

アンヌは、擦り切れたセーファーフラン札を1枚見せて、去年このバマコに滞在した時の残りだという。アフリカン太鼓(Djembe)の国際的な指導者と目されているギニア出身のママディ・ケイタ師のブリュッセルの教室に、彼女はいる。去年は、マリのバンバラ文化圏で太鼓の修行をしていた同窓の日本人パーカッショニストを訪ねたものらしい。今年は、その彼がコナクリにいるという。(めるまが「Gold News from Guinea」から=つづく)

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