執筆者:伴 武澄【萬晩報主宰】

3回続きの「国債という日本の打ち出の小づち」の配信と相前後して、読売新聞経済部の斎藤孝光さんと共同通信社ワシントン支局の大辻一晃さんから長文の「所感」をもらった。斎藤さんは「日銀の国債買いは間違いか」、大辻さんは「財政赤字は全面的に「罪」なものか」と題して、ともに異常事態にある現在の日本経済を打開するにはそれこそ「無理」も必要悪ではないかという主張である。
筆者が主張し続けてきたのは、これまで臨時・暫定・特定などの措置で無理を重ねてきた結果、日本経済がとうとうここまで病んでしまったということだ。もはやカンフル剤も効かない状態で、数年間「絶対安静」を宣言されたも等しいのだと思う。
日本の経済は長期低迷といっても、豊かさの水準はかなり高く、失業率はまだ4%台。1200兆円もの個人資産がありなから、まだ世界有数の貯蓄率を保っている。数年間、マイナス成長が続いたところで大したことではないはずだ。副作用の大きな劇薬をさらに口にする前に「ここらで一息を入れましょうよ」。飯島直子の缶コーヒーのコマーシャルではないが、声を大にしてそういたい。

日銀の国債買いは間違いか
読売新聞経済部 斎藤孝光
いつも楽しく読ませていただいています。
さて、議論沸騰中の日銀や財政投融資資金による国債購入の是非についてですが、私はむしろ、現在のような状況下では、日銀がもっと積極的に国債やその他の債券を買っても良いのではないかと思います。ただし、市場から買い上げるべきであり、政府から直接引き受ける(財政法で禁止されていますが)ことには反対です。
日本経済にいま起きていることは、極端にいえば、「現金しか信用できない」という心理状態(信用不安)の蔓延です。銀行は貸し倒れ回避や財務健全化のために「貸し渋り」を強め、企業も「貸し渋り」に備えて手元資金を厚く持っています。個人も銀行に預けるよりは金庫に入れておこうとか、絶対安全(と思われる)な郵便貯金に移し替えるといった動きをしているわけです。つまり、経済活動の主体が、一斉にリスクのある資産運用を回避し、タンス預金を始めた状況だと考えます。この結果、必要なところにお金が回らず、それが一層、手元の資金をたくさん持っておこうという動きを強める悪循環に陥っています。
こうしたことから、取り付け騒ぎこそないものの、すでに日本経済は一種の金融恐慌に近い状況にあるとの見方も広がっています。経済活動に不可欠な信用を生み出すメカニズムが壊れてしまっているからです。(こうしたことは世界規模でも見られます。昨年秋のロシア危機の後に見られた異常な長期国債金利の低下や円高は、日本の機関投資家がアメリカなどに保有する債券を売り払って、機関投資家にとっては現金に等しい日本国債に大量にシフトしたからでした)
では、一国の経済について、最終的に信用を保証出来るのはだれでしょうか。通貨発行権を持つ中央銀行しかないのは明らかです。日銀がどんどんお札を刷って、金融市場から国債(その他債券)を購入すれば、金融機関の手元には通貨が増えることになります。増えた通貨がどの程度貸し出しに回るのかという問題はありますが、凍り付いている金融のパイプを暖める効果があることは確かです。少なくとも現在は、国債(その他債券)を売却して、通貨供給の蛇口を占めてしまう状況ではないと思います。そんなことをしたら、資金繰り不安を起こす金融機関や企業が続出し、本当の恐慌に突き進みかねません。世界のGDPの16%を占める日本が恐慌に陥れば、世界経済の大混乱は避けられません
もちろん、日銀財務の健全性は大切ですが、日銀は民間企業が発行する社債やCPも買い入れているのであり、返済の確実性からいえば、国債は日本国においては最も安全な資産であります。また、日銀の通貨発行益は国庫に納付されるので、日銀が国債を買えば買うほど、実は財政再建の一助ともなるのです。
大量の国債引き受けがインフレにつながるのではとの懸念はもっともですが、現在の課題はむしろ、どうやってデフレを食い止めるかにあります。多くの学者や識者が、日銀はもっと通貨供給を増やすべきと主張しているのも、デフレの危機を回避する切り札と考えているからです。
