国際社会での「歴史紛争」-虐殺(2)
執筆者:美濃口 坦【ドイツ在住ジャーナリスト】
●「覚えているほうがよい」対「忘れるほうがよい」
それでは、フランスの国会の「ジェノサイド認定」決議をはじめ、なぜ国際社会で現在昔のことが蒸しかえされて、歴史的紛争、論争になるのだろうか。選挙区にアルメニア人の子孫がたくさん住んでいるとか、トルコのEU加盟の願望に水をさしたい。このような事情が原因であるのは、前回紹介した毎日新聞の記事をはじめ多くの人々が指摘する通りである。
でも、昔も政治的目的を遂げるために色々な手段がとられたが、今のように「歴史紛争」「歴史論争」というかたちにならなかった。ということは、政治目的に利用されることを指摘するだけでは、昔のことが蒸しかえされるようになったことを説明できないことになる。
多くの人々、特にドイツ人ジャーナリストは、トルコ国民がこの「ジェノサイド」を認め、そのこと記憶に留めることによってのみアルメニア人との和解が可能になると主張する。これは、忘れないで思い出すこと、そのために昔のことを蒸し返し、決着をつけることが真の解決、和解に通じるという考え方でもある。もしかしたら、この考え方と「歴史紛争」の興隆と関係があるのではないのだろうか。
昔はどこでもこんな考え方をしなかった。というのは、忘れないで覚えているとは、復讐の意志表示であったし、だから恨んだりしないで、過ぎ去ったことは忘れたほうがよい。こうしたほうが和解できると考えたからである。ドイツ語に「何かの上に草を生やさせる」という熟語があるが、これは時間の経過に解決をまかせる考え方で、昔は忘れることの効用に今ほど否定的でなかったのである。
恐らくどこの文化でも、覚えているほうがよい場合、忘れるほうが良い場合、またいつもは忘れているが、決まった間隔で思い出すほうがよい場合とが区別されていると思われる。紛争に関して不満足なかたちであっても一応解決、一見落着した場合は、「忘れたほうがよい」と思われことが多かったのではないのだろうか。というのは、ある紛争が恨みを残すことなく完全に公平に解決することなどできないという認識が一般に認められていたからである。
とすると、かって一般に承認されていたこの認識、自明であったことがそうでなくなった。つまり現在から過去に遡って紛争を完全に公平に解決することができると、多くの人々が考えるようになり、その結果「覚えている」ほうがよいことになったのではないのか。
このことを次のように考えられないだろうか。かってマルクス主義を筆頭に、未来にユートピアを築く政治思想が多くの人々に魅力的であった。ところが、これらの未来志向ユートピア・イデオロギーの権威が失墜し、信頼を失った。未来に対して「理想郷」を追求することができなくなった。そのため、私たちが過去に遡って、今から(新たな恨みを生まない)完全に公平な解決を実現しようとする。時間軸上の矢印の向きが変わった。
1970年代の後半から80年代にかけて、社会主義という未来志向ユートピア思想がその魅力を失う。その頃、「忘れるほうがよい」とする思考から「覚えているほうがよい」考え方に転換するような精神風土がゆっくりと準備されたのではないのか。
●「ヒロシマ」をふりきった「アウシュビッツ」
今述べた思考パターン、少々おおげさにいえばパラダイムの転換について、別の視点に立って考えてみることができる。
地球上はじめて原爆が投下された「ヒロシマ」と、ナチのユダヤ人虐殺を象徴的に表わす「アウシュビッツ」の両方を、欧米の知識人は戦後長い間現代文明の極限として考えていた。つまり彼らの頭のなかで、この二つの事件は一列に並んでいた。ところが、マラソンレースでいえば、ある時から「ヒロシマ」が脱落し、「アウシュビッツ」が独走態勢に入る。それはいつ頃だったのであろうか。このあたりの事情がこの問題を考えるヒントになると思う。
というのは、「ヒロシマ」の脱落も、国際社会での「歴史紛争」のはじまりと無関係でない。厳しい冷戦で抑えられていた「加害者=枢軸国」という第二次世界大戦についての刑法的歴史観が復活したために、このような議論が始ったと見なすことができるからである。
「ヒロシマ」のほうは「アウシュビッツ」と異なり「被害者対加害者」の刑法的図式におさまらない。「加害者」に対して「警察官」の米国がやってしまったことだからである。「アウシュビッツ」、すなわち「ホロコースト」と呼ばれるナチのユダヤ人虐殺を強調することは、「被害者対加害者」という図式のみに基づく歴史観を普及させることになる。
ドイツの週刊新聞「ツァイト」で、ある知識人が原爆投下の「ヒロシマ」と、「アウシュビッツ」、すなわちユダヤ人虐殺の「ホロコースト」を昔同列に置いて論じた哲学者・文化人を片っ端から弾劾する評論を書いたことがある。同列に論じることで、彼らが「被害者対加害者」の区別をおろそかにしたというのがその弾劾理由であった。
