執筆者:伴 武澄【萬晩報主宰】

巨額の借金で経営が行き詰まった大手百貨店「そごう」が銀行に対して6300億円の債権放棄を求めた問題で、預金保険機構が新生銀行から2000億円のそごう向け債権を買い取り、そのうち970億円について債権放棄を決めた。6月30日(金)に起きたニュースである。

マスコミはそごう向け支援が決着したと書いたが、ふつうの読者には「国民の税金でデパートを救済する」ということ以外、なにが何だか分からないだろう。とくに預金保険機構という組織が何で、何でそんな組織がそごうに対して債権をもっているのか。そもそも債権ってなんだという素朴な疑問もある。債権だの債務だのといった言葉は裁判所で弁護士がやりとりするような表現で、ふつうの人々の日常用語ではないからだ。

●預金保険機構は借金肩代わり会社

まず「債権」を「借金」と書き改めることから始めよう。すると「債権放棄」は「借金の棒引き」ということになり、少しは視界が明るくなる。そして預金保険機構(預保)とは何か。もともとは、銀行がつぶれ、預金者の預金が返済できなくなった場合に備えた保険会社だった。会社ではなく機構と呼ぶのは国が関与した国営の組織だからである。

だが現実の預保には小さな地方の銀行が倒産しただけで金庫がカラになる程度の蓄えしかなかった。そこで政府は預保に保険会社以外の機能をもてるよう法律を改正した。まず倒産しなくても銀行を救済できるようにし、さらに一方で銀行がもっている「不良債権を買い取る」役割を付け加えた。1998年からのことである。

この時点で組織の名前を「銀行借金肩代わり会社」とでも変えていれば、分かりやすかったのだろうが、そんな会社が民間で成り立つわけもなく、国がそんな下品な名前を好むはずもない。

ふつうの人や企業の場合、相当な担保があるか信用がなければ、お金は貸してもらえない。預保には財産はない。5000億円あった蓄え(保険金)は既に使い果たし、あるのは不良債権だけ。それでも借金ができるのは「国」という後ろ盾があるからだ。

国といったところで亡くなった小渕さんとか森さんが保証人になっているのではない。暗黙の了解事項として「将来の税金」が「担保」となっているのだ。言葉は過激だが「国家とは国民から税金を収奪する合法的な権力機構」なのである。

預保改革のみそは無から有を生み出す「打ち出の小槌」に変身したということである。

1998年3月の銀行に対する「公的資金の注入」に始まって「金融システム安定化」の名のもとにこれまで8兆円の「有」を誕生させた。、今回も2000億円の「有」を発生させた。これは手品でもなんでもない。難しくいえば「信用創造」、近代国家という存在がもつ特権なのである。

日本という国家が危ういのは預保の機能拡充は銀行救済が目的だったのに、今回は救済がゼネコンという民間企業にまで及んだことである。とまれ、預保の機能拡充は「金融システム安定化」が錦の御旗だったはずである。いうなれば打ち出の小槌の目的外使用であり、ルール違反でもあろう。

もちろん企業が銀行に借金を返せなくなったら銀行の体力が弱るのだから、広義の金融システム安定化の役立つという理屈が成り立たないわけではない。だが雇用だとか地域経済への影響だとか言い始めたら救済すべき対象は限りなく広がる。

今回、預保の松田昇理事長は「苦渋の選択だ」と会見で述べた。また「債権放棄で結果的に回収額の増大が見込める」とも発言した。預保が新生銀行から買い取る2000億円のうち放棄する970億円の残りの1000億円強が「優先回収」できることになっているからだ。

みなさん、ここでよーく考えてほしい。国が回収できると確信するような借金を民間銀行がわざわざ国に付け替えようとしますか。危ないからこそ国に救済を求めるのでしょう!

こんなことを書くと訳知り顔に「リップルウッドグループによる旧長銀買収には2割以上劣化した債権の買い戻し条項がある」「旧長銀のそごう向け債権を二つに分けることは不可能」とかいう議論を吹っ掛けられそうだが、それこそ重箱をつつくような議論だといいたい。

日本経済は下り坂でブレーキが焼けきれた観光バスのようになった。運転手の森さんは車掌の野中さんにハンドル操作をまかせ、食べきれないのが分かっていながら乗客に弁当やおやつをせっせと配っている。いずれ乗客はエンジン・ブレーキも効かなくなったことに気づくはずだ。