(例えば、ともにノーベル経済学賞受賞者のミルトン・フリードマンやロバート・ルーカスは、日銀が通貨供給を積極的に行うべきと主張しています。現在、世界で一番影響力が大きい学者の一人であるポール・クルーグマンMIT教授に至っては、「日銀は向こう一五年間、4%のインフレにする政策を行うと宣言すべきだ」と言っております。国内でも、伊藤元重、林文夫(ともに東大教授)、大滝雅之(東大助教授)、植田和男(日銀審議委員)、田中直樹、島中雄二、高橋乗宣、河野竜太郎(いずれも民間エコノミスト)らが日銀に対してもっと積極的に通貨供給をするべきと主張しております)
ただ、政府が国債を市場を通さずに日銀に直接引き受けさせれば、マーケットメカニズムがまったく働かないまま、無制限に通貨を増やせることになります。資本移動が自由化された現在において、このような政策を取れば、日本の政策・通貨当局への信頼は失われ、超円安や国債の暴落(金利上昇)、ハイパーインフレが起き得るかも知れません。だからこそ、現行制度では一度民間のマーケットで消化できた国債に限って(一部に例外がありますが)日銀が買うことを認めているのであり、この歯止めは失うべきではないでしょう。
平時にあっては、日銀はインフレや自らの財務の健全性に留意をしながら金融政策を行うべきでしょう。しかし、いまの日本経済はまれに見る異常事態であり、うまく切り抜けないと、国民生活全体を脅かしかねないクラッシュが待ち受けてないとも言い切れません。
昭和2年の金融恐慌の発端は、日銀が経営危機にあった台湾銀行向け融資を拒否したことに始まるのは良く知られたエピソードです。いざというとき、果断な行動を起こしてくれないと、困るのは国民なのです。いま本当に心配しなければいけないのは、ただでさえ責任回避的になり勝ちな政府の政策当局者や日銀が、様々な「できない理由」を付けて、必要な時に必要な政策を取らないリスクについてではないでしょうか。(さいとう・たかみつ)
斉藤さんへ E-mail : mhh01515@nifty.ne.jp

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財政赤字は全面的に「罪」なものか
共同通信社ワシントン支局 大辻一晃
力作を拝読しました。財政赤字が金利上昇や悪性インフレをもたらし、ひいては一国の経済に悪影響を及ぼすという認識は私も同じです。麻薬のような財政政策と赤字拡大に誰かが警鐘を鳴らさなければならないとも思います。そのような理解の上で、3点ほど指摘しておきたいと思います。
●財政赤字の「功」

財政赤字には確かに伴さんの指摘するような危険な面がありますが、全面的に「罪」なものでしょうか。
戦前、世界が大恐慌から立ち直った要因は、第2時大戦による特需が大きいとの指摘もありますが、フーバーの財政引き締めは景気を一層悪化させ、ルーズベルトのニューディール政策が立ち直りの環境を整えた、というのは歴史の実験結果です。ここから、景気が悪化した時には赤字財政による内需刺激が容認される、というケインズの積極財政理論が生まれたのは、よくご存じの通りと思います。
問題は戦後、福祉国家が先進国で肥大化する中、ケインズ政策が乱用され、財政赤字が膨張し、かえって経済力を奪い始めたことです。その反省から、需要刺激より供給面を重視したサプライサイド経済学や、マネーサプライの管理を政策の軸に据えるフリードマン理論、さらに財政政策は一定の条件の下で果が失われるとするルーカスの合理的期待仮説など、一連のシカゴ学派がもれはやされました。この時代にレーガン、サッチャーらが登場し、世界的に減税、規制緩和など「新保守」の経済政策が断行され、アメリカやイギリスが今日の元気を取り戻す下地が整いました。
ここで注目したいのは、アメリカの経済再建の進め方です。レーガンがまず実施したのは、いわゆる「金持ち優遇」型の大型減税です。その半面、初期において歳出には手をつけず、情報通信、航空などの規制緩和を推進しました。このため財政赤字が拡大、長期金利は急上昇し、銀行がバタバタ倒産しました。しかし、ここでひるまずに「双子の赤字」を垂れ流し、銀行処理に巨額の公的資金をそそぎ込みました。
