執筆者:園田 義明【萬晩報通信員】

ある家庭の子供部屋のがらくた箱には、プラスティック製のおもちゃが山のように入っている。マクドナルドのハッピーセットのおまけがこの箱の主人のようだ。テレビCMでお好みのおもちゃが登場すると、その週末にはマクドナルド一家となる。

実はその父親も嫌いではないらしい。週に2~3度利用することも少なくない。混雑する時間を避けて、早々とビックマックを飲み込みノートパソコンを開いてなにやら仕事をしているようだ。牛丼も捨てがたいが、さすがにカウンターで仕事をする勇気はないようだ。

その父親は今でもたまに「マクドへ行くぞ」と言って子供から『?』を投げかけられる。千葉で生まれた子供にとってマクドナルドは「マック」であって「マクド」ではない。関西の方はくれぐれも気をつけよう。

この父親は、たまにビッグマックをみつめてしまう。「できるだけ米を食べなさい」と言われて育ったために罪悪感を感じてしまうのだ。そんな時の飲み込むスピードは半端ではない。

◆マクドナルドの世界
日本でのマクドナルド1号店は1971年7月に銀座三越1階でオープンした。今では日本国内だけで3,000店を超えている。本社はアメリカイリノイ州オーク・ブルックにあり、世界で見ると119カ国約27,000店鋪という大変な数字が出てくる。まぎれもないビッグ・カンパニーである。

当然のことながらこのマクドナルドも毎年アニュアル・レポート(年次報告書)を拝借しているが、社外取締役にはウォルマートのジェニー・ジャクソンCEOと非常に気になる大物が就任している。

現在のCEOであるジャック・グリーンバーグが企業向け保険分野で米国最大の規模を誇るアメリカン・インターナショナル・グループ(AIG)のグリーンバーグ・ファミリーの一員だったらさぞかし面白いはずだが、このあたりの分析は広瀬隆氏にお任せしよう。

とにかくある会社との関連性をずっと捜してきたのである。そんな時、待望のニュースが届いた。

◆マクドナルドとカーギルとの関係
マクドナルドは今年7月25日、世界の卸売、小売業者、レストランなどと取引がある食品関連の大手3社と提携し、インターネット上で食材を取引する「電子商取引所」を設立すると発表した。互いの売買注文を効率化することで、在庫を抱えるコストなどの大幅削減を狙う。

マクドナルドと提携したのは、穀物商社カーギル、食品サービス大手シスコ、食品加工大手タイソン・フーズ。4社の共同出資で、合弁会社「エレクトロニック・フードサービス・ネットワーク」をイリノイ州に設立する。

世界で約27,000のチェーン店を展開するマクドナルドの食材調達体制を中心に、各社の取引ノウハウを活用しながら企業間の電子商取引を運営、管理する計画で、他の食品大手にも幅広く出資や参加を呼びかけているようだ。

捜してきたある会社とは世界最大の穀物商社カーギルである。マクドナルドとカーギルとの取引関係が明らかになったことでアメリカの食糧戦略の全体像が明らかになる。

◆米農務長官のスーパーセールス
1999年2月、グリックマン米農務長官は、前年12月末に合意したロシアへの約300万トンの食糧援助に続き、鶏肉5万トンおよび種子1万5千トン(トウモロコシ1万4千トン、野菜1千トン)のロシアへの追加援助に合意したと発表した。

当初ロシアは、自国の農業生産建て直しのため、トウモロコシおよび野菜の種子の援助を要請し、鶏肉については援助希望品目に挙げていなかった。

しかし、米国産鶏肉の最大の輸出相手国であったロシア向けの輸出量が、大幅に落ち込んだため、鶏肉業界が大きな影響を受けていた。そのために米農務省(USDA)側が5万トンの鶏肉の援助輸出を提案し、ロシアがこれを受け入れる形となった。

これにより、鶏肉3千万ドル(約34億円)相当とその輸出に係る輸送コスト550万ドル(約6億3千万円)が、政府間によるPL480号タイトル1(低利融資による輸出プログラム)に基づき輸出されることになる。

援助輸出された鶏肉は、ロシア市場で販売され、その収益はロシア年金基金に配分されることとなっているようだ。

さて適応されるPL480号は別名「平和の為の食糧援助(Food for Peace)」と呼ばれている。1954年に制定された農業貿易開発援助法であり、アメリカの余剰農産物を売却することを目的としている。

