農水省を担当していたときに同省の部内誌である「AFF」1995年4月号に「北海道が独立したら」という文章を書いた。省内からの講評は一切なかったものの、場外ではけっこう面白いと評判を得た。
 当時、為替は円が1ドル=80円台にまで買い進まれていた。どうやったら日本経済を再建できるか議論していた。新闘紙上でも規制緩和のオンパレードだったが、いまの政府に任してい
ては何も変わらないまま、円高だけが進行する。そんな危機感から仮想独立国の論議を思いついた。
「国を出て、国を作ればいいんだよ。そうしたら日本の規制から逃れられる」
「自治休の独立だな」
 「そうだ。大前さんが道州制なんていって連邦制を提唱しているけど、規制緩和ひとつできない政府がそんな大胆なことできるはずがない。万一やっても何年かかるか分からない」
 こんな書き出しである。
 北海道を1ドル=500円ぐらいの為替交換率を実現する国家として日本から離脱させる構想である。キーワードは「教育水準が高くて日本語が通じる投資国」だった。そうなればASEANに流れていた日本国からの投資が相次ぎ、農業だって国際的競争力を回復国できるかもしれない。当然ながら補助金は切れるが、北海道でも税収は地方税5000億円のほかに国税
が1兆5000億円もある。国土としても税収規模としても独立してやっていける水準だということも分かった。
 中江兆民の「三酔人経綸問答」ばりに記者と農水省役人とのやりとリが続く。酔いに任せて国旗はフクロウをあしらうとか、国家はトワエモアの「虹と雪のバラード」だとか好き勝ってに議論を進めた。日本国憲法は武力の行使を認めていないし、知事の要請がないと自衛隊は出動できない。だから一方的独立をしても自衛隊は何もできない、住民が自決の精神を持てば簡単な住民投柴で独立できる。そんな結論となった。
 破れかぶれではない。北海道が本格的に日本という国家に組み込まれたのは明治以降であ
る。北海道という地名だって明治2年に命名された。エゾ地は「日高海道」「北加伊道」「海北道」となった可能性だってあった。本州並みの自治体になったのはようやく戦後のことである。官選の知事さえいなかった。朝鮮や台湾のように、さすがに総督府は置かれなかったが、それまでは北海逆開発庁長官がトップだった。
 そんな土地柄だったからこそ100年前、函館の五稜郭にたてこもった榎本武揚は幕府の役
人を食わせるために北海道開発を考え、新政府に「北海道を幕府にくれ」と要求をした。本国から分離独立して立派にやっている国は多くある。シンガポールは最も成功した例だし、カナダのケベックは二度の住民投票を経てもまだ独立にはいたっていないが、次の住民投票では分離独立が確実毘されている。
 北海道のいいところはまだ開拓精神が残っているところだろう。そもそもアメリカと同様に
本土で食えなくなった移民が開拓した上地柄ではないか、発想を転換すれば、北海道に日本国を凌駕するような経済を建設することは不可能ではない その第一歩は、東京に反逆する政治家を生み出すことだ。東京と同じことをやっていては北海道に未来はない