執筆者:高名芳夫YoshioTakana【】

萬晩報4月27日号「 カンボジアに3つ目の学校を建てたセカンドハンド 」へのメール

●課税される認定団体以外への寄付

昔、東京郊外に住んでいたとき、有線テレビを普及させたら地域の活性化につながるかもしれないと、NPO方式に近い考え方で低料金でやろうとしたことがあります。

無配を条件で出資者や実際に運営するボランティアに話しかけたのですが、計画だけで実行に移すことは断念しました。法的に不可能だったからです。

日本のボランティア活動は基本的には脱法行為の積み重ねでしかできません。許される条件は成り立たないということです。上手くいって規模が大きくなり、採算性が取れると資格(財団)が問題にされ、一般企業と同じ税制が適用されます。認定財団以外に寄付行為は認められず、贈与とされ、受ける側は税金を払い、寄付する側は控除の対象になりません。

ちなみに日本では学校や町会に対する寄付行為にも制限があります。寄付行為の制限が、高い税率を維持するための有効な手段のひとつにされているのです。その裏に公的なことは個人的にやるべきではないという、個人の社会活動を規制する結果になる反民主的な原則があるのです。

●ボランティアまで管理したがる行政

ボランティア活動ばかりではなく、メンバーシップ制のクラブでさえ、厳密にいえば日本では存在できません。イギリスのゴルフクラブが日本では会員権売買の対象にしかならないのも、制度に違いがあるからです。

日本の社会では、一般国民は余計なことをするなというのが原則で、国民の政治参加の機会さえ失わせています。今回成立したNPO法案も、この原則が堅持されていて、政治には口を出すなという結果になっています。一歩前進と評価する人もいますが、ボランティアまで行政の管理下に置かれる結果になる可能性の方が強いような気がします。

新田さんが日本の宝だという現実は悲しいことです。アメリカでは意思と能力さえあれば誰でも同じようなことが出来、実際に無数のNPO、NGOが存在しています。優秀な成績で大学院を卒業した学生が、有意義な仕事がしたかったと言って、就職せずにNPOを設立した例もあります。給与の上限は法律で月収3000ドルに決められているそうです。「先のことはわかりません、贅沢な生活がしたくなったら他の人に譲って止めるかもしれませんが、現在のところは満足しています」と言っていました。

●制度に気負いがないアメリカ

「気負い」が無いというのは精神安定上、必要な条件ですが、日本では個人の特性である要素が大きく、アメリカでは社会の制度が「気負い」を無くす役割をしています。

何かをしようとして、役所に手続きをするのは、前例のあることなら簡単ですが、少し変わったことをしようとすると「気負わない」のは至難のことです。とても常人の出来ることではありません。

脱法行為は日本では悪い評判が立てばとがめられますが、噂の対象にならなかったり、良い評判がある限り放置されているだけです。とがめられると言っても法的に正当に処置されるのではなく、本来の問題とは別なことで役所から嫌がらせを受けつづけるのです。いずれにせよ。疲れる話です。