ソニー「エアボード」に新聞の未来を見た
執筆者:萩原 俊郎【鳥取県倉吉市新聞記者】
これが未来の新聞か?
先日、産経新聞(大阪版)の1面に「新聞まるごと“電子配達”」の見出しで、今年夏から新聞紙面のレイアウトをそのまま高速インターネットで各戸配達する旨(むね)が出ていた。
文字の拡大が自在で、読者は好きな紙面だけ自宅でプリントアウトすればいい、という「インターネット新聞」だ。同紙は「日本初」と自慢げだが、実はニューヨーク・タイムスも今年末から、記事でなく紙面そのものを「有料」で配達するシステムを導入するらしい。シカゴ・トリビューンは先日、ベストWEB新聞に選ばれたばかりだ。「いよいよ本命の未来型新聞が登場か」と見る向きもあるが、どうもそれは早合点ではないだろうか。
新聞業界は今、「迷走」している。最近は全国紙だけでなく地方紙もホームページを持ち(99年末で65社)、記事提供(オンラインサービス)しているが、いずれも「無料配信」で、採算面で見通しは立っていない。ただ「急速なデジタル化に、わが社だけは遅れまい」という姿勢に過ぎない。
そこで、こうした産経のような「紙面まるごと(有料で)配信」という発想になるのだろうが、これでは単なる「ペーパーレス新聞」である。確かに、アジアの森林資源を食い尽くしている日本の新聞業界はやがて世界から非難を浴び、近い将来、ペイパーレスを採用せざるを得なくなる。ひょっとして「紙で新聞を読む」のは裕福な階層しか味わえない贅沢になるかもしれない。
だが紙面をそのまま画面上に映したような新聞では、あまりに能がない。
日本橋で見つけた「未来」
未来の電子新聞(WEB新聞)らしきものを、先日、大阪日本橋の電気街で見つけた。SONYが昨年末に発売した「エアボード」である。テレビもメールもインターネットも、すべてこの「移動式液晶テレビ」の画面上で、指でタッチして選べる。インターネット上ではニュース、天気予報、娯楽などの情報コンテンツが並び、それを選択する。もうすぐ、薄型軽量でビニールのように柔軟に曲げられる液晶画面も開発されるというから、ほとんど「紙」に近い(ただし、私のように風呂の中で新聞を読むのは困難?)
また電子新聞の内容自体は、アメリカのCNNのホームページあたりが一番近いように思う。つまり映像と文字情報を同時提供する、ということ(たとえば米大統領選で「ヘッドライン」をクリックすれば今日のテレビニュース、「ビデオ」をクリックすれば昨日の公開テレビ討論のもよう、さらに「解説」をクリックすれば記者の解説が読める。加えて候補者の経歴や過去の関連記事が次々引き出せる。
そうしてみるといずれ「ソニー傘下の情報コングロマリット」のようなものが生まれ、明治以来、情報産業の頂点に君臨してきた新聞は、そこにコンテンツを提供する一部門に転落するかも知れない。すでにそのにそのようなコングロマリットが次々生まれているアメリカ(タイム・ワーナーグループなど)など外資参入やまったく異業種の産業からの殴り込みもあるかもしれない。
新聞は斜陽産業か?
…と一般論=他人事のようなことを書いてきたが、地方紙とはいえマスコミの端くれでメシを食っている人間にとっては、心中穏やかではない。しかも拡張中心(新聞は部数だ!)でやってきた古い世代の幹部らにその危機感はなく、事なかれ主義や社内抗争に明け暮れているのが、地方紙の一般的な姿ではないだろうか。
先日、Y紙に勤める古い友人と電話で話していて、「おれたちゃ鉄鋼や造船と同じく、斜陽産業に就職したのかもしれないな」と深いため息をついた。
ところが、どっこいである。混迷の時代だからこそ「新聞の核」の部分が浮かび上がってくる気もする。たとえば…
(1)地方紙の役割 報道発表資料は今や自治体のホームページで一般の人間が簡単に入手できる。地方に住む人間(とくに私が住んでいるような過疎県の住民)にとって、これからはむしろ地元に対する正確で豊富な情報、歯に衣着せぬ鋭い批判や解説、足で取材した記事、論評的なコラムの需要が増しているが、これまで記者クラブの発表ものに惰眠をむさぼってきた地方紙は、その能力がますます落ちている。
(2)紙面への信頼性 その点、多くのWEB読者(視聴者?)の信頼を得られるための社の基本精神=とくに政治的、経済的な中立性、公平性はますます問われる。「部数が多い」とあぐらをかいている新聞はたちまち見放されるだろう(販売店に断りの電話をする必要もない。クリックすればいいのだから)。
(3)ネットの双方向性の活用 新聞はこれまで半ページしかない「読者欄」で申しわけ程度に「下々の声」を載せてきた。しかし今の時代、読み手の中には、記者よりよほど専門知識があったり、鋭い批評眼を持った人間がいるのだ。記者はその特権的立場におごらず、新聞社内という「安全圏」に逃げ込まず、ネットを通じて突きつけれた記事への批判や論評をむしろ紙面に積極的に生かし、文字通り「読み手とともにつくる」新聞を目指すべきではないか。
(4)ケーブルテレビとの連動 実は地方紙の多くは地方ケーブルテレビ局を傘下に置いている所が多く、独自にサーバーも持っている。だがこれらを連動して総合的に情報提供するという発想がなかった。
この指、とまれ!
「IT」の文字が新聞やマスコミに流れない日はないが、しかしIT化による日本の新聞の将来について論評しているものは極端に少ない。とくに「地方紙の将来」に至っては。「地方紙のWEB化」や地方ジャーナリズムのあり方についてワイワイ話し合うネット茶話会みたいなものが欲しいと思ってます。
情報洪水の中で、地方の主張と情報分析を―。面白いと思った方、関心のある方、また同業者の方はご返事を下さい。
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