第二次大戦後、アメリカの食糧輸出は主にヨーロッパに送られていたが、復興するにともない新たな売却先を探し求めるために戦略的に制定された。

そのプログラムはタイトル1、 タイトル2、 タイトル3に分類される。

タイトル1
外貨不足の開発途上国に、 長期、 低利で食糧を供給する制度で、90年農業法では、

7年間の据え置き期間を設定し、 最長30年間の償還期間を設定していた。 96年農業法では、

据え置き期間が5年に短縮された。 援助対象の選定においては、 食糧援助の必要性とともに、

『その国の将来の米国産の農産物の輸出市場への発展の可能性』に重点をおいて選定することとされた。

タイトル2
飢餓や栄養失調の解消、 天災被災国への緊急食料援助等を目的とした無償食料援助事業である。

タイトル3
開発途上国の中でも最も経済基盤の弱い国で、 貧困や飢餓問題に悩む食料援助の必要な国に対する政府間ベースの無償食料援助事業である。

96年農業法では、 事業の一般的な管理事項を規定したタイトル4において、事業の2002年までの延長とそれぞれの事業予算の15%の流用を認めることなど、

予算支出に柔軟性を持たせる規定が定められた。

この50年近く前に制定されたPL480号が今でもアメリカの食糧戦略の中核として生きている。余程の成功例があったに違いない。

そう「呆れるほど見事な成功例」が存在した。

◆学校給食の歴史

明治22年(1889)
山形県鶴岡町私立忠愛小学校で貧困児童を対象にし昼食を与えたのが学校給食の始まりとされている。当時の給食は、おにぎり・焼き魚・漬け物。

昭和07年(1932)
文部省訓令第18号「学校給食臨時施設方法」が定められ、はじめて国庫補助によって貧困児童救済のための学校給食が実施。

昭和19年(1944)
6大都市の小学生児童約200万人に対し、米・みそ等を特別配給して学校給食を実施。

昭和21年(1946)
文部・厚生・農林三省次官通達「学校給食実施の普及奨励について」が発せられ、戦後の新しい学校給食がスタート。

昭和22年(1947)
全国都市の児童約300万人に対し学校給食を開始。連合軍の物資放出、LARA物資の援助によって急速に復活し、12月にアメリカ政府援助の脱脂粉乳が給与されてミルク給食が開始。

昭和25年(1950)
8大都市の小学生児童に対し、アメリカ寄贈の小麦粉によりはじめて完全給食を開始。

昭和26年(1951)
給食物資の財源であったガリオア資金資金(アメリカの占領地域救済資金)が6月末日で打ち切り。

昭和27年(1951)
小麦粉に対する半額国庫補助が開始。4月から全国すべての小学校を対象に完全給食が実施。

昭和29年(1954)
第19国会で「学校給食法」成立、公布。

昭和31年(1956)
「学校給食法」が一部改正、中学校にも適用。「米国余剰農産物に関する日米協定」の調印により、学校給食用として小麦10万トン、ミルク7500トンの寄贈が決定。

◆日本における飢餓そして放棄された食糧自給
特に1945年は凶作となり大都市での食糧欠乏が予想された。日本政府は1946年の分として400万トンの食糧をSCAP(連合国軍最高司令官)に要請したが、折衝は順調には運ばず、わずか70万トンが保証されたにとどまる。

都市部における摂取量は最低生存水準まで落ちていたが、幸いなことに農家が隠匿した食糧があったので、飢餓は回避される。占領当初2年間のアメリカの援助は、陸軍予算の一部であるガリオア資金(GARIOA:占領地域救済政府基金)による食糧援助が主要なものであった。

終戦から年間の食糧消費量の4分の1程度は米国の援助に依存していた。従ってこの期間の米国による援助は、日本における飢餓の回避に重要な役割を果たした。

この当時アメリカが食糧政策に戦略性を見い出していたかどうかは定かではない。しかし1954年に制定されたPL480号が日本をターゲットに置いたことはまぎれもない事実であろう。

この年、アメリカは条件案付きで日本に経済社会構築のための防衛上の再軍備実施と食糧増産の打ち切りを要求する。そして財政投入型の食糧増産をやめて日本はアメリカの余剰農産物を円で買う、そのかわりにアメリカは受け取ったその円を日本への防衛投資や日本製品購入に当てるという内容のMSA協定を提示する。

日本政府は、アメリカ側の新しい援助だとして飛び付き、即座にMSA協定を締結すると、これまでの方針を大転換し、米麦を中心とした食糧自給を見事に放棄し小農保護政策の中止を決めていく。

97年に公開された外公文書で、実際には1954年秋に愛知揆一通産相訪米の際、アメリカが小麦など大量の余剰農産物の日本に対する売り込みと、その売却資金による日本の自衛力拡大の一石二鳥をねらい、在日米軍の「撤退の希望」表明することで日本側に揺さぶりをかけていた事実も明らかになっている。

