転換すべき時に継続を選んだ日本
執筆者:伴 武澄【萬晩報主宰】
最近、友人であるメディアケーションの平岩優氏から身につまされるメールをもらった。
最近世の中いやな雰囲気だとおもいませんか。参院選で自民党が負け、その後、ガスが抜けて、テンションが下がった状態をだれもおかしいと思わずに、だらだら、日常が続いているような気がします。金融破綻の記事にも食傷し、貧血状態でみなが、息をひそめています。石川好がバクチをすすめていますが、よくわかります。ついこの間まで、掛け金を積まなければいきていけないような戦後の暮らしがありましたが、いまや、みんながなんとか食べられる元手を握りしめて、息をつめています。外からくる人間はこの鬱陶しさに敏感なようです。
20年後には80万戸近くまで落ち込む住宅着工戸数
「週刊ダイヤモンド9.21号」を読んでいて、面白い記事が二つあった。北海道大学の山口二郎教授のコラムとトステムの潮田健次郎社長への小さなインタビュー記事である。
山口二郎教授は元は横道知事の元ブレーンである。社会党のシンパでもあったが、ブレア党首による英労働党の華麗な変身ぶりと日本のいまの社民党のふがいなさを対比して嘆く。小渕政権については「最大の罪は、転換すべき時に継続を選んだことである」と看破した。なかなかすごいキャッチフレーズではないだろうか。
トステムは窓枠などサッシの最大手である。このトステムの潮田健次郎社長は、日本の住宅着工戸数「20年後には80万戸近くまで落ち込む」と言い切っている。1996年度の163万戸あった住宅着工戸数が97年度は134万戸に落ち込み、さらに98年度は125万戸を下回る水準で推移していることに嘆いている場合でないとばかりに住宅業界に警鐘を鳴らしている。
トステムは最近120万戸でも利益を確保できる体制が整った。だから塩田氏は10月に会長に退いて後継に道を譲る。80万戸まで落ち込む理由は明快だ。「住宅は世代を超えて相続されるうえ、第二次ベビーブーマー世代が結婚した後は人口統計上、世帯数は増えないからだ」という。
おかげでアメリカの新しい経営手法を学んだ>br>
分かっていても、基幹事業の産業規模が半分近くに縮小することを口にする大胆な経営者に出会ったことはない。社長の任期は長くて10年である。だれもが拡大基調を前提に経営を考える。日本の経済の問題の問題は山口教授の言うようにまさに「転換すべき時に継続を選んできたことである」。
まだ少ないが、「転換」を選択しようともがく経営者も現れてきている。筆者がまだ現場時代の話だから古くさいかもしれない。東レの現会長の前田勝之助氏のことは06月22日「好況時のリストラで基礎体力を育んだ東レ」で書いた。ブリヂストンの海崎洋二郎氏と経団連会長の今井敬氏の思い出を紹介したい。
ブリヂストンの海崎洋二郎社長は80年代に買収したアメリカのブリヂストン・ファイヤストン(BSF)の経営立て直しに成功して本社のトップに抜擢された異色の経歴を持つ。1993年3月の就任記者会見での発言が良かった。記者団から「経歴を見るとブリヂストンで本業のタイヤ事業にかかわったことがないようだが」との質問が出た。「BSF再建では従業員のリストラが立ちはだかった。アメリカ政府の横やりもあった。おかげでアメリカの新しい経営手法を学んだ」というような内容の発言で記者団を黙らせた。30億ドルをつぎ込んで一時は本社の屋台骨を揺るがせたファイヤストン買収を成功譚に終わらせた力量がいまブリヂストンを変えている。
語り始められた「韓国の浦項総合製鉄」の国際的競争力
同じ年に新日本製鐵の社長に就任し、今年から経団連会長になった今井敬氏もまた、新日鐵の社長としては珍しく鉄鋼営業畑を歩んでいなかった。就任会見では海崎氏の場合より辛辣な質問が出た。「今井さんは原料畑で、大丈夫ですか」。今井氏は目をキッとつり上げ「原料は海外で行われます。原料の購買は市場原理という駆け引きの中で動くのです」と語ったのを覚えている。
日本の産業界で最もカルテル的体質を残してきた鉄鋼業界にただちに波紋が起きた。鉄鋼業界では、電機や自動車業界と違って個々の企業の生産量は語られず、「今年の日本全体の粗鋼生産は1億トンを超える」とか「1億トンを切る厳しい状況」といったふうだった。筆者も含めてマスコミ側も取材で個々の鉄鋼企業の業績を口にすることは稀だった。
鉄鋼大手は大手商社を仲介者として定められたシェアの中で”営業”が行われていたから当然だった。そんな業界で今井氏は「今年度、新日鐵としては2600万トン生産を堅持する」などと語り始め、「韓国の浦項総合製鉄」の国際的競争力の脅威をしきりに強調した。「日本の鉄鋼業界」の生き残りではなく「新日鐵」の生き残り策が今日の高炉5社の経営体質の差を生みだしたのだと思う。