執筆者:伴 美喜子【マレーシア国民大学外国学部講師】

南国の夜空に新月がキラッと最初の光を放つと、ラマダーン(イスラム暦9月)の到来である。その翌日から世界の10億人とも12億人とも言われるモスリム(イスラム教徒)たちが一斉に1カ月の断食に入る。

富める者も貧しき者も、イスラーム教徒であれば皆一様に、夜明け前から日没まで食べ物も飲み物もタバコも一切口にしない。その間、肉体的、精神的欲求を制御するのだ。

イスラーム暦は西暦に比べ約11日間短いので断食の開始、終了時間は年により、また日により、あるいは場所により異なる。クアラルンプールの場合、ラマダーン22日の断食は午前5時50分から午後7時19分までである。

夕暮れ時、1日の「行」を終えた人々は、それぞれの家庭あるいはレストランや屋台で「7時19分」という時間を待つ。そして、その「とき」を告げるアザーンがモスクから流れ始めると、一斉に目の前に用意してある甘い飲み物を口にし、渇き切ったのどを潤して疲労した体を癒す。「感謝」という感情が知らず知らず泉のように湧き出る。

私は断食中。数日試みただけであるが、モスリムたちはこれを1カ月続ける。未明の食事をするために早起き、日中の欲望コントロール、決まった時間の夕食など規則正しい生活を強いられる。

マレーシアは多民族国家であるから、ラマダーンは国民の半分を占めるマレー系やその他のイスラーム教徒に限ったことで、その他の民族や外国人はお構いなしに自分たちの生活を続けている。

会社で昼休みに昼寝をするマレー人が多くなるし、大学の食堂はいつもよりすいている。夕方にはマレー系運転手のタクシー数も減る。町の風景は多少違ってくるが、基本的には日中はいつもと同じように世の中は動いていく。多民族国家マレーシアでは断食中だからという甘えは許されない。

しかし、ひとたび夜の帳が降りると、それぞれの民族はその民族のそしてその文化や宗教の「巣」へと戻っていく。

モスリムにとってラマダーンの夜は神秘的で美しい。アッラーを畏敬せよ、自然との絆を忘れるな、生きる意味を深く考えよ、という空気に満ち満ちている。夜空に月を捜し、その形で「時」の経過を知る。1日の「務め」を済ませ、気分的に満ち足りた食事を終えた後はモスクや近くのスラウ(礼拝所)へ特別の礼拝に行く者も多い。

普段は運転手付きのベンツを乗り回し世界に股を掛けるビジネスマンもこの時ぐらいはと思うのだろう。白いイスラーム帽にサロン(腰巻き)とサンダル姿でいそいそと夜のお祈りに出かけていく。まるで夕涼みを楽しむかのように。英語で雄弁に外国人とやりあうエリート女性たちも他の保守的なモスリムとまったく同じように白い装束に身を包んで、しおらしくモスクでアッラーに祈りを捧げている。

この時期、彼らは精神的に満たされ、イスラームであることの誇りを強く意識しているように思える。弱者への思いやりが芽生えるのもこの時である。「まわりの非イスラーム教徒が何をしていようと私は目もくれない。私はマイ・ウエイを行く。モスリムとして生まれ、これからもイスラーム教徒ととしてしっかり生きていくのだ」-一人ひとりがそう主張しているかのようだ。

昨夜、クアラルンプール郊外をドライブした。ブルー・モスクがライト・アップされ、ひと際美しく目に飛び込んできた。何百というモスリムたちがアッラーを通じて心をひとつにして祈っていた。異教徒を寄せ付けない神秘的で不思議な時空間を意識した。羨望と尊敬の念とそして長年マレーシアに住む私の心を一抹の淋しさがよぎる。「自」と「他」を意識し、彼らとの距離感を知らされる時である。

ラマダーンも半ばを過ぎると、テレビから流れる音楽も宗教色の強いものから断食開けを祝う明るいトーンに変わっていく。「ハリラヤ(断食明け)おめでとう」というカードが行き来し、町にはハリラヤを祝うイルミネーションが灯る。

主婦は家を飾ったり、クッキーを焼いたり、オープン・ハウスの準備に大わらわである。「もういくつ寝るとお正月」ならぬ「もう何回断食すればハリヤラ」である。断食期間中とは打って変わってハリヤラは他民族をも巻き込んでのマレーシア最大のお祭りとなる。

ハリラヤ・カード(Maaf Zahir Batin)の決まり文句は「目に見える形で、あるいは見えぬ形で犯した過ちや失礼がありましたら、どうぞお許し下さい」というもの。英語の「メリー」クリスマスや「ハッピー」ニューイヤー、中国語の「恭喜発財」、日本語の「昨年はいろいろお世話になりました。今年もどうぞよろしくお願いします」などと比べるとそれぞれの民族色が出ていて興味深い。

イスラームの国々は暑いところが多い。まだまだ貧しい国もある。しかし彼らは「目に見えぬ」心の高貴さを大切にして生きている人々であることを忘れないでいたい。

今年の断食明けは1月19日の予定である。世界中のモスリムのみなさん、断食明けおめでとう!(BAN Mikiko 在マレーシア6年)

BAN Mikiko氏は、国際交流基金の駐在員としてクアラルンプールに赴き、4年半の勤務の後、同基金を退職、日本語教育のためにクアラルンプールに留まり、マレーシア国民大学のタイバ女史の要請で現在、同大で教べんをとっています。まだメールが出来ないので、ご意見がありましたら萬晩報経由でFAX送信します。