かくして時には「米を食べればバカになる」との宣伝に後押しされながら、パンは日本人の食文化に浸透していくのである。

10年後の1964年にはマクガヴァン上院議員は次のように述べている。

「アメリカがスポンサーとなった学校給食プログラムによって日本の児童がアメリカのミルクとパンを好むようになったことにより、日本がアメリカ農産物の最大の顧客となった」

◆カーギルの世界戦略
カーギルは1865年に設立された世界最大の穀物商社である。マクミラン&カーギルファミリーが経営するプライベイト・カンパニーであり、今日でもその実体は秘密のベールに覆われている。

1999年現在で全社売上が456億ドル、60カ国1000拠点を構え、従業員数も85,000人を有する。

1960年代以降、食糧関係を中心に多角化を進め、種子加工、ハイブリット種子開発、大麦モルト製造、肉牛肥育・牛肉処理加工、製粉事業などを世界各国で繰り広げている。さらに陸上・河川運輸、鉄鋼生産、金融部門などへも参入している。

日本でもカーギル・ノースエイジアを設立しており、97年には、倒産した山一証券の子会社である山一ファイナンスと食品商社の老舗である東食を買収しており、日本での足場を固めつつある。

人工衛星や最新の情報通信手段を駆使して、気候監視ネットワークを地球規模で張り巡らせながら、収穫状況を正確に分析し世界の穀物市場を掌握している。

このカーギルの世界戦略自体が、そのままアメリカの食糧安全保障戦略となっている。それは、PL480号を発展させたウィリアムズ・レポートとして生きている。

◆ウィリアムズ・レポート(『相互依存世界における米国の国際政治政策』)

日米再逆転の原点として日本の政財界人は「ヤング・レポート」を取り上げるのが習わしとなっている。1984年、レーガン政権のもと「大統領産業競争力委員会(PCIC)」が設置され、当時のヒューレット・パッカードの若きCEOジョン・A・ヤングがモルガン・スタンレーやインテル等の幹部と共にまとめあげたものである。

日本ではそっくりそのまままねをして政権が変わるたびに名称が変わる「経済戦略会議」「産業競争力会議」や最近の「産業新生会議」「IT戦略会議」の設置を行うのが流行のようだ。

日本の研究者の多くも見逃しているようだが、このヤング・レポートのさらなる原点が存在する。「ウィリアムズ・レポート」である。ここにアメリカの国益を最優先にしながらグローバル・スタンダードの合意を引き出していく相互依存戦略の原点が見出せる。

相互依存戦略とは、単独でリーダーシップを発揮するのではなく、共通の利害を持つ日本や欧州諸国を仲間に引き入れ、自己の主張を全面的に盛り込む形でスタンダード化する戦略である。この仲間をしっかりつなぎ止めているのが最新鋭兵器を含めた先端技術産業であり食糧戦略である。

ウィリアムズ・レポートは1970年、ニクソン大統領により「国際貿易投資委員会」が設置され翌71年にまとめられたものである。委員長の名を冠してウィリアムズ・レポートと呼ばれるが、正式には『相互依存世界における米国の国際政治政策』と題するもので全3巻、1938ページからなる膨大なものである。

A・L・ウィリアムズ(IBM)を委員長に、F・J・ボーチ(GE)、R・C・ガーステンバーグ(GM)等と並んでカーギルの副社長W・R・ピアースが主要メンバーとなって作成にあたり、アメリカのとるべき重要な二つの戦略領域として最新鋭兵器を含めた先端技術産業とアグリビジネスとを鮮明に打ち出した。

そして、さらに重要な点はこの時期に政府と財界が相互に結合しあい、アメリカの実質的なリーダーシップの担い手としてインナー・サークルの形成が行われている。

現在もカーギルの取締役会には、駐日大使を務めたこともあるマイケル・H・アーマコストが1996年より就任しており、政府とのパイプ役を担っている。アーマコストは1982年から84年までフィリピン大使を経て、89年から93年まで日本大使を務めた。とりわけ日本とのつながりが深く日米協会や松下グループが設立したパナソニック財団の理事を務めてきた。

米国家安全保障会議(NSC)上級スタッフや国務省での長い経験から政府関係者との強力なネットワークを持っている。現在1927年に設立されたアメリカでもっとも古いシンクタンクであるブルッキングス研究所の所長を務めており政府の政策決定に大きな影響を与えている。他に民間企業ではアメリカン・ファミリー生命保険やアプライド・マテリアル、TRWの社外取締役、シンクタンクではアスペン研究所、アジア財団の理事を務めてきた。また外交問題評議会(CFR)やビルダバーグ会議のメンバーでもある。

