ビッグバンで必ず金利が上がる
執筆者:伴 武澄【共同通信社経済部】
ここ数年、金利について考えてきた。1980年代後半、アメリカが国際収支と財政の双子の赤字に悩んでいたころ、米政府が財政赤字の穴埋めに発行する国債利率が13%などという時代があった。大蔵省の金融専門家に「なんでそんなに高いののか」聞いた。
「需給関係が悪いんだよ。国債発行額が大きくなって引き受け手がいない。人気がないから金利を上げる。悪循環でどんどん金利が上がった」という説明を受けた。だから財政赤字が増えると金利は自動的に上がるものだと信じていた。
1990年代になってバブルが崩壊、日本は構造的な不況期に入った。すでに7年間である。下の表をみてほしい。年間70兆円前後の年間予算に加えて66兆円もの景気対策を実施してきた。80年代、先進国の中で最も良好だった日本の財政は10年足らずで最悪の財政状況に陥っている。GDPに対する国債発行残高や年間予算に占める国債依存度は最も高くなった。アメリカで国債増発が金利上昇要因になったのなら、日本でも金利が上がっても不思議ではない。景気対策で日銀がいくら公定歩合を下げても、これだけ国債を増発すれば、金利が上がるのが経済の道理である。
1992年8月総合経済対策10兆7000億円 公共用地先行取得を含む公共投資8兆6000億円
1993年4月新総合経済対策 13兆2000億円 公共投資10兆6200億円、中小企業対策1兆9100億円
1993年9月緊急経済対策06兆2000億円 中小企業対策1兆9100億円、94項目の規制緩和
1994年2月総合経済対策15兆2500億円 公共投資7兆2000億円、減税5兆8500億円
1995年4月緊急・円高経済対策07兆0000億円 阪神復興3兆8000億円、緊急防災対策1兆3000億円
1995年9月経済対策14兆2200億円 公共投資12兆8100億円
合計66兆5700億円
しかし、90年代の日本では、金利はいっこうに上がる気配がない。またしても疑問に突き当たり同僚の金融担当記者に聞いた。
「こんなに国債を増発してなんで金利が上がらないのか」
「1980年代のアメリカと違うところは、需給関係だ。銀行は優良な融資先がない。預金はあるのだが、運用先がない。だからみんな国債を買っている。政府がいくら国債を増発しても金利が上がらないのはそうした特殊事情があるからだ」
非常に分かりやすい説明だったが、どうも合点がいかない。預金を集めて企業の設備投資や運転資金として供給するのが金融機関の社会的役割と教えられてきた。その銀行がお金を貸さないでせっせと国の借金の肩代わりをしている姿はやはりおかしい。
金利が上がらない理由も分かったようで分からない。国債発行は入札制である。金融機関が買いたい価格で入札し、大蔵省は一番有利な価格を提示した銀行に売り渡す。アメリカでは誰も入札しなかった時期があったが、日本で国債が売れ残ったという話はあまり聞かない。
萬晩報は公共事業と同様、国債の入札での談合が行われているのではないかとの疑いを持っている。大蔵省は国債を消化しなければならない。特に大量発行が続いた90年代には金利を上げないで発行する必要があった。金融機関の資金はより高い利回りを求めるのが経済原則だが、数々の不祥事をもみ消してもらった恩義がある手前、大蔵省が提示するままの金利で唯諾々と国債を買ってきたに違いない。
だからビッグバンが始まると、国債消化は非常な困難に突き当たると考えてきた。外為法が解禁となる4月以降は相当量の預金が海外に流れる。金融機関に金が集まらなくなると銀行はこれまでのように大蔵省のいうがままに国債を購入することができなくなる。そうなると売れ残る。それでも大蔵省が売りたければ利回りを上げざるを得ない。
ここから先が重要だ。国債金利が預金金利を大幅に上回ることになれば、国民が貯蓄として国債を購入し出すだろう。この場合、国債は消化できて大蔵省はいいだろうが、お金が引き出される金融機関はたまったものではない。預金の引き出しは経営の根幹を揺るがす。そうなると金融機関はお金を集めるために金利を上げざるを得なくなる。
いずれにせよ、金利は上がらざるを得ない。経済アナリストは数年前まで「日本は円高だから低金利でいいんだ。実質金利はむしろアメリカよりも高い」と訳知り顔だった。とまれ円安が始まってもう3年になる。金利のマーケットメカニズムを無視した報いは不良債権問題より大きいはずだ。なにしろ1200兆円の国民の金融資産が5、6%で回っていれば毎年60-70兆円の金利が生まれていたはずなのだ。金融安定化のための公的資金30兆円の2倍である。60-70兆円の金利は毎年ですぞ。