執筆者:中野 有【とっとり総研主任研究員】

政府は、北朝鮮へ10万トンの米支援を決定した。

これには賛否両論がある。拉致問題を掲げ、ミサイルを発射する国にどうして支援する必要があるのか。

また、田中真紀子代議士のように10万トンの支援では、庶民に届かないのならば、100万トンの支援を行うべきだと主張する人もいる。

北朝鮮への経済制裁を高め孤立化を狙うのか。或いは、北朝鮮の希望を叶え湧き水の如く支援を継続させるのか。「All or nothing」の意見を聞きアフリカでの開発援助の経験が脳裡をよぎった。

冷戦中、米国は西アフリカのリベリアに米支援を行った。理由は、人道援助と社会主義への移行を警戒するためであった。米国からの米は、「米」の国あらず家畜の肥料となるような安い米であった。勿論、リベリア人は、安い米国の米を競うように買いあさった。

おりしもリベリアでは、グリーンリボリューション(緑の革命)が推進されている時期であり、農業振興が重要な国家政策であった。皮肉にも米国の米支援により、海外から安い米が入ってくるので自国での生産の意義が薄れた。一度大規模な食糧支援を受けた国は、自立できなくなる。これが真とするなら、米国は米支援を通じ、リベリアをコントロールしたことになる。したたかな米国の外交である。

このような環境の下、国連の専門家としてリベリアで、工業や農業の人材育成と、自主生産性を上げる支援に従事し、技術協力が如何に重要であるかを学んだ。北朝鮮に対し、米の支援が叫ばれているが本当に重要なのは農産物の生産性を上げるための支援ではないだとうか。

16年前、日本が文化交流を禁止している南アフリカに2年間滞在した。目的は、アパルトヘイト(人種隔離政策)を体験し、アパルトヘイトをなくすには何が必要か研究することにあった。当時、現在の北朝鮮に対する政策と同じように経済制裁を行うか、米国が推進する建設的関与、即ち南アへの投資促進策であった。歴史はレーガンの政策が正しかったことを証明した。その後、7年の歳月を経てアパルトヘイトの幕は閉じた。

ここで重要であったのは、経済制裁で一番打撃を受けるのは、特権階級より庶民であると言うことである。当時、南アの白人と黒人の共通の利益の合致点は、黒人の教育水準を上げることにあった。米国の外資系企業は、黒人に雇用の機会を提供すると同時に大学への機会を提供した。これがアパルトヘイト廃止に効力を発揮した。

北朝鮮への支援がどうして不可欠であるかは、経済制裁で被害を被るのは庶民であるからである。北朝鮮を国家単位で考えれば、支援に値しないかもしれない。しかし、北朝鮮以外の国を知らない庶民に手をさしのべなければ、いつまでたっても拉致問題の解決どころか国交正常化の埒が明かないだろう。そして、支援も農業技術の移転が大事であると思われる。

韓国の金大中大統領の対北朝鮮政策(太陽政策)は、イソップ物語の「北風と太陽」の現代版である。北風と太陽が勢力争いをして、結局、太陽が北風に勝ったのは、旅人に無理強いをしなかったこと、つまり、包容力のたまものであった。この処世訓は、北風(経済制裁)、太陽(食糧支援)、又は、北風(迎撃用ミサイル配置等の軍事的挑発)、太陽(経済協力)のあり方を示唆している。

韓国では、日本の10倍以上(約300人)の行方不明者があると言われている。更に金大中大統領自身、拉致された身であり、拉致問題の解決困難なことは見通している。韓国は、拉致疑惑問題や民族のわだかまりを超越し、北朝鮮と融和しようとあらゆる努力をしている。

日本こそ韓国の太陽政策に並ぶ日の丸政策で、北朝鮮の厚いマントを脱がせる努力に傾注し、ペリープロセスの下で、日韓連携を強化すべきである。イタリアに続きオーストラリアが北朝鮮との国交を結ぶ運びである。

4月早々には平壌で8年ぶりの日朝国交正常化交渉が再開される。楽観的に見れば、今世紀に起こった問題は今世紀中に解決するのも夢でないようだ。7月の沖縄サミットでは、サミットのアジア唯一のメンバー国日本は、議長国として北東アジアの平和と安定に資することへの熱い期待が寄せられている。

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