執筆者:伴 武澄【萬晩報主宰】

長野県で田中康夫知事が生まれ、政治の閉塞感に一脈の光明が見えたと思ったら、自民党の加藤紘一氏がついに重い腰を上げた。森首相の退陣を求めて野党が提出する予定の内閣不信任案に同調する構えをみせている。政局の一歩先が闇といわれているから将来を予測することはできないが、次に起こるだろう展開にわくわくしている。加藤氏の行動に拍手をお送りたい。

加藤氏の動きは金曜日に始まった。森派会長の小泉純一郎氏に野党の内閣不信任に同調する意向を伝えたところから始まった。加藤氏は翌11日、記者団に「ドラマが始まった」と語り、朋友の山崎拓氏も「加藤氏は退路を断った。私も同じだ」と同調する意向を表明した。

同じ日の朝日新聞のインタビューに対して「森内閣では日本が壊れる」と現政権との決別を表明。20年前大平内閣に対する野党の不信任案決議で福田派が欠席したことに触れ「大平さんだったら、おれが福田さんや安倍君にやられたことを君がやろうとしているのかとニコニコ笑うかもしれない」などと語り、12日朝のNHKの番組では「不信任決議への欠席も賛成も同じだ」といった内容の説明をし、倒閣の意志をさらに鮮明にした。

加藤氏とは一度だけお会いし、その演説を聞いたことがある。20年近く前、自民党の候補者の応援に宮沢喜一氏とともに高知県入りしたときである。当時の加藤氏は40歳代前半。どういう話を聞いたのか忘れたが、若々しく、なによりも久々に「自分の言葉を持った政治家だ」との印象を抱かせ、こういう人が日本の将来を担ってくれればと考えた。

だがその後の加藤氏についてはろくなものがない。常に「勇気が欠如した政治家」といったイメージがまとわりついていた。本来、政治家は自己主張を掲げて自ら政権をとる戦いに挑むものである。故田中角栄以来、日本の政治はこうした政治家に恵まれなかった。小沢一郎氏が自民党を割って連立政権を勝ち取ったが、自ら首相にはならず、ナンバーツーとして政権をあやつろうと間違いを起こした。

90年代の日本全体を覆う閉塞感は「どうせだれも日本を変えようとしないのだろう」というあきらめにある。日本の将来に明るい展望を示す強力なリーダーシップが生まれるならば、多少の経済の停滞や負担増には耐えられるだろう。

われわれが求めているのは1%や”%程度の経済成長という政府公約の実現ではない。村上龍氏が「希望の国のエクソダス」で主人公の中学生に何度を語らせた「希望」という一語なのである。IT革命、教育改革、どれをとっても役人の作文しか期待できない。それはリーダーの資質が問われているからなのだ。

森首相が英語ができなくともパソコンを打てなくともなんら問題ない。われわれに必要なのは閉塞感から這い出るための「メッセージ」とわれわれを奮い立たせる「ミッション」である。

4月、小渕恵三前首相が病に倒れた間隙に、当時の青木・野中・亀井・村上が密室内でかってに決めたのが森政権であることを思い出し、加藤氏が発したミッションに一人でも多くの政治家が賛同して新たな政治的活路が開かれることを期待する。