「ドメ」が誇りだった日本のエリート官僚たち(HABReserch&BrothersReport)
執筆者:伴 武澄【萬晩報主宰】
●国際派がトップになることがないシステム
霞ヶ関の官庁で大臣に次ぐナンバーツー事務次官だが、実は対外交渉のためのもう一人のナンバーツーがいる。大蔵省だけは財務官と呼ぶ。通産省は通産審議官、農水省も農水審議官。外務省だけが政治担当と経済担当の二人の外務審議官がいる。官僚の組織には、課長と局長の間にも多くの審議官がいるためややこしいが、大蔵省以外は省庁の名が付く何々審議官はナンバーツーで別格だ。
英語では事務次官はvice-minister、何々審議官はdeputy-ministerと訳しており、翻訳すればどちらも大臣の次に偉いようだが、官僚の世界では絶対的重みが違う。日本社会がこれほど国際化し、日常的に交流しているにも関わらず、外国との交渉に当たる国際派の官僚がトップに上り詰めることは決してない。システムとしてありえないのだ。
国際派に対して「ドメ派」という官僚言葉がある。「僕はドメでね」と自慢げに言う官僚が少なくない。国際感覚がないことがさも偉いかのようなそぶりで、外国経験が少ないことがまるでけがれがないかのような言い方である。経験則で言えば、外国との詰めた協議は出先の大使館ではなく、本省から出向いた官僚が取り仕切るから無理もない。
在外公館の人々は何をしているのか。ふだんの情報収集が第一で、会議や交渉がある場合には「ロジ」(logistics)といってもっぱら、段取りや会場の設営役に徹する。大使といえども日本からやってくる国会議員ら賓客のもてなしで忙しい。この傾向は外務省とて例外でない。いまでも大使の正式名称は「全権大使」である。本当の全権はすべてドメ側にあるのだ。
●二度目の海外赴任は次官レースからの脱落
外務省以外の省庁でもキャリア官僚は若いときに一回ぐらいは海外の在外公館に赴任する。しかし二度目の赴任となるとだれもが二の足を踏む。辞令がでれば、多くの場合、40歳台中ばでも大使に次いで偉い公使という肩書きをもらう。任地国ではナンバーツーとして度々、大使の代役を勤めるなど華々しいキャリアなのだが、その時点で「自分は事務次官レースから外された」と自覚することになる。
だから、この辞令は官僚にとっての最悪の人事として受け止められる。次官レースに勝ち残るためのポストといわれる総務課長や会計課長、秘書課長に就任する時期に国内にいないことは決定的にマイナスだからである。レースから脱落するだけでない。もちろん例外もあるが、帰国して局長になることすらまれとなる。
事務次官になれなくとも、何々審議官、つまり対外交渉の責任者として海外経験が生かされるのならまだ救いようがあるが、省内の「国際派」はdeputy-ministerに上り詰める年次までに一掃されてしまうのが一般的だ。だから対外交渉の責任者も「ドメ派」(国内派)が勤めることになる。日本の官僚組織が硬直的で、世界から取り残される原因のひとつに以上のような背景がある。
対外交渉において国益優先が貫徹されるのは当然であるが、だからといって世界の変化やアジアの変化に鈍感であっていいはずはない。どこの国でも正式な対外交渉は通訳を介して行われることになっているが、正式会談以外の場でも政府高官の背後で通訳がうろうろしているのはやはり日本ぐらいのものではないか。