日本ではその存在に言及した論文はほとんど見かけないが、アメリカ・イギリスには、上流階級のみが参加できる特権的なクラブが存在する。イギリスでは、MCC、ブルックス、ホワイツ、プラッツ、ブードルズ、カールトンなどが、アメリカでは、ボヘミアン、センチュリー、デューケイン、リンクス、メトロモリタン、パシフィック・ユニオンなどが著名である。

アーマコストはこの中のボヘミアン・クラブのメンバーでありまさしくインナーサークルの中心にいる。このアジアに詳しいアーマコストの視線の先には広大な中国の姿がある。

◆次なる目標『中国』
2000年5月24日、中国に最恵国待遇(MFN)を恒久的に供与する法案が、米下院本会議で可決された。米上院での審議は、9月初旬から始まる予定である。

クリントン政権は中国の世界貿易機関(WTO)加盟をめぐる米中協議が妥結したのを受け、中国へのMFN恒久化を決断し、激しい攻防の末にに下院を通過した。しかし、中国による大量殺傷兵器の輸出をけん制する関連法案の扱いをめぐり共和党内の調整が手間取っていることや同法案に反対するアメリカ労組の反発が再び盛り上がりを見せており、ゴア副大統領の選挙戦に影響を及ぼし始めている。

同法案への支持を訴えロビー活動を展開していた米経済界は、総じて歓迎を表明しており、巨大な中国市場が開放されることで、コンピューター、保険、農業など幅広い分野での恩恵を期待している。

グリーンスパン米FRB議長は、下院銀行委員会のリーチ委員長(共和党、アイオワ州選出)への書簡の中で次のように主張している。

「中国経済を世界市場に取り込むことは、世界的により効率的な資源の配分につながり、中国とその貿易相手国の生活水準向上につながる。」

先のマクガヴァン上院議員の発言と重ね合わせると味わい深い。日本はこの言葉の持つ意味を身を持ってかみしめることができる数少ない国のひとつである。

◆立ちこめる暗雲
以上見てきたように、アメリカの食糧戦略は政府とカーギルに代表されるアグリビジネスとが一体化してベースを築き、そして時期を見計らってマクドナルドやコカ・コーラが仲良く手をつないで登場する。その清潔感と愛くるしいキャラクターは、人々を魅了し同時にアメリカ文化の虜にする。

しかし、いつも成功するとは限らない。最近特にマクドナルドは災難続きである。

1999年8月、フランス南部の農村ミヨーで仏農業団体幹部ジョゼ・ボベがマクドナルドを農業のグローバル化象徴として襲撃し店舗を破壊した。

器物破損罪に問われたボベ被告らの公判が今年6月30日よりミヨー軽罪裁判所で始まったが、同被告をグローバリゼーションへの抵抗の象徴とみなす非政府組織(NGO)活動家など3万人以上が人口2万人の同村に集結した。

NGOの活動家らは、今回のデモを昨年11月の米シアトルでの世界貿易機関(WTO)閣僚会議への大規模抗議行動に次ぐ反グローバル化運動の好機と位置付けた。ボベ被告への支援を訴えるとともに「世界は売り物ではない」「WTOにノン!」といったプラカードを掲げてデモを繰り広げる。

また世論調査でもフランス国民の45%が同氏を支持、不支持の4%を大きく上回る結果が出ている。どうやら21世紀はこれまでの手法の修正が迫られそうだ。

◆真のグローカリズム
私もビジネスマンの端くれである。電車から一駅ごとに現れるひときわ目立つ黄色い『M』の文字を見るたびに、闘争心がかき立てられる。たかだかハンバーガーにその戦略の多くを傾けざるを得なかったアメリカの文化的背景とだからこそ成功につながった単純明解さに敬意を表したい。

批判的に考えると出口の見えないジレンマに陥るだけだ。すでに土俵に乗っかっているのだから、選択の余地はない。幸いにも世界中で日本の食文化は注目されているのである。強引な手法を取らなくとも異文化に歓迎される要素はある。

