渋谷のドットコム企業
執筆者:平岩 優【ジャーナリスト】
今春、渋谷界隈のネット関連企業の集積がシリコンバレーならぬ“ビットバレー”として、マスコミにさかんに取り上げられた。ビットバレーとは99年春頃から自然発生的に形成されたネット関連ベンチャーの集まりである。今年2月のビットバレーの集会には野次馬も含めて、3000人の参加者が集まり、社会的なムーブメントとなった。かってファッション、音楽など若者文化の発信地といわれた渋谷がIT関連の集積地となりつつあるようである。
たとえばゲームなどのCGクリエイターの養成校として名高いデジタルハリウッドが今年、JR渋谷駅前の新ビル「Qフロント」に渋谷校を開校した。デジタルハリウッドは94年に開校し、いままでに1万5000人以上のCG、webクリエイターを育成してきた。私も5年ほど前に、3D映像の制作現場をのぞかしてもらったことがある。
しかし、渋谷校ではクリエイターだけではなく、インターネットを使ったビジネスモデルを構築しようという企業やビジネスマン、起業を志す人のためのカリキュラムも始められた。渋谷校に通う生徒は大学生から60代と幅広いが、フリーターが少なく、社会人が7~8割を占める。日曜日の午前1時~6時30分開講のミッドナイトスクールでは、9割が社会人である。すでに在学中から起業する生徒も輩出し、同校自体がネット関連のクリエイターやビジネスマンのコミュニケーションの場となっているようだ。
また、同じ駅前にオープンした「マークシティ」にもIT関連のインキュベータースペースがオープンし、起業家が殺到しているようだ。ちなみに、このマークシティのオフィスのテナントの約半数はIT関連企業によって占められているという。
東京23区内に本社のあるネット関連企業は1194社あるが、そのうちの37%にあたる436社がビットバレーと呼ばれる渋谷区、港区にある(99年「首都圏白書」国土庁まとめ)。その理由にはマイクロソフトやAOLジャパンといったIT関連の大手取引先が多いことや、通信回線の環境がよいことなどあげられている。ビットバレーのベンチャー活動を支援するNPO「ビットバレー・アソシエーション」によれば、渋谷界隈のベンチャー企業でアルバイトをしていた学生が、卒業後、ワンルームマンションを借りて起業する例なども多いという。学校からのアクセスがよく、アフターファイブに遊べて、しかも私服で仕事ができるようなワークスタイルがフィットする街ということであろうか。
好きなインターネットでビジネスを
尾関茂雄さん(25歳)もそんなアントレプレナーの一人だ。尾関さんは大学時代から「好きなインターネット」でビジネスを立ち上げたいと考え、「ネットエイジ」(インキュベーター)の創立に参加したり、「サイバーエージェント」(ネット広告)に籍をおいてビジネスを学び 、99年10月に「アクシブドットコム」(http://www.axiv.com)を創立した。
同社の事業はオンライン・プロモーション・サービス。具体的には企業の消費者向けの懸賞やプレゼント情報をホームページに集め、登録した会員向けに無料で応募代行サービスを行う。会員は名前、住所など必要事項をうめる手間をかけずに、希望する懸賞に応募でき、一方、同社は会員の属性や懸賞応募の履歴などをデータベース化し、マーケティング資料が得られる。こうした会員のデータは企業にとって商品開発の資料やDMの配信などに利用できる。
尾関さんは「一般ユーザーにいかに便利なものを提供し、会員数を確保できるかが勝負です」という。現在、懸賞の掲載企業は延べ約3000社におよび、6月からは携帯電話向けの窓口(http://mobil.myid.ne.jp)もオープンし、会員は10万人を突破した。年内には20万人の会員獲得を目標としている。
尾関さんはビットバレーの運営メンバーでもあり、この集まりに参加するメリットも大きいという。「最初のエンジェル(個人投資家)に出会えた」場であり、メンバー同士の情報交換、人材の交流や移動も活発に行われている。「やりたいことはたくさんあるが、人的ソースが追いつかない。それにITは進化のスピードが速く、自分ですべてをやっていては間に合いません。得意な分野に集中し、足りないところは提供しあっています」というように他社とのアライアンスも進んでいるようである。
●ビジネスモデルの特許申請
篠田示承さん(31歳)は大学卒業後、営業職、シンガポールでの日本人子弟の塾教師、司法試験への挑戦など、さまざまな履歴を経て、96年にweb構築の制作会社「東京サイバースペース」を設立した。資本金わずか2000円からのスタートだったが、99年度の売上げは6000万円を突破した。
