執筆者:伴 武澄【萬晩報主宰】

6月08日付コラム「移民が支える起業家精神」への読者の声を掲載します。インディアンへの弾圧などアメリカ史の影の部分への言及が足りないといった意見もありましたが、Suoth Carolinaの西野さんが語った06月11日の「奨学金を30も受給したことが誇りとなるアメリカの高校生」にみられる奥深さはやっぱり見習いたい【萬晩報】。

レンタカーの旅でアメリカびいきになった友人

いつも楽しく、私の場合は、うなづきつつ拝見しています。「『アメリカ礼賛にすぎる』という指摘のメールをたくさんいただいています」とのことですが、私は、萬晩報の日頃の基調に賛成しております。アメリカをしっかりまねて、向こうのいいところをちゃんと吸収していかないと、日本が駄目になるという考えを私個人は持っています。

もう何カ月も前になりますが、私の日頃の言動を「アメリカ寄り」だと親しみをこめつつも批判的に言う友人をつれて、ロスに観光旅行に行きました。向こうにいたのはたった1週間でしたが、彼は私以上にアメリカ礼賛になってしまいました。

以下のような複数のエピソードの結果、彼は、すっかりアメリカびいきになってしまいました。

(1)空港からすぐにレンタカーを借りました。早朝、すぐに立ち寄ったコンビニエンスストアの店員のスマイルと「グッモーニン!」という明るい声に感動しておりました。それにひきかえ、我が同胞のなんと無愛想なことか。

(2)ロスから南へ、海岸沿いを車を走らせました。途中、ビーチに降りて散歩していたら、浜辺をランニングしていたおじさんに即注意を受けました。我々が歩いていたコンクリート舗装の道は歩道ではなく、自転車用兼ランナー用のものでした。そこを歩き始めてから、注意の声が聞こえてくるまでほんの10秒程度。友人いわく「公共の場所での我が同胞は、ルール違反を見てみぬふりするのが普通。アメリカは、なんとまともな国であることよ」。

(3)あちこち走っているうちに、近くのタコスなどを置いているファストフード店へ。ところが、そこが、なんとなく雰囲気が悪いと彼が言う。たしかに目つきの悪い人たちがこっちをにらむ。あわてて出たところで、ガソリンが少なくなった。自分で給油し、クレジットカードで自動支払い。そのレシートを見て驚いた。よけいなサービスがないからといって、ここまでガソリンが安いとは。

(4)スタンドから出ようとすると、夕方で交通量が相当増えてきました。日本と同じように、車の流れがとぎれたところで出ればいいと出かけたところが、あたりの車がすぐに停車し、スタンドから車道に出やすくなるよう配慮してくれました。このときは、運転していた私も、唖然。東京には20年以上住んでいますが、絶対にあり得ない光景です。

(5)運転中はさらにフレンドリーな経験をいっぱいしました。別に、旅行者なんてどこにも書いてないから、これが普通のマナーなのでしょう。地図くびっぴきでうろうろしている車のうしろから、クラクションを鳴らすこともなく、しっかり待ってくれています。車線変更でも、親切に間に入れてくれる。東京では絶対に経験できないことを、何回も経験します。逆に、アメリカ人が東京にきて運転するとどんな気持ちになるか想像すると、恥ずかしくて顔から火が出そうになります。東京を少し運転すればすぐにわかることですが、幹線道路走行中、陸橋が近くなったので、変更可能なところで右に車線変更をしようとしてウインカーを出しても、入れてくれない乗用車やタクシーなんてあたりまえ。

あのカリフォルニアから来たばかりの米国人が、国際免許でこの東京の道を2時間走ったら、いったいどういう気持ちになるか。「習慣が違う」とか、「他にも日本にはいいところがある」といっても、気休めにしかならないでしょう。そういう日本の社会を我々は作り、なおかつ維持しています。

