国家デザインとして考える木造建築の公共事業
執筆者:中野 有【北東アジアビジネス協力センター事務局長】
異国の地を訪れたとき、ガイドブックに頼らず気の向くままに町を散策するのが好きだ。アフリカにはアフリカの、ヨーロッパにはヨーロッパの、その地しかない魅力がある。概していえば、中近東やアフリカの町並みには灼熱の土の香りがあり、ヨーロッパは石畳から伝わる鼓動と石の建物の歴史的な重みがある。町の景観は、視界で捉えられるだけでなく町の香りや町の生活感溢れる音の響きで一層引き立てられる。名所旧跡もいいが何気なしに出くわす町の中には文化、芸術によって醸し出される風土が存在している。
旅をして「ときめき」を感じるのは、その町にしかない景観に出くわしたときである。さて、日本にはそんなときめきがあるのだろうか。日本の海外旅行者は不況にもかかわらず増え続けているが、一方海外から日本に来る人数は極端に少ない。今一度、日本の魅力を見つめ直す必要があるのではないか。アフリカには土の家、ヨーロッパには石の家というように日本の風土には木の街並みがマッチする。
京都に生まれ育ち、20年かけ世界各地で生活し、日本の地方の素朴で美しい自然や人情にも接してきた。この世紀越えに故郷京都で過ごし、京都が持つ日本の文化・伝統の粋に感じ入った。京都にいるときは京都の良さが分からなかったが、今は妙に京都が新鮮である。京都で21世紀を占うこんな言葉に出くわした。
「21世紀は人間が再び心を呼び戻すときである。京都には1200年間に育まれた歴史・伝統がある。必ず人々は心の拠り所として、京都に目を向けるであろう」
20世紀の前半の日本は軍事的膨張に明け暮れ、後半は経済成長の虜になった。前世紀は、破壊や開発が中心であったが、その反動から21世紀の前半は伝統文化に磨きをかけることに目が向くのではないだろうか。
悪貨は良貨を駆逐するとの如く、四季折々の日本の風土に根ざした本物の木造建造物が経済効率の良い外来材や加工品によって本物が追いやられてきた。世界に誇れる日本しかない木造の街並みが一部は保存されているものの激減した。ヨーロッパの街並みが石の芸術といわれるように、日本も木の匠の芸術や本物志向が生活の中にとけ込むことにより、日本の日本たる所以が呼び戻され世界が注目する日本が再生されるのではないだろうか。
法隆寺は1300年前に1000年以上の年輪の大木で建造された。日本の伝統芸術によって建造された木造の建物は生命が宿ると言われている。木にはぬくもりがあり香りがある。また木の音にこそ景色がある。日本の景観にとって木造建造物は不可欠である。
日本は、東洋と西洋の文化を吸収して日本独自の文化を創造してきた。日本の街並みを見てみても色々な建物が混在している。和風、洋風、折衷、俗物と現代の日本の縮図ともいえる。問題は日本の景観がぼやけてきたことだ。そのアンチテーゼの動きとして歴史的建造物の保存にとどまらず、土蔵、屋敷などの古い街並みをそのまま生かした特色ある街づくりが滋賀県の長浜や鳥取の倉吉等で見られる。これらの地域の志が乗数効果を呼び起こし、例えばウイーンの街全体が石の芸術と言われるように日本の街並みが歴史、文化、芸術が漂う居心地良い空間にならないだろうか。
日本の公共事業は開発一辺倒だが、これからの公共事業は、地元の木を有効に使い匠の技が光る公共建造物を文化遺産として造ることを考えてみては如何だろうか。生活感と芸術・文化の香りがする木の街並みが造られることは観光のみならず地域の発展、ひいては国益につながると考えられる。あえていうなら超近代的な建物と和風の町並みを造る。俗物と本物のごちゃ混ぜでなく、妥協のない古典と現代の最先端の融合による歴史的建造物が求められる。そんな公共事業が理想と思うのだが。どうだろう。日本の国家戦略として日本の街並みをデザインする時期に来ているのではないだろうか。そうすれば海外からの観光客も増えるだろう。
中野さんにメールはnakanot@tottori-torc.or.jp