国際社会での「歴史紛争」-虐殺(1)
執筆者:美濃口 坦【ドイツ在住ジャーナリスト】
若い頃文芸評論家の小林秀雄を読んだが、よくわからなかった。それでも「歴史とは、人類の巨大な恨みに他ならぬ」というのは今でも憶えている。この数年来、ドイツで暮らしているとこの言葉を思い出すことが多い。例えば次のような話を読んだときである。
●「アルメニア人殺害」虐殺をめぐる仏とトルコの対立激化
《第1次世界大戦中のオスマン・トルコによるアルメニア人殺害をめぐり、仏とトルコの対立が激化している。仏国会が殺害を「大虐殺(ジェノサイド)」と認定したのに対し、トルコ政府はパリ駐在大使を召還して激しく抗議したほか、連立与党の祖国党は24日、第2次世界大戦後のアルジェリア独立運動への弾圧を「仏による虐殺」と非難する決議案を国会に提出するなどの動きが出ている。過去の歴史をめぐる対立は他の欧州諸国にも広がっており、トルコの欧州連合(EU)加盟問題にも悪影響を与えそうだ。、、、、、》(2001年01月26日付け毎日新聞)
日本の読者には遠くの国の遠い昔の話について今から書くのは少し事情がある。私がメールを交換するようになった読者の方が日本だけが国際社会で「慰安婦」問題を言われ続けて不公平だと嘆かれたからである。実情は、「過去の歴史をめぐる対立」や、その結果ある国民の昔の行状を非難されることなど国際社会で日常茶飯事である。ロシアなど非難する気にもならない国こそ、期待されていない証拠であり、私など少し気の毒になる。
かなり前米国でかっての「アフリカ人奴隷」のことで集団訴訟がはじまるというニュースが流れた。この毎日新聞の記事にあるアルメニア人「大虐殺(ジェノサイド)」認定決議でひと悶着があったと思ったら、今度はユダヤ人登録に利用された技術をドイツ子会社経由して提供し、ナチのユダヤ民族虐殺に間接的に協力したかどで米企業IBMが訴えられて、アルメニア人の話は誰もしなくなった。そのうちに今度はユダヤ人の輸送に協力したことでフランスの国有鉄道に対する集団訴訟が近々はじまるというニュースが飛び込んできた。いずれにしろ、日本列島の住民は自分たちばかりとひがむことはないと思う。すぐに自国と関係づけないで、距離をとってこの種の問題の意味を一度考えてみる必要があるのではないのか。
●「強制移住」対「民族の浄化」
さて、「大虐殺と認定されたアルメニア人殺害」であるが、前世紀のはじめ1914年から1918年まで続いた第一次世界大戦に起こった出来事である。当時、欧州の「列強」はドイツとオーストリアの同盟側と英仏露の協商側にわかれて戦争をした。「大虐殺」非難をされているオスマン・トルコは同盟側に立って参戦した。
最盛期にはアジア、アフリカ、ヨーロッパにまたがる大帝国であったオスマン・トルコも一九世紀に入ってからは領土内で諸民族が独立・分離する末期的症状にあった。独立戦争が発生する度に欧州列強が干渉したのはいうまでもない。トルコが特に脅威を感じたのは極東で日本に封じられ、南進エネルギーをこの地域に集中するようになったロシアの存在であった。
この状況から想像できるように、トルコにとって第一次世界大戦とは英仏露の協商国に対して戦争するだけでなく、自国領土内で独立しようと蜂起する他民族に対する内なる戦争でもあった。映画にもなった「アラビアのローレンス」が活躍するのもこの戦争で、これは愛国イギリス青年がアラブ人をオスマントルコに対して蜂起するように仕向けた話である。
「アルメニア人大虐殺」と関係あるのはこの「アラビアのローレンス」でなく、開戦後間もない1995年春の雪解けとともに攻勢に転じ南進するロシア軍とそれに呼応してオスマントルコ領土内で蜂起するアルメニア人であった。トルコ側に立って戦略的に見ると、背後から攻撃され挟み撃ちされないようにするために、現在のトルコ東部地域に居住していたアルメニア住民を強制移住させたことになる。「大虐殺」はこの強制移住と関連して起こった。
「強制移住」といっても平和な日本ではピンと来ないと思う。突然、アルメニア住民が町や村ごとに住居から立ち退くように命じられ、着の身着のままで南部のメソポタミヤに向かって歩かされた。この移動中に、殺人、略奪、強姦等あるゆる残酷で凄まじい地獄絵が展開し、また飢餓や病気や疲労で死んだ人々もあったと思われる。いずれにしろアルメニア人側は150万人が殺され、60万人だけが生き残って外国に逃げることができたと主張している。
この「強制移住」は戦時下の緊急措置で、「疎開」のようなもであり、戦争終了後、元の居住地に戻ってもらう意図をもっていた、とはトルコ側は絶対いえないはずである。ということは、現在の表現では「民族の浄化」に近かったことになる。これは、多民族国家オスマン・トルコでなく、民族的に同質なトルコ人だけの国民国家建設を夢見た「青年トルコ党」指導者が戦争のどさくさを利用した結果である。だから、「大虐殺(ジェノサイド)」の意図と計画があった。アルメニア人側はこのようにトルコを非難する。
