Nasdaq Japan,GEM or Mothers
執筆者:伴 武澄【萬晩報主宰】
先週、東京証券取引所に「Mothers」というベンチャー企業向け株式市場が発足した。今月15日には香港にGrowth Enterprise Marketというハイテク市場「GEM」が誕生した。
GEMが本当に成長企業の資金調達の場と成り得るか。アメリカの「Nasdaq」や来年に日本で開業する「Nasdaq Japan」に十分対抗できるのか。香港では議論沸騰である。すでに30社が名乗りを上げていて、その90%がソフトウエアや通信、インターネット関連であるという。市場も香港だけでなく巨大な中国大陸を視野に入れており、台湾企業も関心を示している。いわばグレーター・チャイナが活躍の場だ
GEMの場合特徴的なことは、すでに香港株式市場に上場しているハイテク企業をGEMに移し、香港でただ1つのハイテク株式市場とする合意ができていることである。問題はいつまでにというタイムテーブルがないことだけだ。
さて「Mothers」である。1995年に出来た中小企業向け市場を改変したというのが真相である。ただの1社も上場できなかったが、このMothersにはすでにインターネット関連企業2社の上場がすでに決まっている。ソフトバンクが提唱している日本でのNasdaqへの対抗から急こしらえの感がなきにしもあらずである。
いずれにしてもNasdaq Japanがどこまでアジアのベンチャー企業の心をつかむかにかかっているのだが、アジアでベンチャー市場の資金需要を制するのはどこか実に興味あるところである。
伯楽の存在
「資金調達はその企業がよって成り立つ市場でしかできない」というのが鉄則であると思う。もちろん有名になれば、より大きな市場での上場も可能になる。しかし上場しようとするベンチャー企業にとって一番重要なのは、投資家とを結びつける「認知度」の高さである。
中国に「名馬はどこにでもいるが伯楽は少ない」という格言がある。伯楽とは調教師といった意味である。その格言通り、地域にどれだけ伯楽がいるかでベンチャー企業の運命が左右されることになる。Silicon Valleyの八木博さんから教えられたことはシリコンバレーにはその伯楽がシステム化されているということだった。
多くの人脈を持った経営コンサルタントたちは日々、起業家に育てうる「才能」を探すことを生業にしている。日本で似ていると感じるのは高校野球のスカウトたちた。地元の小中学校の野球少年たちの能力を日々観察し、これを高校野球の全国的レベルのネットワークに”上場”させているのだ。
いったん全国レベルに高校の野球部に入部し、甲子園への出場を果たせば、マスコミの助けも借りてもはや全国ブランドとなる。後はプロ野球からの勧誘を待つばかりである。
このスカウトたちは情報をコンピューター化しているわけではないだろうし、十分な報酬を受けているどうかも分からない。だが、このスカウトたちはシリコンバレーでの経営コンサルタントとほぼ同じ役割を果たしていることだけは間違いない。
だから資金調達を含めてベンチャー企業の育成には、その企業が生まれ育った土壌にどれだけ多くの伯楽たちいるかが大きな要素となるはずだ。
dot.com企業への理解度に不安
かつて日本の地域社会に旦那衆という存在があって、かつてのベンチャー企業を育ててきたことは1998年11月14日付萬晩報「町の旦那衆を疲弊させた1970年経済」で述べた。過去の日本の企業社会では旦那衆が「伯楽」の役割を果たしてきたのだろうが、その伯楽たちがいまや落ちぶれ、すなわち90年代の日本の危機につながっている。
企業の上場はこれまで大手・中堅証券会社が一手に引き受けてきた。地方の支店の役割は投資家に株を売ることだけではなく、地域の新興企業の上場も手助けしてきた。
京都時代に京都証券取引所OBから聞いた話によると、大手証券のかつて京都支店には多くの有能なスカウトマンがいたそうだ。京都に多くのハイテク企業が集まっているのは、こうしたスカウトマンたちのお陰でもあるというような話もしていた。京都の上場企業にはこれらのスカウトマンたちがそのまま財務担当の役員として転職しているそうだ。
政府系や銀行系のベンチャーキャピタルが、ニュービジネス発掘に積極的でないという話はずいぶん前から聞かされてきた。既存の産業分野であったなら、メジャーの証券スカウトマンがまだまだ活躍できる場がある。
だが、インターネット関連の最先端の通信技術や「dot.com企業」に関して彼らがどの程度の知識を持っているか萬晩報ならずとも不安になるはずだ。
大手マスコミの経済記者にも同じことが言えそうである。アメリカが情報通信の分野でスパートを切った90年代後半、日本の経済記者の多くは金融機関の不良債権問題にあまりにも多くのエネルギーを費やしてきた。