しかし、篠田さんはそこで満足せずに、今年1月にはネット上でweb構築の受発注を仲介する会員制の「ミツモリドットコム」(http://mitumori.com/)を設立した。会員の発注者が「ミツモリドットコム」に仕事を登録すると、会員の受注者が見積もりを付けて応募する。いわゆるBtoB(企業間)の電子商取引である。会費は無料だが、ビジネスが成約した場合は受注者から5%の仲介料を徴収し、受発注者へのコンサルティングなども行っている。現在、会員数は1200社を突破、その所在地も北海道から沖縄までの国内にとどまらず、オーストラリアなど国外にまで広がっている。
篠田さんはこの事業アイデアをビットバレーなどさまざまなメーリングリストに流すなどして、19人のエンジェルから2550万円の資本金を集めることができた。また、アメリカのサン・マイクロシステムの目にとまり、ニューヨークのビジネスショーでプレゼンテーションする機会も与えられた。
篠田さんの日課は5時半に起床して、夜の10時まで仕事というハードなスケジュール。「ビジネスモデルの特許も申請しましたし、2002年の株式公開を目指します」と意欲を燃やす。
●インターネットで物件情報
インターネット上で不動産情報を提供する「ネクスト」の井上高志さん(31歳)は、もと不動産販売「リクルートコスモス」の辣腕営業マンだった。
井上さんは同社での営業活動から「物件探しなどを通し、不動産は情報産業であるにもかかわらず、インフラが整備されていない」ことを思い知らされる。だから、消費者に届く物件情報は質・量ともに不足し、流通自体が不透明でもある。そこで、97年に「ネクスト」を設立し、インターネット上の不動産情報システム「HOME’S」(http://homes.co.jp)を立ち上げた。このシステムは不動産業者が入会金3万円、月1万5000円の会費で、物件をいくつでも登録できる。物件の新規登録や登録抹消などのデータ更新もリアルタイムで行える。
一方、消費者はホームページ上で求めている物件の条件、賃貸住宅であればエリア、路線、間取りなどを指定すると、適合した物件の一覧表が表示される。個々の物件をクリックすればより詳細な情報をみることができる。現在、会員数は650社、一般公開物件は全国で8万件(登録物件は33万件)で、月間150万ページビューのアクセスがある。
井上さんの当面の目標は、年内に会員数を1000社にまで伸ばし、2002年度の売上げ目標を7億円とすることである。また、不動産業界の共通のデータベースフォーマットを作る構想などを通じて、不動産流通の改革を押し進めたいとしている。
3人の若き起業家の話を聞いていて、時代の大きな波がたしかにここに押し寄せてきていると感じられた。もちろん、この4月ハイテク株が暴落しネットバブルが囁かれたように、ネットベンチャーのビジネスモデルが企業収益に即、結びつくわけではない。登場していただいた経営者が成功モデルを作れるかどうかも不明である。ある外資系金融機関のアナリストからは、台湾のベンチャーに比べたら、語学力もなくひ弱だという意見も聞いた。しかし、ここに寸暇をおしんで、しかも生き生きと楽しみながら仕事に打ち込む若い世代が台頭している。しかも、この人達の話からはそれぞれ旧いシステムややり方を変えて、新しい社会(システム)を作りたい、新しい生き方をしたいという「世直し」の気概も感じた。こうした起業家たちの集積がまた呼び水となり、篠田さんは「いま、野心のある若者が渋谷を目指して集まってくる」という。
振り返ってみれば、ここ20年ぐらいの日本は衣食足り、消費財は手を伸ばせば何でも手に入るが、強い閉塞感につつまれていなかっただろうか。成功した経済大国の一員たるには、決められたコースが設定され、これでいいはずはないと思いながら、皆が表向き平和と平等を享受する振りをしていた。そうした欺瞞は子供たちに伝わらないはずがない。
もちろん、そんな社会に風穴があいたとは、まだ思えない。しかし、結果の良し悪しはわからないが、古いくびきを断ち切ろうとするある力の兆しが現れたように思う。
ちなみに、依然、賃料の低下が続く東京のオフィス街で、渋谷だけがオフィスの引き合いが多く、賃料が上昇しているようである※。街を活性化するのは大規模なインフラや施設の建設などではなく、まず、そこに住まい、働く人の力であろう。
※(社)東京ビルヂング協会の7月調査によると、千代田、中央、港3区は4月に比べオフィス賃料水準が低下したが、渋谷区は16.7%上昇(2000年9月20日付け日本経済新聞)。
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