やがてアメリカは新産業主導の経済成長軌道に乗り、活力を取り戻しましたが、こうした政策の初期の段階で増税したり、無理な歳出カットに踏み切るような選択は、まったく念頭になかったとみられます。赤字が増えるのはまずいことだと分かってはいても、デフレスパイラルに転落するよりはまし、との理解からでしょう。
●アメリカのケースが示唆するもの

2000会計年度の米予算教書が議会に提出されました。
財政黒字は1170億ドルに達し、向こう15年で4兆8000億ドルの黒字を確保する見通しです。アメリカ国債の残高は5兆5000億ドルほどですから、ほぼすべて償還できるめどがついたと考えられます。もっとも全額は返済せず、主に社会保障に使う計画ですが、それでも国債残高は既に減少に転じています。全部返さないのは、成長力が確保されるなら、無理に償還しなくても「健全な赤字」として抱えておく方が有益との判断からでしょう。
つい92年度にGDPの4・7%に相当する赤字を出していたのに、見事に短期間でよみがえったものです。
ここ15年の実績、向こう15年の見通しをみて思うのは、財政収支に最も影響を与えるのは、経済の安定成長が確保できたかどうか、ということです。安定成長を持続さえすれば、15年ですべての借金を返すことも可能なのです。
所詮は景気。アメリカの予算を取材しての感想は、この一言です。
ひるがえって日本はどうでしょうか。99年度末の国・地方の長期債務残高は約600兆円と見込まれています。アメリカの半分の経済規模の国が、ほぼ同額の借金を抱えていることになります。しかも、その総額は雪だるま式に膨張を続けています。
しかし、これは予算の査定が甘かった結果でしょうか。私はそうとは思えません。財政運営に失敗し、税収が期待通りに集まらなかったから、さらに、余計な出費がかさんだからです。
確かに個別予算を見ると、ここは無駄だ、あれは見直した方がいい、というようなところが多々ありますが、マクロバランスはミクロの積み上げではありません。公共工事より減税の方が「より小さな政府」に向かうので望ましい、とも思いますが、それは財政出動の「手段の選択の問題」です。
繰り返しになりますが、97年に無理な引き締めを近視眼的に断行したから、かえって赤字が膨らんでしまったのです。要は、経済政策がへたくそだったのです。ハンドリングの問題と、財政の中味はの問題は切り離して考えるべきです。
96-97年当時、財政赤字の「罪」を強調しすぎる議論は、へたくそな経済政策を後押ししてしまったのではないでしょうか。
●日本における問題点

日本とアメリカが決定的に違うのは、一国の経済が貯蓄超過か否かです。各年の経常収支(貿易収支とほぼ連動)が黒字であれば、財政部門が赤字であっても、家計部門の黒字でファイナンスされていることになります。日本は巨額の黒字を抱えていますから、政府がこんなに赤字を出していても、まったく外国のファイナンスに依存する必要はありません。今は、円の国際流動性などを一切心配しなくてもいいのです。
その意味で、私は「国債は国民の資産」とか「夫が妻に借金している状態」と言っています。ハイパーインフレが来れば紙くずになるかも知れませんが、その時は国債だけでなく、外貨預金を除くすべての貯蓄が減価するのです。
ただ、懸念材料はあります。団塊の世代が一斉にリタイアし、年金の受給者となった段階で貯蓄が取り崩される、というリスクです。貯蓄率が減少すると、経常収支は赤字になり、国債は外国人に持ってもらわなければならなくなります。
しかし、こうした事態を避ける選択肢を見付けることこそが、「経済政策」の課題そのものなのではないでしょうか。
国債保有の内訳を見ると、アメリカだって3分の1は政府です。残りは市中ですが、このうち1割強はFRBが持っています。
