執筆者:伴 武澄【萬晩報主宰】

不遜ながら今日の日本経済新聞の1面コラムに抜かれた。萬晩報ごときがと言われるかもしれないが本日付用に準備していた話を大手マスコミといえども先に書かれるのは悔しいことである。というより年末に読者の一人から紹介されていたのに今まで掲載を延ばしてきた責任は小生にある。

「日本経済が破綻するまで動きつづけるリアルタイム財政赤字カウンタ」http://etude.math.hc.keio.ac.jp/~ken/fin/ という恐ろしげなホームページがウェブ上に出現した。デジタル表示で1秒ごとに62万円ずつ金額増えていく。金額は日本国の借金が目の前で刻々と増え続ける様は異様でもある。アメリカの共和党のホームページにも同じようにアメリカの財政危機を訴えるサイトがあるらしい。国会と霞ヶ関だけでなく、企業や学校でも掲示すべきだと思う。

●国家はなぜ国債を発行するか

昨日に続き日本の借金の問題を取り上げたい。1998年11月28日付萬晩報「そうだったのか国債って国が買っていたんだ!」に、なぜ日本銀行が国債を持ってはいけないかという素朴な質問をいただいた。萬晩報の主張がおかしいという意見もあり、一方でもっとかみ砕いて説明してほしいという要望もあった。3回続きで日本の財政的危機をおさらいしたい。第1回のテーマは「国家はなぜ国債を発行するか」である。

戦後、日本が最初に国債を発行したのは1965年である。それまでの日本の財政は借金なしでやってきたが、当時としては未曾有の不況に見舞われ、予想した税収が集まらなかった。これを歳入欠陥という。発行金額は2000億円だった。あくまで一時的な措置だった。そこで収入に応じて歳出を減らしておけば、今日のような事態にならなかっただろうが、国の財政は各省庁のなわばりもあってなかなか歳出を減らすことは難しかった。

借金のうまみを知った政府はやがて毎年のように国債を発行して不足する財政資金を賄うことが当たり前となった。財政法では、基本的に国債の発行で財政を運用することを禁止しているが、公共事業についてはその限りでないことを記してある。道路やダムは後世に資産として残るものだからという考え方である。それをよいことにしばらく経つと公共事業は国債発行で実施するものだという常識が登場した。はっきりした時期については確かめていないが、少なくとも1970年代後半はそうだった。

同じころ、景気対策に公共事業の上積みを図る施策が導入された。多くが追加予算という臨時支出である。元手があるわけでないから当然、財源は国債発行となった。ところが1970年代後半のオイルショックで日本は再び未曾有の不況に落ち込み、再び歳入欠陥に陥った。1965年の時もそうだったが、年度を締めてみたら税金が足りなかったのだ。

本来、公共事業以外には国債を発行してはいけないが、単年度で収支を合わせる必要があったため、制度をねじまげて「特例国債」という法律でいわゆる「赤字国債」を発行した。その年に限ってという措置である。ところがこの「特例」も1回で終わらなかった。20年前に叫ばれた財政再建はこの赤字国債の発行を辞めようというもので、ようやくストップがかかったのが、バブルの最終局面の1990年だった。

歳入欠陥で始まった国債発行が、やがて公共事業の財源と化し、景気対策の資金源に発展し、1990年代には減税の財源にもなっている。いまや国債は政府の打ち出の小づちなのだ。すべてが1年限りのつもりで始まりやがて気が付くと恒久化しているのだ。

問題は公共事業という名の建設事業が、多くの地域で「産業化」してしまったことである。かつては農閑期の産業だったものが最近では「通年化」している。農村部ではもはや公共事業という産業を抜きにして人々の生存が不可能になっているのだ。日本経済の不況が長引けば長引くほど多くの地域で公共事業増額を求める声が高まるなんとも悲惨な段階に達してることは知っておく必要がある。

34年前たった2000億円だった国の借金が1999年3月末には300兆円を超える水準にまで膨張してきた歴史を短時間でたどるのは難しい。とにかく90年代に入ってからの増え方は尋常でない。92年度からの景気対策は100兆円を超えているのだから。おっとここまで書いているうちに(1時間強)日本の借金のカウンターは89億円も増えてしまった。急がなくてはならぬ。次回は「だれが国債を買っているのか」である。