短い観光旅行でしたが、普通の人と同じ目線でものを見た方がいいと思って車を借りて移動しましたが、結果的に、自動車の運転を通して、あの国の危なさもわかりましたし、あの国の懐の深さというか、マナーという言葉の本当の意味を感じました。英語ができない人とクレジットカードのない人は、あの国では正当な扱いを受けるのが難しいということも経験しました。しかし、それは、表面的には、語学の知識と個人の経済力の問題であって、日本で感じる人種差別的な言動とはかなり異なったものではないかと二人で話し合いました。

例の友人は、最近は、政治や経済の話をするたびに、「日本は、アメリカの州の一つになればいいのに」とまで言うのです。困ったやつです(笑)。もっとも、私も「いや、アメリカの1州になって銃も入ってくると、日本人は根が凶暴ですぐに切れるから、向こうよりも極端な凶悪犯罪が起きて、大変なことになるよ。やめたほうがいい」といって大笑いします。ここまで言うと、ちょっと・・・・でしょうか。【Katsuro Miyakoda】

私の娘たちはトリリンガル

私は駐在員として米国に通算12年滞在しております。「万晩報」について意見を述べさせて頂きます。「道路から下水道にいたるまで当事国民の税金で賄われるサービスを当然のごとく受けている」と言いますが、我々は決して税金を払っていない訳ではありません。駐在員として合法的な移民であり、給料を貰って生活をしています。すなわち、米国連邦税、州税、固定資産税(屋賃を家主に払うことで間接的に税を納める。これが直接に教育に使われる)などは当然の義務として納めております。よってサービスを受ける権利を有するものと思います。

「大人にも子供にも日常生活に”異なるもの”を受け入れる度量が求められている」という主張に同感です。私は娘二人を地元の中学校に通わせておりますが、教育を受ける権利はアメリカ人同様与えられており、むしろ移民の我々から受ける刺激を吸収してくれる度量があります。日本人に限らず移民の子は大抵バイリンガルで、純粋のアメリカ人と比べ学校の成績は良いようです。私の娘達は中学で第二外国語をかなりの努力を強いられて取っていますがトリリンガルになっています。これは文化的にあらゆることを受け入れられる素養を将来は持つことを意味しています。12、3歳の子供が三つの言葉を理解するなんて愉快じゃありませんか?【米国在住12年】

●地域限定で「国際自由村」はいかが

いつも楽しみに読ませていただいています。ページを見に行くの(仕事場で毎日、昼休みに)が楽しみで、貴ページのメール配信の登録は行っていません。きっとそういう人も多いと思います。ページが更新されていない日は残念ですが、ぜいたくは言いません。 これからもがんばってください。

「幕末の江戸の活力も薩長土肥から...」はなるほどと思いました。以前から、江戸時代と明治以降の歴史の歩みの落差に、大きな違和感を持っていました。薩長土肥からの人たちを移民ととらえる視点は、私にとって目からウロコの発想です。

しかし、アメリカの移民の状況、移民と難民の違い、やくざの話は、問題提起としては読めますが、外国人労働者の受入れ、移民と日本の活路の問題の視点としては、妥当でないと思います。

例えば、アメリカインディアンの視点からアメリカの移民を見ますと、侵略者そのものであり、現在もその状況に変りは無い訳で、いわゆる文化的な生活を与えられたところで、彼らがそれを望んでいるわけではありません。

日本人にアメリカインディアン並み(もちろんアメリカインディアンを貶める意図はありません)の立場になる覚悟なりがあり、それでも日本社会の活路を求めるため移民的な要素を受入れる、というのであれば賛成です。

薩長土肥の人たちも江戸にきて、自分たちは薩摩人、長州人ではなく、日本人であるとして、江戸を東京とし、日本を一つの国としたのではないでしょうか。アメリカの移民も多くはアメリカ人になるつもりでアメリカに渡ったのではないでしょうか。

