執筆者:伴 武澄【萬晩報主宰】

韓国車が再びアメリカ市場で爆発的に売れ始めている。3月の韓国車のアメリカでの販売は前年比50%増の2万3770台。年間ベースで試算すると30万台に迫る勢いである。1988年、ヒョンダイのポニーエクセルが北米上陸、数年で売り上げナンバーワンを記録した快挙を再現するとの期待が高まっている。

日本で発行している韓国系の東洋経済新聞によると、韓国車の3月のアメリカでの売り上げは、ヒョンダイ(現代)が1万1870台、起亜1万1400台、昨年9月に初上陸したばかりのデーウ(大宇)は1400台。韓国自動車業界の話として「このすう勢でいけば年間28万台も可能だ。絶好調だった87、89年の年間26万台の記録も塗り替えられそうだ」と伝えている。

●日本車水準に引き上がった韓国車!

韓国車は日本ではほとんど走っていないため存在感はないが、ヨーロッパやアジアではではよくみかけることができる。多くの自動車雑誌がフォルクスワーゲンのゴルフやマツダの323(ファミリア)などとの性能比較をしているから日本での評価と違う。

ただアメリカ市場では、低価格路線で80年代後半に高水準の売り上げを上げたものの「中古価格が安い」「故障が多い」など苦情も多く、韓国車のイメージが極端に下がり、販売が低迷していた。

東洋経済新聞によれば、メイド・イン・コリアに対する不信が除去されたのが大きな背景と解説する。ニューヨークタイムズやワシントンポストといったマスコミが「韓国車は日本車水準に引き上がった」と報道した効果も大きかったようだ。

また自動車メーカー自身もヒョンダイが無料の補修・修理期間を従来の3年3万マイルから5年6万マイルに引き揚げるなどサービス体制の向上に努力していることも消費者に歓迎されているはずだ。

韓国車のアメリカ輸出が軌道に乗れば、韓国経済にとってこの上ない朗報だ。自動車は非常にすそ野の広い産業分野である。自動車部品だけでなく、タイヤ、ガラス、プラスチック、空調、オーディオなどにまたがる。97年の通貨危機以降、意気消沈していた景気の底入れにつながるに違いない。

●受け入れられた6000ドルという破壊的価格

1970年代、韓国の自動車の年間生産はたった1万台だった。80年代に入ってもまだ5万台程度と低迷していた。これが85年には25万台を超す水準となり、その後は倍々ゲームに生産力を増強、1994年には230万台を超えた。

北米での成功を納めたポニーエクセルは三菱自動車の旧型ランサーをベースにした小型車だった。当時6000ドルという破壊的価格がアメリカやカナダで受け入れられた。エクセルが勝ち抜いたジャンルはトヨタのカローラやゴルフが競っていた大衆車である。激烈なその市場に参入してわずか数年で並みいる世界の名車を出し抜いたのだから、世界の自動車関係者たちは目を見張った。

ただ日本の自動車業界は韓国車の潜在力を認めず「安いだけの車」と真正面からの評価を避けた。確かにエクセルは2年でシェアを落とし、事実上、北米市場から撤退したが、90年代に入ってヨーロッパでしっかり市場価値を見出していたのだ。。

ところが韓国では、ヒョンダイのポニーエクセルの北米での成功に引き続き、国内の乗用車販売に火がついた。先進国側の自動車アナリストたちが見通しを誤ったのは韓国内での自動車販売だった。70年代まで年間わずか数万台だった市場規模は80年代には10万台に乗せ、85年以降は年間10-20万台ずつ上乗せし、ピーク時には250万台にもなっていた。

20万台という数字は並大抵の数字でない。近代的な自動車工場の年産能力に等しい。韓国の自動車産業はその後も生産能力を拡大し続け、ヒョンダイは年産300万台体制への移行を宣言、参入を表明していた財閥大手の三星が生産を開始した98年には年産500万台にも達するとされた時期があった。

しかし、97年夏、シェア2位の起亜産業が倒産して国家管理に入り、秋以降は東南アジアの通貨危機が韓国にも波及して、韓国経済全体がどん底に落ち込むことになる。金大中(キム・デジュン)新大統領のもとでの財閥再編で自動車業界の大再編に取り組んでおり、生産能力の過剰やメーカー間の過当競争の問題はいずれ収束に向かうものとみられている。

95年秋の東京モーターショーでは韓国車が本格参入し、いくつかの独創的なデザインの乗用車やRVが展示された。韓国車がいつ日本に上陸するか不明だが、近い将来、玄界灘を越えて大挙してやってくることは間違いない。