リベリアのブグメに約束した大学進学
執筆者:中野 有【とっとり総研主任研究員】
露天風呂で夜空を眺めながらアフリカに思いを馳せると実にリラックスできる。地球から湧き出る温泉や湯の華の生命の源泉となるエネルギーを体に浴び、宇宙に溶け込むのはこの上ない贅沢である。
このように表現すればたいそうだけど、ただただ温泉が好きなだけである。思えば純粋に温泉の恵みに感謝できるのはアフリカの生活のおかげだと感じる。
かれこれ12年前になるが新婚早々、赤道直下の西アフリカのリベリアの奥地に国連の開発援助の仕事で2年間赴任した。ここは首都モンロビアから250km離れた象牙海岸やギニアの国境からそう遠く離れていない僻地であった。
もちろん、電気、水道といったあたりまえのインフラ整備がない。よって、湯船につかりながらゆったりするのは見果てぬ夢で、2年間風呂とは無縁の生活を強いられた。その反動か、鳥取では暇さえあれば湯巡りを満喫している。「寒さに震えた者ほど太陽の暖かさを知ることができる」との先人の言葉の通り、厳しい環境で生活したおかげで先進国では当たり前のことが特別のものに見えてくる。
日本にないものがアフリカにはある。電気がないおかげで神秘的なアフリカの夜空に輝く星のきらめきはダイアモンドの輝きそのものであった。テレビがない生活は、考える時間を提供してくれた。ろうそくの灯りで古今東西の読み物をアフリカの奥地で読み耽るのは格別の趣があった。
最高の読書の空間は人里離れた奥地に限る。自動販売機の代わりが庭になるグレープフルーツ、オレンジ、マンゴ、ココナッツなどであり、常に最高級のトロピカルジュースを味わうことができた。ターザンの生活の如く、フクロウ、鷹、山羊、鹿、犬、マングースなどの生き物が身近な友達であり、ホーホーと鳴く手乗りフクロウは、豊作と名付けた。
人はアフリカを貧しいという。アフリカの奥地の生活は弥生時代に等しいという人もいる。否、決してそうは思わない。アフリカの奥地で学んだものは、先進国の尺度で計り知れないものがあまりにも多かった。
国連の専門家として開発援助の仕事に従事したにもかかわらず、アフリカのため何か貢献したというより、それ以上にはるかに多くのことを学ぶことができた。アフリカの雄大な自然が教えてくれたことに加え、アフリカ人の生きる姿勢には心を打たれた。
妻は近所の子供を集め学校を始めた。朝な夕なにどこしれず子供が集まり、リベリアの奥地に寺子屋ができてしまった。彼らの九九を覚える眼差しの輝きは今も鮮明に残っている。現代の日本の子供にはない、目の輝きである。彼らは勉強に飢えているのだ。彼らはいつの間にか十二掛ける十二までマスターした。
リベリアの公用語は英語であるがすごくなまったリベリア英語を話す。また部族語に加え、隣国がフランス語圏であるからフランス語も話す子供もいる。教育とは、なんぞや。自問自答してみた。アフリカの子供の学ぶことに対する潜在性は、実にすごいものがあった。教育の機会を世界中に提供することが如何に大事か。ちびくろサンボに似た、5歳のブグメと言う子供が妙になついた。2年間一緒に過ごし、リベリアを去るとき大学までの教育費を面倒みることを約束した。
アフリカを去り、数ヶ月後、リベリアで地域紛争が発生したニュースを聞いた。よりによって2年間生活した村が反政府側の拠点となった。その間、カーター元米国大統領もその地を訪れた。7年間紛争が続きリベリアの実に4分の1が難民となり、数えられない数の犠牲者が出た。
ブグメとの連絡は途絶えた。今思う。紛争が始まったら取り返しのつかないことになる。だから、紛争を未然に防ぐ予防外交が重要だと。アフリカは教育の重要さと予防外交を教えてくれた。今、露天風呂にて北東アジアと予防外交を考えながら時は過ぎていく。
中野さんへメールはnakanot@tottori-torc.or.jpへ