GOOの海外ページで「japanese food recipe」で検索すると36,282件がヒットする。その多くが自然発生的なものだ。

ただ私は父親でもある。子供達にはいろいろな世界を見せてあげたいと思う。画一的な文化の押し売りはきっぱりとお断りしたい。さてどう書こう。ここからが腕の見せ所だ。

現在マイケル・H・アーマコストはアスペン研究所のストラテジー・グループのメンバーである。このグループには他にジョセフ・S・ナイ、レスリー・H・ゲルブ、ウィリアム・J・ペリー、ブレント・スカウクロフト、リチャ-ド・B・チェイニー(共和党副大統領候補)、アルバート・ゴア(民主党大統領候補)、ストローブ・タルボットなどそうそうたるメンバーが名を列ねている。

アスペン研究所(The Aspen Institute)は1950年にコロラド州の自然豊かなアスペンで設立された。第二次世界大戦が生んだ東西冷戦や核開発競争など新たな国際的緊張に危機感を抱いた有識者たちが、ゲーテの生誕200年祭を契機に、人間の精神、課題を見つめ直そうという趣旨で設立された。今年で50周年を迎える。

世界の政財界のトップが集い、二週間を基本に対話のための合宿特訓を同研究所は続けている。アスペン研究所の役員を務める小林陽太郎富士ゼロックス会長が77年のアスペン・セミナーに初めて参加、衝撃を受けたとして次のように述懐している。

「米国のビジネスマンは当面の短期利益しか考えていないなどと私が思っていたのは、全く恥ずかしい限りだった。事実、利益をあげるという点では米国のビジネス社会はものすごく厳しい。しかし一方で、その同じビジネスマンが一夜漬けでなく、哲学や倫理を論じる。その二つが全然矛盾していない。米国人たちの底の深さに触れた感じだった」

同じく役員を務める鈴木治雄昭和電工名誉会長とともに98年にはオリックス、キッコーマン、資生堂、セコム、大日本印刷、電通、東芝、富士ゼロックス、ソニーなど22社の出資により「日本アスペン研究所」も設立されている。

テキストには、ヴィーコ「学問の方法」、キケロ「友情について」、ダーウィン「種の起源」、デカルト「方法序説」、ハイゼンベルク「部分と全体」、プラトン「ソクラテスの弁明」、ヘーゲル「法の哲学」、ポアンカレ「科学の価値」、モンテーニュ「エセー」、朝河貫一「日本の禍機」、ヴァスバンドゥ「唯識二十論」、大森荘蔵「流れとよどみ」、岡倉天心「東洋の理想」、坂口安吾「日本論」、本居宣長「ういやまぶみ」、ルーミー「ルーミー語録」、和辻哲郎「鎖国」などが使われている。

ここにぜひある生物学者の著作を加えて欲しい。日本が生んだ世界的な社会人類学、生態学者今西錦司(1902~1992)である。

今西は、ダーウィンの進化論に立ち向かった数少ない研究者である。生物をありのままにみつめてきた今西にとって、ダーウィニズムの自然淘汰、適者生存、弱肉強食といった考えは、産業革命以来の経済思想と、機械論などに利用された極めて都合のよい西洋的な自然観であるとし、独自の『棲み分け理論』で多様性を理論付けた。

おそらく今西理論の正当性について、誰よりも理解できるのはあなた方ではないだろうか?

今西は、晩年、次の言葉で真のグローカリズムを唱えている。

「一つの種社会が文化発展するとき、種社会間に生存競争が起こったり、自然淘汰が起こったりすると考えるのは、ダ-ウィニズムであって、起こらへんというのが今西進化論なんやで。」

引用・参考・紹介文献
日本経済新聞、産経新聞、朝日新聞他、企業、シンクタンクホームページ
PL480号
スーザン・ジョージ『なぜ世界の半分が飢えるのか』(朝日選書1984)
http://www.portnet.ne.jp/~kazu-t/L’amitie/vol2/no3/MS.vol2.no3.htm
学校給食の歴史
http://www.ntgk.go.jp/kyuusyoku/rekisi/rekisi2.html
http://www.nikonet.or.jp/~kana55go/rekisi/nirekisi.html
http://www.netlaputa.ne.jp/~oyayubi/kyusyokurekisi.html
ウィリアムズ・レポート
岩城淳子『国際寡占体制と世界経済』(お茶の水書房1999)
畜産情報ネットワーク推進協議会
月報「畜産の情報」(海外編)/週報「海外駐在員情報」
http://www.lin.go.jp/
今西錦司
http://www.ipe.tsukuba.ac.jp/~s965525/
http://www.hi-ho.ne.jp/tadaoki/tadaoki/dokusho/4.htm
ディープエコロジーの環境哲学-その意義と限界 森岡正博
http://member.nifty.ne.jp/lifestudies/library01/deep02.htm
その他多数

園田さんにメールはyoshigarden@mx4.ttcn.ne.jp