執筆者:中野 有【とっとり総研主任研究員】

人生には「上り坂」もあれば「下り坂」もある。さて、人生にはもう一つ重要な「坂」があるけれど、何か分かりますか。と禅問答のような問いかけをNHKの名チーフプロデューサーの加藤和郎さんから受けた。坂の上に雲があっても、その雲の彼方にどんな坂があるのか分からなかった。その答えは「まさか」だと教えてもらった。

人生の順風の時には「まさか」に備え危機管理をしっかりしておくことも大切であるが、一方、人生には一発逆転の「まさか」が起こるからおもしろい。まさに人生のダイナミズムは「まさか」の連続だと思う。

この「まさか」は手前味噌だが、典型的な「まさか」を経験した。昨年の4月に評論家の竹村健一氏が日本海新聞主催の政経懇話会にて講演をされた。講演が終わり、会場からの質問を求められたが、誰も手を挙げる人がいなかったので、緊張しながら思い切って手を挙げ、竹村先生にユニークな質問をした。

その質問にインパクトがあったのか、どういう訳か、竹村氏のホテルの部屋にて2時間ほど思う存分、日頃考えている北東アジアの開発等の話をする機会に恵まれた。それがきっかけで、竹村氏のラジオ、テレビに出演し、また雑誌等の対談に載せてもらった。また、その影響で先日、自民党本部で中山太郎元外相や外務、通産官僚の前で、北東アジアの動向につてプレゼンテーションする機会に恵まれた。

もし、竹村氏に質問してなかったら一介の研究員が政府に対し、意見を述べることはできなかったであろう。また、竹村先生の目に留まったのは、世界中を回り多角的視点で現在最も注目されている北東アジアの開発に関わっていたからだと思う。

しかし、これだけでは「まさか」は、起こらなかったと思う。世の中の空気が、新世紀を前にして新たなるパラダイムを求めているからだと思う。では、そのパラダイムとは、どんな形態であるのであろうか。

まずは、安全保障の観点から展望することとする。早稲田大学の多賀秀敏教授は、安全保障の形態には、覇権安定論、勢力均衡論、集団的安全保障、協調的安全保障の4つの形態が存在すると指摘する。冷戦中は、米ソが対峙することにより覇権安定がもたらされ、現在のヨーロッパはNATOにより集団的安全保障が形成されている。

現在の北東アジアは、勢力均衡型であるが、ヨーロッパで見られる集団的安全保障は存在していない。昨夏、米子で開催された北東アジア経済フォーラムが目指すところは、協調的安全保障である。

安全保障の面で最も進化した形態が協調的安全保障であるなら、北東アジアにおいては北東アジア経済フォーラムが追求する理想と現実のギャップは、明白である。しかし、市民が平和のため貢献できる可能性があるのは、協調的安全保障だけであるだろう。

では、市民がどのような形で国際貢献の仕事に関与できるのであろうか。大まかに4つのカテゴリーに分類できる。政府関係や国際機関を通じて行う「官」、企業を通じた「民」、組織に属さず個人で行う「私」、そして問題意識を持ったグループを形成し活動するNGOやNPOを代表する「公」がある。

国会で日米安全保障体制の充実強化を念頭にガイドラインに関する議論がなされているが、市民の認識からほど遠い。そんな状況の中、鳥取のソイル工学の山村社長は、中国、北朝鮮、ロシアの国境に流れる図們江流域の高速道路建設や、楽市楽座風の市場経済の導入の重要性を提唱している。

これらの実体経済を主眼とした環日本海交流の活動は、企業の枠を越えて問題意識を持ったNGO等で推進されることにより成果が得られると考えられる。

台湾の李登輝総統は、問題に直面した時、決して直線で考えないこと、目的地への直線を引くのをやめ、むしろ回り道を見つけだそうと努めるべきだと述べている。鳥取のすぐ近くに世界で最も不確実性の高い朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の存在がある。

ミサイルの抑止のためのTMD構想も重要であるが、少し回り道をして市民が国際貢献のために参加できる環日本海の交流について真摯な議論を交わすことも肝要でないだろうか。

経済交流が経済圏を生み出し、北朝鮮が経済圏の一員となり、軍事的挑発の必要性がなくなるのが真とするならば、環日本海交流と安全保障には密接な関係があると考えられる。それぞれが、平和のために努力する。21世紀は、協調的安全保障、即ち、市民参加型のPEACE BY PIECESが潮流となるだろう。(なかの・たもつ)

中野さんへメールはnakanot@tottori-torc.or.jp