執筆者:色平 哲郎【長野県南相木村診療所長】

昨年10月1日から栃木県大田原市の国際医療福祉大学の医療経営管理学科で講師として教え始めたバブさんは、その最初の授業で学生たちに、開口一番、こう語りかけた。

「みなさん、世界の国々の実情を知ってください」

そして、スライドを見せ、自己紹介代わりにと、自分のたどった足跡を語り始めた。

「私が小学生のときに、お産をした女性が亡くなりました」

「日本に来ても労働者になってしまいました。けれども、そこから私の自分探しの旅が始まったのだと思います」

「フィリピンのレイテ島のことを知っていますか? 戦争の舞台になった所です」

「だれが悪かったとかではなくて、事実を知ってください」

バブさんを国際医療福祉大学に招いた紀伊國献三教授は、「日本の外の世界で五十億の人々がどうやって生きているのか、どうやって生きていけばいいのか、本当の意味での『国際化』とはなにか、そういったことを学生に考えてほしくて、バルア先生に来ていただきました」と期待する。

私が若い人たちに望むのは「人間としてしっかりとした生き方をする」こと。そして「人間として人間の世話をする」ことです。金持ちよりも「心持ち」になってほしい。いまの日本はいろいろなモノが溢れ、とても便利になっていますね。でも便利になりすぎて、苦労をして生きていくことを忘れてしまいました。この素晴らしい日本を築き上げてきたおとうさん、おかあさん、おじいさん、おばあさんがどれほどの苦労をしてあなたを育ててこられたのか、それを忘れてしまってはいけません。ときには自分が生身の人間であるということすら感じにくくなってきています。そう、生きている実感に乏しい社会になりつつあるんです。

そして、この現象は日本だけではなく、経済発展した日本を目標としているほかのアジア諸国においても都市部から農村部へと広がっています。「発展」という名前の「病気」が「伝染」しているのです。だから「伝染」しないように「予防」しなければなりません。

そのためには「病気」の発信源である日本で「予防」のための取り組みを始める必要があります。「内面の豊かさ」の重要性について気づいていただきたい。だから私は日本で日本の若者が本当の豊かさについて考え始めることを期待しているのです。いまは電子レンジで「チン」とやればあたたかい食べ物が出来上がります。昔は竈の前で火吹き竹を吹いて火をおこし食事を作ったものです。しかし、こんなことは想像もつかない若い人々、写真でしか竈を見たことのない人々が日本にも、ほかのアジアの国々にも増えてきました。

昔の人の生活の苦労も、生きていくための知恵も技も、なんにも残らない。確かにサイエンス(科学)は大切ですが、サイエンスに負けてしまって、使われてしまっては駄目なんです。

私がいたフィリピン大学医学部ではどんな病気なのかを「聴心器」と聴診器だけで80%は診断できるようにならなければ卒業できませんでした。「聴心器」とは、もちろん患者さんの訴えを十二分にお聞きすることです。そして、聴診し、触診し、打診した上で、一人の人間としてじっくりと接するように教育を受けました。

日本の病院では「頭が痛い」という患者さんにはすぐレントゲン写真とCTスキャンです。異常が見つからないと「痛み止めを出しておきましょう。ではお大事に」で終わり。お酒の飲み過ぎだったのかもしれない、奥さんとけんかをしたのかもしれない、会社を解雇されたのかもしれない、せっかく手に入れた土地をだまされて他人に取られてしまったのかもしれない……。

そんな個人の背景はまったく考慮されずに機械の出した診断結果だけで判断されてしまう。これも完全に機械に負かされて、判断を預けてしまっている状態です。そんな話を医学生たちに話した後「お金持ちになりたくて医者になるのですか?」と尋ねるんです。

「人間として人間の世話をするのが目的でないのなら、あしたからもう医者を目指すのはやめなさい。経済学を勉強したほうがいい」と言ったこともあります。

私は、学生たちは気分を害しただろうなと思っていたのですが、その年のお正月、200人ほどの受講生のうち80人から年賀状を頂きました。きっと、なにかが伝わったのだと思います。

「白衣の壁」という言葉をご存じですか?医師の診断に対して患者はなにも言えない。これが「白衣の壁」。もう一つの壁は、近所の「○○ちゃん」も医学部を卒業して医者になると「○○先生」と呼ぶことになってしまっている。医師の権威が人と人の隔てになるんです。こうした心の壁に気づいて、それを低くするためには、医学教育を根本から変えて、医師を目指す若者の意識を変えていくしかありません。

いま医学教育には三つのことが欠けています。一つは人間学です。医者も患者も同じ人間で、社会の一員です。ですから人間というものがわからなければいけない。人間の弱さ・ずるさも含めて、深いところで人々を理解しようと努めることが重要になります。そうしなければ人間として人間の世話をすることができません。だから医者を目指す人には人間学としての社会学を勉強してもらいたい。

二つ目は哲学です。Philosophy of Life(生きる意味)、Individual Philosophy(自分で選びとった生き方)が大切です。ほかの人々の生き方、考え方を深いところで受け止めて学び、理解するための哲学と洞察力が必要です。

それから、あえて三つ目に挙げるとすればボランティアのこころです。Voluntary Spirit(ボランティアの精神)、Mission(使命感)がなければ、せっかくの人間学も哲学も活かしきれないでしょう。医学にも科学技術にも、残念ながら人間としての哲学・精神の光が欠けています。

だから、政府のODAなど外国への開発援助の場面でも「お金だけ渡せばいい」「モノだけあげておけばいい」という形だけの援助になってしまい、内面の「開発」にまで届いていかないのです。

あるとき、小学校での講演でカンボジアの子供が鉛筆一本をもらって手を合わせて感謝しているスライドを見せました。そして「私も竹を削ったペンでバナナの葉っぱに字を書いて勉強したんです」と話すと、後ろで聞かれていた一人のお母さんが「鉛筆がないのなら送りましょうか」と質問されました。

私が伝えたかったのは、自分のお子さんに物を大切にすることを教えていただきたいということです。カンボジアやバングラデシュの子供たちがそうやって暮らしているのは現実です。しかし「モノを送って援助」という発想が先に出てしまうんですね。一緒になってなにかに取り組んでいこうという意識がそこにはありません。

レイテ島にいたとき、日本の学生さんたちを受け入れて、現地の人々と一緒になってトイレを作ってもらいました。みんなで木を切ったり竹を割ったりセメントをこねたりしながら、一つずつ手作りのトイレを完成させていく。自分たちで作って、みんなの役に立った。学生さんたちの胸にそんな達成感が残ります。これがNPO(非営利組織)の本当の姿です。

村人にとっても、だれかがやってきて勝手に作っていったという援助ではなく、日本人たちとの大切な思い出になっています。私の好きな、こんな詩の一節があります。「本当に優れた指導者が仕事をしたとき、その仕事が完成したとき、人々はこう言うでしょう。われわれ自身がこれをやったのだ、と」

医師にも、ボランティアにも、政治家にも、この感覚が大切なのだと思います。

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