執筆者:伴 武澄【共同通信社経済部】

●日本経済の妥当な株価平均は8000円

東証株価平均が”日本経済の危機ライン”である1万5000円を最初に切ったのは1992年8月である。次は1995年6月。3回目が昨年末から今年1月にかけてである。最初に1万4000円台に急落したとき、流通業界の論客の一人だったライフ・コーポレーションの清水信次社長に聞いた。

「日本経済の実力から東証ダウはいくらぐらいが妥当だと思いますか」

「8000円ぐらいかな」

「じゃあ、まだまだ下がるということですか」

「そうじゃない。PKO、つまり公的資金が入っているからそうはならない。妥当な水準をいっているのだ」

「どういうことですか」

「日本の企業の配当率からいって8000円ぐらいが上限だという意味だ」

投資家はキャピタルゲインとともに配当率も考える。株価に対して0.5%ではあまりにも低すぎる。8000円にまで下がれば、ようやく1%を超える。そんな話だった。

配当が低すぎるという論議がバブル崩壊2年にして出始めた時期だった。日本生命など機関投資家は

企業に対して公然と増配を求めた。経団連としても株価を維持するために増配の必要性を率直に認め、日本証券業協会も国内でファイナンスした企業に対して、決算時における「配当性目標」の発表を義務付けた。配当に関するまっとうな議論がようやく出てきたなと感じた。

●JTが新しい流れをつくって下さい

日本たばこ産業(JT)が上場を果たしたのは1994年10月だった。3年超しの懸案だった。毎年のように政府の当初予算でJTの株式売却が計上されたが、株式市場の低迷を理由に見送られた。94年は流通業界を担当し、上場を控えた当時の水野社長に配当の話を訴えた。

「水野さん。日本の株式市場が低迷しているのは株価に対する配当率があまりにも低すぎるからといわれています」

「僕もそう思います」

「アメリカでもアジアでも株価配当率は2%を超しています。JTの場合、1株配当が5000円ですから

配当率を2%として逆算すると、妥当な売り出し株価は25万円となります。どうでしょうか」

「アナリストは50万円とか60万円とかいっていますがね」

「それでは高すぎます。JTは大きな会社です。上場時にJTぐらいまっとうな売り出し価格を示してはどうですか。市場でその後、上がるのは株主の責任です。低い株価でスタートすれば長い目で必ず、株主の信任を得られます。JTが新しい流れをつくって下さい」

「君の意見には同感だ。JT株は配当で持ってもらえるようにしたい。ただJT株は大蔵省の持ち物だから、われわれだけでは決められないのですよ」

というようなやりとりが3時間続いた。根気強く聞いてくれたものだと思う。ほかの役員にも同じように訴えたが一笑に付された。結局、売出価格は入札の結果90万円台と法外に高くなった。大蔵省は株価が高くなった瞬間を逃さなかった。半年経つと日本経済は二度目の”1万5000円割れの危機ライン”に達していた。

●護送船団で企業に配当を強要してもいい

そして3回目の危機ラインが訪れた。気が付くと、あれほど配当に固執していた生命保険は自社の投資利回り確保に躍起となっており、事業会社に対して配当を云々する余裕をなくしていた。証券業界でルール化されていたはずの「配当性向目標の公表の義務付け」も1996年4月にはなくなっていた。配当率が上がったわけではない。なにも変わらないまま、みんなが黙りこくり、そしてルールもなくなった。

東洋経済新報社が四半期ごとに出している「四季報」は配当性向目標をアンケートのかたちで集計しているが、日本を代表する優良企業は集計リストにほとんど顔を見せていない。

かつてトヨタ自動車は経団連会長企業だったこともあって40%に配当性向目標を掲げていた。この企業の場合、円安で巨額の為替差益を手にしている。40%の配当性向を実現すると22円だった97年3月期配当金を40円近くまで引き上げなければなくなる計算だ。

確かに業績の下方修正を余儀なくされている企業も多いが、利益を上げている企業は株主に応分の配当をするべきだ。公的資金の導入や景気対策は一時的に株価を押し上げる効果はあるが、あくまで応急措置でしかない。日本という国家は究極の護送船団を復活させるのだから、配当政策でも企業に利益吐き出しを強要してもいい。アメとムチはこうして使うのが最も有効である。