執筆者:伴 武澄【共同通信社経済部】

金融安定化策がいよいよ動き出す。金融機関の破綻を先送りする巨大なプロジェクトが、将来の国民負担をどれだけ大きくするのか、優良な金融機関をどれほど痛めつけるのかまったく見当が付かない。

金融安定化策は2000年までの時限措置だが、今後3年間で経営難の金融機関が蘇生する可能性はゼロである。30兆円という金額は大蔵省が公表している金融機関の不良債権総額72兆円の半分である。不良債権をただちに国民に半値で売れる勘定だ。5000万円のマンションが60万戸も購入できる金額でもある。

30兆円はきっと、3年後にはブラックボックスに消える運命にある。国民の犠牲の上に成り立っている低金利経済がこれだけ続き、金融機関が毎年、巨額の償却額を計上してもなお、不良債権が増え続けてきたのである。

金融安定化策をおさらいすると、

(1)預金保険機構に公的資金30兆円を投入して、破綻した銀行の預金者保護に17兆円、銀行の自己資本増強のために13兆円使う

(2)銀行が保有する株式の評価法を現在の低価法か原価法か選択できるようにする

(3)4月1日に予定していた早期是正措置の発動を1年延長する

(4)銀行が保有する土地についても簿価から時価に再評価する

の3つに集約できる。

●たこ足経営にすぎない金融安定化策

公的資金30兆円は、政府が保有するNTTやJT株を担保にした借り入れと新型国債が主な資金源である。ではだれがNTT株を担保にお金を貸し、だれが新型国債を購入するのだろうか。数年前ならば「ザ・セイホ」が潤沢な資金源だった。いまや生保といえども保険金を割の合わないポートフォリオに組み入れることはできない。そうなると不思議なことに金融機関が資金源とならざるをえない。

昔、国債購入は国民の貯蓄の一形態だった。お年寄りなど金利生活者にとって”安心”な国債を持つことは老後生活の安心感だった。しかし、マル優の適用がなくなってから誰も国債など買わなくなった。1980年代後半以降は国債は金融機関が市場で売買して利ざやを稼ぐ道具になった。

金融機関につぎ込む公的資金を金融機関が供給するというおかしなことが、これからの日本で始まる。金融機関が不足する自己資本を増強するために金を貸すという行為は卑近な例えで言えば「たこ足経営」という。日本の金融機関全体で考えれば、手数料と金利負担が金融機関の負担として増えるだけである。預金者の金を直接、自己資本に取り入れることができないから、優先株や劣後債の導入というバイパスを取っているだけにすぎない。

●株主訴訟におびえる東京三菱銀行

もう一つの疑問がある。東京三菱や住友、三和のように自己資本の増強が不必要な銀行まで公的資金の取り入れを強要されることである。優先株は株主総会での議決権がない代わりに普通株より配当が高い。劣後債もまた返済順位が”劣後”な分金利が高い。さくら銀行が96年10月取り入れた優先株は2000円の売出価格に対して45円の配当をしている。大和銀行は500円で配当は24.75円だ。導入した金融機関は自己資本の増強の見返りにすでに普通株の5倍以上の配当を負担している。

市場原理はすべてのことがトレード・オフの関係にある。メリットとデメリットは共存する。経営が立ち行かない金融機関が公的資金で自己資本を増強するのはやむを得ないとしても、優良行まで巻き添えにする権利は国家にはない。もし不必要な自己資本増強を強行するようなことが起これば、株主訴訟は免れない。東京三菱や住友などの経営者が、大蔵省の豪腕に屈することになれば、すぐさま株主訴訟におびえる日々が待っていることになる。