執筆者:伴 武澄【共同通信社経済部】

素人が国家の枠組みを考えていけないはずはない。というより考えなければいけない時期にきている。天下国家論との出会いは1995年2月に始まる。改革の必要性を議論しながら自ら何も変えようとしない政治家や官僚、そして企業経営者を見続けてきた。もはや既存の政治家や霞ヶ関の官僚だけにまかせるわけにはいかない。もはやこの日本はもたないと考えた。真面目に国造りを考えようと考えた。

1995年の寒い時期、若き農水官僚とビールを傾けながら語り続け「北海道独立論」にたどりついた。二人の議論は1995年02月28日 【北海道が独立したら】として農水省の部内報「AFF」に掲載された。その後、1995年06月06日 【北海道独立論(2)-財政はOK】を書いた。読んでいない方は萬晩報の旧バージョン「日本を映す三面鏡」で書いた二つの論文を読んで欲しい。

その若き官僚は、職を辞し、念願の北海道に住みついた。3000坪の敷地を購入し、スウェーデン住宅を建て家族5人で豊かに暮らしている。一つの生き方だ。これからは一人で北海道を考えなければならなくなった。いずれまた、仲間も生まれてくるだろうと期待している。

●独立の基本財産は民営化から

台湾経済の基盤は、旧日本企業の資産売却によって形成された事実を知っているだろうか。戦後、台湾に進駐した国民党政府は、まず農地改革に着手した。中国大陸でできなかった改革を新天地で試行した。戦前、台湾で経営していた日本企業はすべて国民党に接収された。接収した日本企業の株券の存在は、台湾の農地改革に大きな役割を果たした。国民党は株券を代償として地主から農地を買収した。

電力や石油、鉄鋼など大型企業は国営となったが、多くの企業は土地放出の代わりに経営権を入手した地主層によって再スタートを切った。台湾の幸運は経営に値する企業群を日本が残したことだった。

そして、台湾の英知は、その企業群を自ら経営せずに民間の手に委ねたことだった。

国営企業を売却して財政を潤わす発想は、まさに1979年に発足した英国のサッチャー政権のアイデアのように思われているが、それをさかのぼること30年前の台湾で実施されていたことは、驚くべきことである。サッチャー政権の場合は、売却資金で財政赤字を埋めたが、台湾では農地改革という前向きの資金に活用した。

●郵便事業はクロネコ大和に?

わが北海道連邦でもこのアイデアを取り入れないわけにはいかない。ただ独立後の北海道は、旧日本企業を接収するようなことはしない。安いピリカで外国資本の導入を狙うのが建国のひとつの考え方なのだから、そんな野蛮なことはできないし、各国の理解を得られるはずもない。

北海道連邦が売却する資産は、民営化する公的機関である。空港、港湾、高速道路といった運輸交通インフラは当然対象になる。日本政府が経営していた郵便貯金事業も、郵便と金融、保険に分離して、それぞれ民間に売却する。クロネコ大和やフェデラル・エクスプレスが郵便配達をするかもしれない。

学校も高等教育は国立とはしない。自治体による高等教育の経営まで禁止するわけではないが、北海道大学や帯広畜産大学などは売却する。一般的に赤字の公営事業を買収する民間企業などいるはずがないと考えるのは間違いである。公営企業は人件費のかたまりだから採算が合わないのであって、人員を2分の1、3分の1にすればコストが合うはずである。

現在の日本の公営企業のコストのかなりの部分が監督官庁の天下り役員の給与や交際費のつけ回し、タクシーチケット代などで消えている。規制緩和で監督官庁との癒着を解消すれば採算がとれる。

どれだけの資産価値があるのかまだ試算したわけではないが、2-3兆円規模の年間予算を大幅に上回ることは確実である。そして、資産売却は透明性を確保するため、公開入札制を基本とする。外国勢の参入もかなり認める方針である。