東証のMothersが成功するかどうかは、一に名伯楽の登場にかかっているのだとすれば、日本の将来は暗いと言わざるを得ない。
【読者の声】伴さん、こんばんは。荒木@ALIXといいます。「Mothers」にある程度関わってきたものとして、少々コメントさせていただきます。
私は昨年、退職するまで約15年間、ある大手証券の株式公開引受部門に在籍し、この間日本における資本市場を株式上場の側から民営化会社などを含めて多くの会社の上場に関与させていただきました。
その間、常に東証の上場規則と格闘してきた経緯があります。その中で資本市場(セルサイドからの言い方に終始するかもしれませんが)に対する見方を深めて参りました。私を含め多くの公開関係者にとって東証との歴史はまさに格闘の歴史でした。
例えば以前、東証の上場基準にあった設立後経過年数5年という上場基準がありましたが、ある規制緩和時のNCCの上場計画時、まさにこの解釈を巡って一悶着があり、私事ですが初めて左遷を経験いたしました。その後この基準は3年になり、そして今回証券取引法の監査適用期間そのものに変化して参りました。
この例でもおわかりのように実は今回の「Mothers」の上場基準の一つ一つには、このような歴史の反映であります。
また、今回の市場開設には昨年の証券取引法の改正が大きな伏線としてありました。同法の改正により証券取引所は地域経済を設立要件とした地域独占の会員組織から、独禁法の適用を受ける市場インフラ提供ビジネスを行う事業体と再定義されました。そして株価等の知的所有権の所有も認められる株式会社に今後まさに再組織化されようとしております。
私たちがこの春先考えておりましたのはまさにこの好機に疲弊した日本に資本市場の面から活力を生み出せないかと言うことでした。
戦後の日本の荒廃期に電力等インフラ整備事業に対し、独占的地位と資金調達力が与えられ戦後経済を形成してきました。第二次臨調で「競争により公共性は担保される」というテーゼの下、独占事業体の弊害を打破し活力を確保するため民営化、自由化へ大きく舵が切られたのはよく知られているところです。
今回の「Mothers」もその延長上にあります。私は日本の資本主義は独特ではあっても十分に成長してきていると思っております。
取引所は投資家に対してある一定の安心感、ブランドイメージを与えながらその上場銘柄に市場性を持たせていくというメディア的特徴を有しております。今後中心的テーマとなる開示に対する信頼性を下にバイサイドからより充実した開示要求を経ながら(場合によっては訴訟の提起も含めて)徐々に充実した資本市場が育成されていくものと期待しております。
私のような証券退職者の意見を聞き通りやすいルートを経て、実現した市場ですが(お気づきかもしれませんが、取引所の友人は通常の上場審査部のルートではなく、既上場の会社を管理する上場部のルートでこの新市場を実現しております)、ある時から加速度的に実現のスピードが速まったのは事実ですが、6月の役員勉強会前後の「Nasdaq Japan」の発表の時、逆に時期は来たという感慨をもち、これで通ると市場の開設を確信いたしました。
大蔵省、山口理事長は「Nasdaq Japan」のことをご存じだったでしょう。見事一杯食った気がいたしました。ただし、それの対抗上ひねり出されたという代物ではないことを彼らの名誉のためお話しいたしました。
形式基準と実質基準の乖離などという馬鹿な話に挑戦してきた資本市場関係者の人間全部の意志の現れであったと私は思っております。
日本はすでに発展途上国ではなく世界第二の資本主義国であり、発展途上国的にある一定の経営思想を押しつけるのではなく様々なビジネスモデルを模索する中で株式上場も考えられるべきであろうと思います。
なお、今回の「Mothers」開設に当たり、たぶんはじめてではないかと言うぐらい多方面の意見を聞き、それを規則に反映させており、当初の原案とは相当に異なったものとなっております。
債務超過会社に対する規定もスカパー、WOWOW、スカイマークなどインフラ提供会社の実状を反映させたものであり、そのような点でかなりつっこんだものになっております。
また、すぐに申請会社がでてきたのも、サイズによっては短い審査期間でも可能だという考え方の現れであり、上場実務を発生させることで流れを作るために是非とも必要なものであります。証券会社/監査法人にもよくこの短い日程で対応していただけたと思っております。
また、旦那衆のお話がありましたが私の師匠も京都のそのような旦那衆の一人で某NCCの設立や合併等様々な資本市場におけるものの考え方、心構え、テクニック等横目で見ながらならい教えてもらったことを懐かしく思い出します。(99年11月18日)