執筆者:伴 武澄【萬晩報主宰】

新聞記者は多くの「うそ」をみてきた。正確にいえば「うそ」ではない。オランダのジャーナリストのファン・ウォルフレン流にいうと「偽りのリアリティー」に手を貸してきたともいえる。

1993年産米が不作で94年はコメ騒動に明け暮れた。まず輸入米と国産米のブレンドが問題になったことは記憶に新しいだろう。筆者は94年から95年にかけて農水省担当だった。農水省担当になる前はふつうの主婦と同様「そんなバカな」と考えた。しかしことの真相を知ると、なぜ農水省が簡単に輸入米のブレンド販売を強行したかだんだん分かるようになった。

●業界の常識は消費者の非常識●

この1年に分かったことは単純なことである。コメの販売は「ブレンドする」という意味なのである。ふつうの人にはこの意味がぴんとこないかもしれない。筆者も担当するまでは分からなかった。農家、集荷業者(農協)、系統組織(県経済連)、卸売り業者、小売店。だれに聞いてもコメを混ぜている売ることに後ろめたさがなかった。「コメ販売のノウハウを」と問えば、だれもが「品質の違うコメをブレンドしてどのように味を保ちながらコストを下げるかだ」と答えた。コメの関係者は、輸入米が入ってきたときも同じことを考えた。タイ米が長粒米でジャポニカとはまったく異なるコメであることはどうでもいいことだった。

だから、農水省が穀物検定で一生懸命、等級を付けても、工業品のようにそのまま消費者の手元に届くわけではない。農家すべてが出荷前にブレンドするとは信じたくない。だが一般的なのだ。集荷時には60キロ入りの袋に入れ、その袋に等級が刻印される。しかし、その袋は流通段階でただちに破かれ、第2段階のブレンドが行われる。今度はふつう高い方の等級が新たな袋に刻印される。小売りでも同じことが繰り返される。もはや農水省が決めたややこしい「類別区分」や「品質区分」などはまったく意味を持たなくなる。

秋田で直接、消費者にコメを販売している農家に取材したときは開いた口が塞がらなかった。「うちは良心的だから10%しか混ぜていない」と自慢したのだ。一番おいしい「あきたこまち」でも一番安い滋賀の「日本晴れ」が10%ブレンドされていたのである。

近畿の中堅卸売り業者に入社したばかりの友人が打ち明けた話はもっとすごかった。「同じコメが違う表示の袋に詰められ、その逆もあるんだ。びっくりしたけど、びっくりしたことに会社の人が驚いていた」という。これではあんまりだ。

東京の卸売業者の言い分はこうだ。「消費者にコメを売るには3種類の袋が必要なんだ。中身は同じでもいい。2種類のコメを一度に買っていく人は絶対いない。特に一番安いのはほとんど売れない。真ん中のが一番売れる。それが日本の消費者心理だ」。当時、コメには新米記者だった筆者が取材するだけでも「偽りのリアリティー」がぼろぼろ出てきた。

●あんたは誰の代表なの●

1995年は食糧管理法の廃止が決まった記念すべき年であった。「つくる自由と売る自由」が与えられたはずなのに11月、農水省は新しいコメ流通に移行することに対応した「検査・表示制度に関する研究会」報告を発表した。自由の引き替えに検査の強化が必要なのは金融機関でも同じである。しかし、農水省が相変わらず、コメがブレンドされないことを前提に議論していたのが可笑しかった。

もっと首をひねったのは、日本生活協同組合連合会(生協)が農水省の正式発表を待たずにマスコミ各社に「報告書への見解」なるものをファックスしてきたことだった。内容が漏れたのは研究会に委員を送り込んでいた結果で仕方のないことではあるが、あまりにも出来過ぎていた。

そのファックスには報告書が「消費者ニーズの多様化に的確に対応する必要性」を盛り込んだことを高く評価していたが、なんのことだか分からない。コメ販売の透明性を確保するため、流通段階での「コメのブレンド操作の禁止」ぐらいは要求すべきだった。また「輸入米の安全性確保の万全化」をうたったことも評価したが、諸外国の何十倍もの農薬を農地に散布している日本の農業に目をつぶって輸入米攻撃に終始する姿勢はいただけない。

経済協力開発機構(OECD)の報告書では、日本の単位面積当たりの農薬散布量は欧米の30倍なのである。「あんたは誰の代表なの」と叫びたくなる。(続)