執筆者:石川 義雄【元タンザニア派遣隊員】

今朝、いつものように新聞をめくったとき「あれ」と思いました。金子さんが電話を持っている写真が真っ先に目の中に飛び込んできました。「ひと」欄に「青年海外協力隊で初のOB出身事務局長、金子洋三さん」が載っているのです。

朝日新聞の朝刊が何部刷られているのか知りません。恐らく日本中の人々の多くが金子さんの顔を見たに違いありません。

新聞を見たほとんど大部分の人にとっては「ふーん」といった程度のことであるかも知れません。書かれている記事まで読む人がどのくらいいるか知りません。でも、協力隊に参加したことのあるOB、OGにとっては、この記事は感慨深いものがあるのではないでしょうか。何か自分のことのように嬉しいと思う人も大勢いるのではないでしょうか。

私たちと同じOBが事務局長になったことは少し前に知った。事務局長は現在海外に展開する2500人隊員の隊長です。私はそのとき、これまで絶望的にしか考えていなかった日本の官僚制度が、そして日本社会の重要な部分が変わりつつあり、もしかしたら日本の未来に希望を持っていいのではないかと感じました。

何人かの親しい友に「Japan is changing?」と書いてメールを送りました。日本はこのまま沈むわけがないという確信を持つことができましたし、またそうしなければいけないのだと思いました。(誰がそうするのか?…私が、そしてこれを読んでいる「あなたが」)

ただ、それからしばらくして冷静になって考えてみると、私たちと同じOBである金子さんは、必ずしも「私たちと同じ」人ではないということにも思い至りました。OBであることは同じです。けれども、同じであるのは多分それだけなのかも知れまん。

私が金子さんと初めてお会いしたのは、3年前くらいだったと思います。その頃、私はサラリーマンをやめてから数年経っていて、たまたまある政治の勉強会に参加するようになりました。一カ月に一度だけの勉強会。

ずっと長い間技術屋であり、給与生活者たるサラリーマンでいたそれまでの私にとって、正直言って有権者の政治離れを喰い止め、デモクラシーの基盤を固めていくには、有権者のレベルアップこそが、実は政治家に求められている大事な大事な役目である。

そのような政治家を誕生させる仕組みとして「所得税の1%を政治家に寄付できるような制度」を作ったらどうか。詳細の方法は・・・というような話は、雲をつかむような、理想主義的すぎて自分には縁のない世界でした。

そのような集まりの中で、金子さんの発言に私は際だった面を感じ続けてきました。まず、第一に「見識の高さ」があります。そして、それを納得させる説得力があります。金子さんの話の中で、特に記憶に残っていることがあります。

「アメリカには、教会を中心としたコミュニティがあり、それがアメリカのよい部分を支えている面がある。日本で地域や会社のコミュニティが崩壊している今、我々がどのようなコミュニティをこれから作っていけるのか大きな課題である」

「アフリカには2000年問題はない。先進国型の『ヒト』という種が現在問題になっている何かの原因で滅びてしまったとしても、アフリカ型の生き方をしている人たちは残るのではないか。それはもしかしたら神の配剤かも知れない」

金子さんの意図を正確に表現出来ているかは兎も角として、一月に一度はこのような、またはこれ以上の話を私はこの集まりの中で聞いてきました。

一体この金子さんの人となりが何に起因するのか、簡単な略歴が新聞に載っていたことで、初めて金子さんの経験してきたを知り、何か少しわかったような気がしました。金子さんは2年間エチオピアの村々を回って天然痘の感染者に種痘を施してきたのだそうです。恐らく金子さんは帰国後、協力隊に就職しなくとも、またそれ以前に協力隊に参加しなかったとしても、別な道でそれ相当な地位につくだけの力量と人望を持った人です。

けれども、今の金子さんの「見識の高さ」の原点にエチオピアの2年間があったのではないかと思うのです。私たちOBの多くがそうであったように日本に帰って来てから、それこそ「寝ても醒めても」自分の生き方と途上国との関係を問い続けてきたのではないでしょうか。エチオピアから帰国後、イギリスの大学院に留学し、協力隊に就職したのはそのひとつの答えだったのでしょう。

それから約20何年間。私は金子さんがどのように過ごしてこられたのか何一つ知りませんが、きっと水を得た魚のように国際協力事業団(JICA)のなかで仕事をされてきたのではないかと想像します。政治の勉強会で金子さんはディベートの司会をたびたび務めました。

このような難しい役回りは、公平さの他にやはりぬきんでた知識と見識が必要とされます。JICAという中での組織人としての金子さんは、今の日本の時代が必要としているなかで登場してきた人なのだと思えてなりません。

今、3万人の協力隊OB、OGがいます。私たちは必ずしも金子さんのように有能ではないかも知れません。けれども、私の知っている人たちの多くは善意にあふれお人好しであります。

それがいいのかどうかはともかくとして、今日、これまでとは質の異なる社会への転換の時期に際して、私たちに何か出来ることはないだろうか、と考えました。その答えとして、私は「3万人のOB、OGがシンクタンクになること」ではないかと思うのですがどんなものでしょうか。

これまでのピラミッド型の世界と違って、これからはネットワーク社会になります。私たちの経験をもとにしたアイデアやアドバイス、または意見などを直接金子さんに提言してみては如何でしょうか。ただでさえ、お忙しい金子さんがメールを見ている時間があるかどうか、心配ではあります。

けれども、その時は何かしらそれに対応できる仕組みを金子さんが考えて下さるのではないでしょうか。アメリカの大統領からでも手紙に返事が来ることがあるというのですから。(いしかわ・よしお=1973年3月元タンザニア隊員)

朝日新聞「ひと」青年海外協力隊で初の生え抜き事務局長・金子洋三さん

金子さんのメールアドレスは次の通りです。kanekoy@jica.go.jp

石川さんのホームページ「アフリカの水」はhttp://www.join-am.ne.jp/~ishikawa

石川さんへメールはishikawa@join-am.ne.jp