執筆者:伴 武澄【萬晩報主宰】

「実は来年から1週間の法定労働時間が44時間になるんだ」

「ちょっと待って下さい。1987年の労働基準法の改正ですでに40時間になっているんではないのですか」

「うん。あれは実施時期が書いていないんだ。6年で段階的に40時間にまで持っていく計画があるだけなんだ。それまで1週間の法定労働時間は48時間だったでしょ。88年4月から経過措置として46時間になって、次の段階が来年くるんだ」

「それってまだどこの社も書いていないですよね」

「まあ、書いていないけどね」

1990年7月、労働省内でこんな会話をした数時間後に「労働省は来年4月から法定労働時間を46時間から44時間に短縮する方針を決め、中央労働審議会に諮ることを明らかにした」といった内容の記事を書き上げて、デスクに送信した。当時、共同通信社はまだパソコン通信による記事送信を認めていなかったからワープロで印字した原稿をファックスした。翌日の東京新聞は一面に筆者の記事を掲載した。得意満面だった。

約3カ月後の10月、労働省は週法定労働時間の44時間への短縮を正式に発表したが、驚いたことに「適用猶予業種」と「適用猶予事業所規模」という項目が多くあった。補足説明を求めに労働時間課を訪ねると、事業所ベースで9割がこの「適用猶予」に該当するという説明だった。簡単にいえば、2段階の制度改正を経てもなお、9割の労働者はまだ46時間労働が禁止されていなかったのだ。

筆者はこの話を聞いて思わず「詐欺じゃないですか」と叫んでいた。

そりゃそうだろう。労働時間を短縮して働き過ぎをなくすのが目的の制度改正に当たって「業種」や「事業所規模」ごとに猶予していたのでは「ザル法」でしかない。筆者が日本の法律に疑いを持ち始めたのはこの時からだった。いくらなんでもひどすぎる。

そもそも労働基準法改正時に「実施時期」を明記しない法律があっていいものだろうか。法律音痴の経済記者の頭の中でそんな疑問がもたげてきた。労働省の法令審査を経て、政府の法制局を経た法律である。いまの六法全書にはもはや書いていないが、当時の労働基準法をひもとくと「実施時期は政令に委ねる」と書いてあったのだ。

筆者が書いた独自ダネは単なる「政令の改正」だった上に「ザル改正」だったのだ。「詐欺師」となじられた当時の労働時間課長は戸惑いを隠せないようすだった。87年の労働基準法改正で中央労働審議会が付議した文面には「1990年代前半に40時間に移行する」とあったものの、その後、週法定労働時間40時間は96年まで実施が延期された。理由は簡単である。景気低迷を理由に業界が実施の延期を要請したからである。

そもそも、1988年の労働基準法改正で週法定労働時間40時間が盛り込まれたのは、中小零細企業への導入が目的であった。というのもそれまでに大企業のほとんどで週休2日制(1日8時間で5日労働)が導入されていたからだ。その中小零細企業を次々と適用猶予にしていたのだから何のための法改正だったか分からない。

「日本の労働法改正は政府による政策目標ではなく、業界の実態を後追いする異議しか持ち合わせていない」。当時、そんな感慨も法律音痴の頭をよぎった。

当時、ドイツでは政府と労働界との間では週35時間労働制の論議が始まっていた。日本では、働き過ぎ論議もすっかり影を潜め、週法定労働時間が正式に40時間となったいまも多くの除外業種や除外事業所規模が多く残っている。