日本は政府保有はほぼ同程度と思います。政府が持っていると言っても、社会保障基金が買っているのですから、国民の資産です。これも社会保障基金が破たんすればおしまいですが、破たんしないようにするのが「政策」です。私は、世帯単位加入から個人単位への変更、女性や高齢者の就労促進により労働人口比率を維持すれば、破たんは防げると考えています。
年金は安全運用が第1なので、大半は国債で回さざるを得ないと思います。株をばんばん買うわけにいかないでしょう。ただ今後は以前のように積み立てる一方ではないので、自然に国債買い入れ量は減るでしょう。
伴さんは市中保有に占める銀行などの比率が高いのを問題にされているようですが、国債は普通国民が直接買うものではありません。銀行預金、郵便貯金、あるいは中国ファンド、MMFを通じ間接的に持うのです。元をただすと国民の資産です。
市中分のうち日銀保有はFRB保有より確かに3-4割ほど多いですが、これは「金融政策」の問題です。国債を買うと言うことは、通貨を市中に出す、というとです。これを否定すると、公開市場操作(オペ)=金融政策そのものが否定されてしまいます。どの程度の通貨を市中に出すかは、金融政策そのものです。今のように量的な金融緩和が必要な時期には、買い入れ量がどうしても増えます。
最後に、このような量的緩和がインフレを招くかどうかですが、今、政府は本音ではむしろ、ややインフレ気味になってほしい、と願っているのだと思います。インフレ政策を口にした時のインパクトが怖いので表立っては言いませんが、個人は住宅ローン、企業は過剰設備、そして国は国債を抱えていますから、デフレでは困るのです。
インフレは明るい病気、デフレは陰鬱な病気。どうせなるなら明るい方が…、という議論は、世界的にあるようです。日本は初めてのデフレに苦しんでいますが、日本経済は図体が大きいので、日本だけでなく世界各国がこの悪影響を被り、体力がないがために、むしろ日本「本人」より苦しんでいます。「日本はあまり迷惑をかけないでくれ」というのが世界の本音です。
やっぱり日本は「右肩下がり」ではいけないのです。
インフレを3%程度に抑え、ハイパーインフレを避けられるか。そのかぎも、結局日本経済が一定の成長を維持できるか、にかかっています。財政の帳尻合わせばかり考えて経済を破壊してしまっては、いずれにしてもハイパーインフレ、円暴落を招きます。
「安定成長を維持できる政策」はもちろん、規制緩和による新産業育成、労働市場流動化などの経済構造改革が柱になります。財政出動は、構造改革の一時的な痛みをやわらげるにすぎませんから、改革を進めよう、という声は重要です。また、公共工事の配分も抜本的に、どうせなら本当に必要なものを作ってほしいと思います。
しかし、「600兆円」の借金ぐらい、しっかりした経済運営ができれば、15年で返せるのです。財政のマクロバランス、国債残高にこだわりすぎると、単年度の均衡だけを目指す大蔵省の思うつぼにはまり、建設的なほかの議論ができなくなってしまうのではないか、と私は懸念します。
日本人は独創的な発明は苦手ですが、製品化するアイデアでは優れていますし、実際に製品を作る際の工場の生産管理も世界で随一です。モノ作りだけでなく、顧客サービスの良さでも抜きんでています。外国人も皆、「JALのスッチーはすばらしい」と口をそろえます。JALは他社より高い航空運賃を設定してもいいのです。
アメリカのスターバックスと、日本のドトールの差は、一度行ってみるとよく分かります。値段はアメリカの方が高いのに、満足度が全然違います。
伴さんは料理をしますか? 料理をする人には分かるのですが、不ぞろいな野菜は手間がかかってたいへんなんです。皮をむくのに骨が折れるし、均等に火が通らない。結局食べるところも少ないし。アメリカでも金持ちは、きれいな野菜を買っています。
モノ作りとサービスの良さは日本経済の最大の武器と思います。 さらに、日本には多額の個人貯蓄、外貨準備、対外純資産があります。外から見て、日本はやっぱる「黄金の島」です。恵まれすぎて改革を怠る欠点がありますが、これだけいい条件がそろっているのですから、経済政策をしっかり運営すれば、安定成長を維持できて当然と思います。
大辻さんへotsujika@kyodonews.or.jp