それに対し、外国人労働者あるいは移民の日本人になるつもりを期待できるでしょうか。その気を持たせられない日本社会の問題(これは大きな問題ですが)は別として、移民を受入れる国、他国民が移民を望む国には、歴史的、地理的な必然があるように思います。現代の日本は基本的に移民(あるいは外国人労働者)を受入れるべきフェーズではないと思います。

だからといって、このままでは日本社会の閉塞状態を打破できず、活路が見出せないわけです。

そこで、(広い意味での)移民を日本の全体で受入れるのは無理がありますが、地域を限って受入れてみることが考えられます。

例えば沖縄県(もちろん沖縄の人たちの意見にもとづき、また沖縄の大幅な自治を実現しての話ですが)で、自由経済区を決め、外国人を受入れる。あるいは外国人が原則自由に住めると言った意味で長崎県で「出島」を復活させる。東京都の湾岸地域を国際自由地域とする。北海道は・・・・と地域毎に受入れしないことを含めて自由化するというのはどうでしょう。

地元に文字どおり国際自由村があって、外国人が農場を経営しているなんてのは、考えられないでしょうか。【香川・浦山 国光】

アメリカの歴史の影の部分も見て

毎回楽しみに読んでいます。私はアメリカのオープンな感じ(大都会だけと聞きますが)が好きですし、男女、出自、年齢に関係なくよいものを認めようという努力を続けている点では日本も学ぶべきだと思っています。

ただ「花開かせる話は枚挙にいとまがない。アメリカ=移民社会なのだ」と書き始めてしまうことで、そこがもともとはネイティブアメリカンの国であったこと、まさに移民が彼らを排撃し利用していまのアメリカがあるということ、それがうやむやになってしまうという危険を感じます。

そういうこともご承知の上での論であるとは思いますが「アメリカ礼賛」という批判には、アメリカの歴史の影の部分を見ていない、底の浅さを指摘しているものも(無意識にかもしれませんが)ないとは言えないのでは? アメリカのそんな光と影を的確にとらえた書籍として「イシ 最後の北米インディアン」(クローバー著、岩波同時代ライブラリ)をぜひおすすめします。もしすでにお読みになっていたら、私の言いたいことがわかっていただけると思います。【GOGA】

バブル全盛のころには夜郎自大

いつも卓見と視点の広さに感心しながら拝読しています。6月8日号について感じたことを2つ3つ申し上げます。1つは、外国のことばかりほめるな。お前は外国かぶれか(アメリカかぶれかといった国名がはいることが多い)、日本にもよいところが沢山ある、または日本の方が優れていると語気荒く申される方に今日でもしばしば遭遇することがあります。日本の攘夷根性、言い換えれば世界から孤立した独善主義は何百年たっても変らぬものと暗然と致します。バブル全盛のころ夜郎自大精神は最高に達し、今やアメリカ、いや世界から学ぶ事はなくなったと嘯いたのもこんな方々ではなかったかと思います。当時小生は広報担当役員をしており、こんな風潮では日本もろくな事にならないと憂慮致しまして,季刊の広報誌にアメリカの強さ(みくびってはいけない)という特集をやりました。確か、教育(特に大学教育のすごさ)、スポーツ(いうまでもありません)、巨大エンジニアリング(勝手に「メガエンジニアリング」と言ってますがーたとえばあの年代で驚異だと思うエンパイヤーステート ビルからジャンボジェット機、スペーステクノロジー等)、だったと記憶しています。

外国アレルギーを払拭するために、ドイツで取り入れられたように、企業のエグゼキュテイブは国際ビジネス語を使う事が条件だくらいの、荒療治が必要なのかもしれません。政府の役人も同じです。ヨーロッパ各国との会議でも今や同時通訳は居ても、おかまいなく英語ですましてしまい、かえってお互いの親近感が増して、一種のクラブ雰囲気になるのを経験しています。日本はこの「クラブ」から疎外される訳ですから、その損失は計りしれないものがあると愚考しています。この辺のところを大いに述べて頂きたく思います。今後とも複眼的卓見を期待しています。【ueno】