私は昔から「ノーモア・ヒロシマ」の核廃絶運動について行けなかったが、でも広島と長崎の原爆投下がこのように扱われることに読みながら複雑な気持になった。これは冷戦終了後数年たった頃である。でも、この論調につながる「被害者対加害者」の図式で切ってしまう第二次世界大戦観は、後で述べるようにドイツでは八〇年代に定着している。でもヨーロッパで、これほどまでも「ヒロシマ」が「ご用済み」にならなかったのは1987年の米ソ中距離核戦力(INF)全廃条約調印までは核戦争の恐怖があったからである。
冒頭に触れたIBM訴訟との関連で米人歴史学者ポール・ヒルベルクが新聞インタビューで、米社会で済んだ話の第二次世界大戦を「よい戦争だった」とする意識は七〇年代の後半から目立つようになったと述べている。
この変化は、多くの人々が指摘するように、ベトナム戦争敗北後の米国社会の精神状態と無関係でない。状況が悪くなると誰もが良かった昔を思い出したいものだし、米国人の眼から見て「良い戦争」、「正しい戦争」で輝かしい勝利をおさめたとなると「第二次世界大戦」を持ち出してくるしかないからである。
●「ホロコースト」史観
少し前ペーター・ノーヴィックという米国の歴史家によって指摘されたが、戦後かなり長い間でナチのユダヤ人虐殺「ホロコースト」について語ることは犠牲者の内輪に限定されていた。米国のユダヤ人社会全体でこの忌まわしい出来事はどちらかというと忘れるべき事件とされていた。またユダヤ民族は自前の国をもつべきとするシオニストと、このイデオロギーに反して米国で暮らすユダヤ人は水と油のような関係にあった。
1967年に第三次中東戦争が勃発してこの状態がすっかり変化する。アラブ諸国に包囲され存亡の危機にさらされているように見えていたイスラエルが華々しい勝利をおさめる。その途端、奇妙なことに、米国在住ユダヤ人は親イスラエルに転じ、また民族絶滅の恐怖が蘇り、「ホロコースト」が彼らの意識のなかにどっかりと腰をおろし、それ以来出て行こうとしない。
次に、米社会内のユダヤ人も時代の流れに抗せずユダヤ教を離れたり、他民族と結婚したりする人々がどんどん出る。本来のアイデンティティーを失いつつある彼らを束にまとめてくれるものは「ホロコースト」だけになってしまう。「私たちは旧約聖書をヒットラーの『我が闘争』にとりかえてしまった」とある独在住ユダヤ人作家が嘆くのも、彼らが陥った倒錯したこの状況を物語る。
この「ホロコースト」志向が、七〇年代の後半にユダヤ人社会の垣根を超えて「輝かしい第二次世界大戦」の記憶を求める米社会のメインストリームに流れ込む。というのは、第二次世界大戦下に起こったこのジェノサイドほど、敵国の不正義を示し、結果として米国のした戦争の正義を証明してくれる事件はないからである。
こうして種々雑多な無数の事件が起こった第二次世界大戦をホロコーストに収斂させる「ホロコースト」史観が成立する。ホロコーストの現場である「絶滅収容所」は米軍でなく、ソ連軍に解放されたのであるが、こんな些細な事実は重要でなくなる。
この「ホロコースト」史観が米国社会、しいては欧米社会で普及するにあたり、ユダヤ人が伝統的にメディア世界で重要な地位を占めていたこと、特に涙腺をしぼりつくすハリウッド映画が役立ったことはいうまでもない。
この数年来、米国はホロコースト・ブームというべき状態で、ワシントンを筆頭に大きな町にはホロコースト記念館があり、また多くの大学に「ホロコースト」講座ができ、研究者のポストだけでも千以上あるそうである。この事態は、米国自身は加害者でも被害者でもないし、遠くのヨーロッパで起こった事件であることを考えると、異常である。
国際社会の「歴史紛争」の展開に重要な役割を演じるのは「ホロコースト」をおこした張本人のドイツである。第二次世界大戦に関して、昔からこの国の人々は意識の上で自分たちがした戦争と「ナチがやった収容所での出来事」を切り離して考える傾向が強かった。戦争を直接体験した世代は自分たちが手を下したのではない限り、昔から「ホロコースト」のほうは弾劾するが、反対に「戦争」に対してはアンビバレントな気持を抱いていた。
80年代に入るとこの世代の人々は社会のなかで少数派に転落する。それ以来「戦争の記憶」が希薄になり、第二次世界大戦が「ユダヤ民族虐殺+アルファ」にどんどん縮んでいく傾向にある。この「アルファ」とは、歴史的事実として教科書に記載されているかもしれないが、人々の意識の上で重要でない事件である。
1985年の有名なヴァイツゼッカー演説以来1945年5月8日の敗戦日は「ドイツ国民解放日」として定着してしまった。こうして負けたドイツ人はいなくなると、戦争がなかったことになるのではないのか。これも彼らの意識の上で第二次世界大戦が収縮していく事情を物語る。
こうして、ドイツ社会も米国とは別の事情から「ホロコースト」史観になってしまったのである。戦争の歴史が「ユダヤ民族虐殺」に収縮してしまうと、敗戦国と戦勝国の区別がなくなる。だから米国で進行中の集団訴訟で戦勝国や中立国の企業までもが補償金の支払いを求められている。
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