それに対してトルコ側は殺人・略奪・強姦といったあらゆる残酷な仕打ちがあったことを認めるものの、この強制移住の対象になったアルメニア人の数が70万人であるので、150万人という数は誇張で、死亡者数は三十万人ぐらいであったと主張する。更にこの事件は戦時下の混乱状態で起こったことであり、「大虐殺(ジェノサイド)」の意図などなかった。今まで証拠として提出された計画書も偽作である。
またアルメニア人だけが殺されたのでなく、第一次世界大戦とその直後の分離・独立戦争でトルコ側(回教徒であるトルコ人とクルド人)の戦死者は250万に及び、これは人口の18パーセントに相当した。このような時代状況を考慮してほしい。以上がトルコ側の主張である。
この事件で多数の生き残ったアルメニア人が故郷を失い、欧米社会で暮らすようになった。彼らはトルコ人を恨み、事件について語り続けた。確か映画「エデンの東」のエリア・カザン監督もフランスのシャンソン歌手シャルル・アズナブールもこのような運命にあったアルメニア人もしくはその子孫であった。
●「虐殺」と「ジェノサイド」の意味
私はドイツ語を話しても関西弁に聞こえるほど語学的才能に乏しい。そのせいか日本語に横文字を混ぜる人は昔からハイカラ過ぎで苦手であった。でも今回のテーマでは避けられないような気がする。
私たちはブリのコドモをハマチと呼んで区別する。つまり文化によって対象の区別の仕方が異なる。多数の人間が殺されたとき、欧米文化圏と私たちとでは区別の仕方が異なるのではないのか。そのために、上記の新聞記事を日本人が読んでもピンと来ない。そんな感じがする。
私たちは日本語で「殺害」の残酷度が強まると「虐殺」になると思っている。次に、この規模が大きくなると「大虐殺」になり、そのうちに見慣れない横文字の「ジェノサイド」に接近する。私たちは日本語で考え、大量殺人をこのように把握している。こう考えながら、私たちは冒頭の記事を読んだし、このように把握されることが前提となってこの記事も書かれている。もちろん私たちが日本人同士で議論している分にはこれでよいのである。
問題は欧米人と大量殺人について議論するときである。彼らの区別はどうであろうか。私はドイツに長く暮らしているせいかドイツ人の頭脳内回路について少しは見当がつくが、米国人、英国人、フランス人となると本当は自信がない。それでも敢えて欧米人と書く。というのは、彼らは昔から多数の人が殺されると「マサカー(英語の綴りではmassacre)」という単語を使うが、これは欧州の色々な言語に共通するからである。日本の世界史で習った「聖バーソロミューの虐殺」をはじめ歴史上の有名な大量殺人はヨーロッパではこのコトバで登録されている。私たちは昔からこの「マサカー」という単語に「虐殺」とか、「大虐殺」とかいった日本語をあててきた。有名な「南京大虐殺」もこの「ナンキンのマサカー」である。
この「マサカー」という単語を、ドイツ人が聞くと流血惨事を連想するそうだが、血を流さずに大量殺人が可能になってからも、この単語が使われる。次に「多数」という表現は不特定で、何百万人殺されようが「マサカー」で、日本語訳では「虐殺」である。
反対に、人死の少ないほうはどうかというと、英国史のなかに「アンボイナの虐殺」というのがあるそうで、これは17世紀に12人の英国人商人がモルッカ諸島でオランダ人に殺された事件である。これが死者数最小の「マサカー(=虐殺)」であるそうだ。要するに「多数」というのは数百万から12人までで非常に幅が大きいのである。
12人殺されても「マサカー(虐殺)であった」と見なす文化圏の人々に「『南京大虐殺(ナンキンのマサカー)』はまぼろしであった」というのは、下手すると「12人も死んでいなかった」と主張していることにならないだろうか。幾ら身贔屓の強い日本人でもあの時の南京での死者数が11人以下とまで主張する気はないはずである。
このように考えると、異文化間コミュニケーションは厄介である。自分ひとりで納得しているのではなく、何を伝えたいか、本当にそのことが相手に伝わるのかを考えてから発言すべきである。
さて「アルメニア人殺害」に戻ると、今回のフランスの国会決議にあり、問題とされているのは「マサカー(虐殺)」でなく、「ジェノサイド」である。
ではこの「ジェノサイド」であるが、二十世紀が進行するとともに人権思想が強まり、似た事件を表わすのに別の概念が出現した。このコトバはギリシア語の「民族」とラテン語の「殺す」を組み合わせてつくった法律用語である。米人法律家のラファエル・レムキンが1933年にはじめてこの用語を使ったとされる。
「ジェノサイド」はドイツ語でわかりやすく「民族の殺害」というコトバで置きかえられることが多い。ところが、このコトバの意味はもう少し広い。というのは、これは、ある特定の民族や人種だけでなく、特定の宗教に属する人々を、あるいは特定の社会グループに属する人々を直接絶滅させる行動を意味する。更に、例えば生存条件を悪くして間接的に絶滅に通じるような行いをすることもこの意味に含まれる。1948年12月9日の国連総会で、このような行為を国際法的犯罪とすることが満場一致で決議された。
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