執筆者:伴 正一【元中国公使】

1979年6月19日、古井法務大臣が北京にやってきた。日中国交回復にたいへん貢献し、中国では大事にされた。古井氏が法務大臣になり、錦を飾るような格好で、最高裁判事、法務省幹部、弁護士会首脳などを従えた訪中だった。鄧小平との会見が実現し、席上、居並ぶ人々をびっくりさせた発言があった。中国が経済改革開放路線をとるために外資法を作ったばかりの時だった。

外資法などは法律じゃない

「実は外資法というものを作りましたけど、あんなの法律じゃありません」

自分で法律を作っておいてあんなの法律じゃないという。なにを言い出すのかと思ったらこういう説明をした。

「文化大革命の10年余、中国全土で法律を教えていた大学は一つもなかった。その間、中国では一人の法学徒も育っていない。そんな中国でみなさんにお目にかけられるような法律が作れるはずはないでしょう。しかし、外国の方々が中国に投資なさろうとするときに、ガイドライン程度のものでもあれば、ないよりはましだろうと思って公布に踏み切ったのです」

こんなことをほかの政府要人がいったら、翌日にはパージだ。日本だって大問題になる。しかも言論統制が厳しい共産国家の国だ。ところが鄧小平という人はそんなきわどいことをぬけぬけという人物であり、というより言えた人なのだ。

鄧小平が会見に出てくるとき、運良く大使が出張していたり、日本に帰っていたりすると、公使である私に会見立ち会いの役が回って来る。北京在任中、7、8回お鉢が回ってきた。その都度、世界の鄧小平から世にも痛快な話が聞けたわけだから、男冥利に尽きるというものであった。

次の話は私が一緒に聞いた話ではないが、いかにもトウ小平らしい内容なので紹介しよう。

日本軍をそんなに悪く思っていませんよ

元陸軍で自衛隊の将官もつとめた人が5、6人で訪中し、北京の日本大使館を訪れた。何日もしないうちに一行がすっ飛んできて、予期もしなかった鄧小平との会見が実現し、しかも大変な内容のことを発言したのでお耳に入れたいというのである。

日本側が「先の戦争では申し訳なかった」といった内容のことを述べると、鄧小平は発言をさえぎるようにして「われわれは日本軍をそんなに悪く思っていませんよ」と切り出した。あっけにとられた一行を前にした鄧小平の説明はこうだった。

「あの戦争が始まる前、われわれは井崗山(せいこうざん)から、長征の途についた。延安にたどりついたときは気息奄々、靴もちびはて、人数も2万人に減って、全滅寸前でした。ところが日中戦争が始まり、われわれを包囲していた蒋介石軍は日本軍によって次第に南部に押されていく。袋のネズミだったわれわれはそれで息を付くことになり、日本軍の後ろに回って、着々と工作をしていった。そして戦争終結時には数百万の正規軍を擁する軍事勢力にのし上がった」

西安に旅行したとき、周恩来が隠れていた地下指令室を見学した時のことを思い出した。展示されていた古い雑誌に、日本軍が蒋介石軍を破って南京に迫ってゆく様子を「形勢好」と表現してあった。「形勢はいいぞ」という意味だ。当時は「へんなことが書いてある」といった程度の認識だったが、国共合作で友軍になったはずの蒋介石軍が負けていて「いい」ということもなかろうにと考えた。

とにかく1936年秋の西安事件までは、蒋介石は日本とことを構えるより、共産党制圧を第一目標にしていた。それが西安事件で順番が逆転する。そうしなかったら捕らわれの身だった蒋介石は殺されていただろう。

それにしても鄧小平はよくもこんなきわどいことを日本の軍人たちに言ったもので、その度胸には度肝を抜かれた。

そんな鄧小平だから、日本のお偉方は総理級といえども太刀打ちできない。まるで子供が相撲取りがにかかっていくみたいで、当時、訪中した日本政界や経済界の人々は正直なところ、ひどく見劣りがした。

全方位外交を面白半分にからかった鄧小平

こういう話もあった。やはり総理級の大物政治家が「日本は全方位外交」を得意になって振り回していた。どことも仲良くというわけだ。しかしソ連と対峙していた中国から見れば「嘘をつけ」ということになる。アメリカと軍事同盟を結んでおいて、なにが全方位だ。

「そんないい加減なことは休み休みいったらどうだ」と言いたかっただろうが、鄧小平はそんな失礼な言い方はしない。

「われわれも同感ですよ」と日本のお偉方を持ち上げておいて、やおら面白半分に技をかけてくる。「けれどもですね」とつなぎの言葉を入れ、「こっちが同じように仲良くしようと思っても、国によっては反応が違うということがある。中には(暗にソ連を指して)軍用機を貴国の領空すれすれに飛ばし続けるような国もある。となると向こうの反応が違うんだから、こっちも違った対応をする・・・」

これで全方位を言い出した日本側は顔色を失った。鄧小平の言う方が筋が通っているから反論できないし、さりとて賛成もできない。話題を経済にすり替えて格好をつけるさまは、聞いていて耳が赤くなった。いまの日本に「西郷隆盛クラスの人物がいたら」とどれだけ思ったことか。

鄧小平の話相手に西郷や大久保利通のような人物がいて共にアジアを語り、世界を語っていたら、日中関係はどれほど深まっていただどうと考えると。残念でならない。

伴 正一氏は元外務省官僚。1972年から青年海外協力隊事務局長、1977年から1981年まで北京の日本大使館で公使などを歴任。現在、高知市で政治フォーラム「アイハウス」を主宰。

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