環日本海フォーラムという地方からの発信
執筆者:伴 武澄【萬晩報主宰】
「北東アジア開発フォーラム」(環日本海会議)が7月28、29日と鳥取の米子市で開かれる。この会議を知らない人は多いと思うが、筆者には相当な思い入れがある。1992年4月末、平壌で開かれた特別会議にマスコミの一員としてに参加し、参加者150人とともにロシアと中国の国境地帯の豆満江まで列車で旅した経験があるからだ。その時の感慨は3月8日付萬晩報「北海道に託す『新五族共和』の夢」に詳しいので読んでほしい。
グローバル化すればするほど、リージョナライザーションが進む
中国東北地方の長春で産声を上げた会議は平壌、ウラジオストック、韓国の竜平を経て1995年2月、日本にやってきた。東京ではなく新潟市で開催した。その後、ハワイのホノルル、昨年はモンゴルのウランバートルで開いた。環日本海はいまやみんな僻地である。僻地の人たちが毎年一回、国境を越えて僻地に集まる。そんな会議が今回で8回目になる。息が長いといえば、そうだ。
筆者は毎年参加しているわけではないので、すべての議論に熟知しているわけではない。僻地の人たちの会議だからなんとか智恵を絞ろうと求心力が働く。逆に政治的対立は持ち込まれない。議長の趙利済氏(ハワイ在住)が所用で神戸市を訪れたので昼食を一緒にした。米子会議の事務局を取り仕切るとっとり政策総合研究センターの中野有氏も同席した。
趙氏は「世界がグローバル化すればするほど、リージョナライザーションが進む。EUを見てほしい。NAFTAだってそうだ。環日本海にも地域統合が必要なのだ」と説く。二人の語り口に触れて、あらためて筆者の中にも熱いものがこみ上げてきた。それにしても時期が悪い。アジア経済は昨年から急速に冷え込んでいる。日本は金融破綻の長期化が経済への信任を失わせている。「こんな時期に集まる意味は」との問いかけに「時間がかかることは承知の上だが、21世紀にはこの地域に価値観の共有が必ず必要となる」とひるむ様子はない。
地方都市でもレベルの高い議論
新潟会議では、主催者のERINA理事長の金森久雄氏が会見で「環日本海開発の情報は東京では得られないものです。ぜひ新潟からの発信をお願いします」と訴えた。韓国は元総理が出席、中国からは次官クラスがやってきた。北東アジアの開発は東西冷戦構造が終了した後にわかに注目を集めていた。
環日本海は、当時者の中国東北地方、極東ロシア、北朝鮮にとっては成長のキーワード、日本海岸自治体にも対岸との交流は一大関心事となっていた。今でもそうであるはずだ。地方都市で行われた国際会議の中では相当にレベルが高かった。地方にありがちな「友好」のみの国際交流ではなく、開発の可能性を探る真剣な討議が続いていた。
ところが政府が関与しないというだけでマスコミの評価は小さかかった。東京の大手紙ではベタ記事か会議の存在すら認めない新聞が多いなかで、日本海岸のほとんどの地方紙が取材にきた。共同通信は本社が東京にあるから本社からの出張取材は認められなかった。だから小生は「取材」ではなく「参加」したのだ。
高い欧米の関心、低い日本の認識
新潟会議の注目点は、アメリカが東京の大使館員だけでなく多くの研究者による大デレゲーションを組織したことだった。英国やスウェーデンのシンクタンクも極東の地方都市でのフォーラムに注目した。第一に北朝鮮が関わる開発問題であること。政府間ではなく、地方自治体による国際的な開発協力の実験の場であることも関心を集める背景となっていた。だが日本政府からの参加は基調講演を行った遠藤大使と運輸省の港湾関係者だけだった。
北朝鮮の国際社会への復帰をてこに環日本海協力は必ず大きく動き出す。当時はそんな確信があった。いまでもその確信は変わらない。当時の取材ノートに「緊張と対立の海を成長と繁栄の海に変えようとする地方の努力に政府はもっと関心を持つべきだし、マスコミはもっともっと感性を研ぎ澄ますべきだ」と書いた。
米子会議の目玉は、アメリカの有数の政治学者であるロバート・スカラピーノ博士の基調講演と、スタンリー・カッツ元アジア開発銀行副総裁の参加だ。カッツ氏は前回のウランバートル会議から環日本海地域に独自の開発銀行設立を提唱している。北東アジア開発銀行が、設立できるかどうかは日本とアメリカの決断にかかっている。
米国のシンクタンクの恐ろしさは、アジ銀副総裁まで務めたカッツ氏のような人材がハワイ大東西センターの研究員という肩書きで国際会議に参加することだ。まさに産学官が政策立案能力を高め合う一体的な構造を持っている。中野氏によれば「環日本海会議はアメリカにとって東アジア地政学の戦略的位置づけを持っている」そうだ。
アメリカ政府が関心を持ち続ける環日本海フォーラムの努力に日本政府も東京のマスコミも関心を示さないのはなぜか。答えは簡単だ。目の前の出来事にしか対応せず、長期的視野を持たないからだ。それだけのことである。