執筆者:伴 武澄【共同通信社経済部】

●総務庁の物価統計への疑問から生まれた西友物価指数

1993年から94年にかけて流通業界を担当したとき「生活感覚で下がっているはずの消費者物価が総務庁統計ではなぜマイナスにならないのか」という疑問を持ち続けた。流通記者クラブでもよく議論になった。西友の決算発表の場でその疑問を坂本春生専務(当時)にぶつけた。

「われわれも同じ問題意識を持っている。何万という生活物資を扱っているスーパーでみても商品の販売単価は年に6%も7%も下がっている。そういうことなら西友物価指数をつくってみましょうか」

思わぬ展開になった。半年度に約束通り「西友物価指数」が生まれた。坂本専務の英断である。半年に一度の発表だったが、われわれはかなりの力点を置いてこの新しい試みを報道した。サラリーマンは百貨店で背広を買うのをやめて真新しいロードサイド紳士服店に向かった。ビールやウイスキーは量販店で購入する習慣ができた。既存飲食店のシェアを奪ったはずのレストランチェーンはコンビニの「お弁当」に価格で挑まれていた。物価動向はどうみても総務庁統計より「西友指数」に正確さがあった。

ここから先は、われわれの業界の怠慢である。1年、2年で担当が代わり新しい流通担当記者は「民間の新しい試み」にあまり興味を示さなくなった。記事化されない情報は発表側としても「無駄な労力」と映り始めたに違いない。3年で「西友物価指数」は姿を消した。マスコミにとっての関心は、いつの間にかインターコンチネンタル・ホテルチェーンやファミリーマートの売却を迫られた西友の経営危機に移っていた。もはや流通業の第一線で総務庁の消費者物価統計のおかしさを問う記者はいなくなった。総務庁の統計は調査方法を変えることもなく「一級品の統計」として生き延びている。

●実現できなかった物価下落による経済成長

政府統計には必ず、使用する目的がある。国土庁が毎年発表する路線価は相続税支払いの根拠にする数字。日銀は毎月卸売物価指数を発表して市場金利操作の材料にする。消費者物価は経企庁がGDPを算出する際の重要な要素のひとつとなる。簡単にいえば、名目の経済成長率から消費者物価上昇率を差し引くと実質成長率となる。日頃の経済動向は実質成長率で語られるため、消費者物価の動向は大変重要な経済指標なのだ。

1993年から95年まで円高が大きく進んだ時期は、消費者物価指数が大きなマイナスだと、場合によっては実質成長率が名目成長率を上回る可能性があった。経済学者や評論家は「デフレ経済」を語り始めた。円高は輸入物価を下げただけでない。競合する国産商品の価格にも大きな影響を与え始めた。物価下落が成長率を押し上げるという消費者にとって、初めて円高のメリットを十二分に享受できそうな予感があった。

日本企業にとって1980年代の円高は輸出競争力の喪失を招いただけだったが、90年代の1ドル=100円を超える円高は国内市場の喪失を意味した。鉄鋼業界を頂点としたカルテル体質は素材産業から消費物資まで外国製品を締め出す便利なツールだったが、価格破壊を目指す流通業者が相次いで登場し、マスコミも新興勢力の進出を歓迎した。三菱グループが日本の鉄鋼価格の高さに音を上げ、韓国製鋼材輸入を宣言するや、さすがの強靱な日本的カルテルも崩壊の危機に瀕した。

しかし、消費者にはこうした動きは正しく伝わらなかった。総務庁の調査項目に輸入コカコーラや並行輸入化粧品の小売価格はなかったからだ。政府がより正しい消費者物価指数を計算しようとしていれば、当時の消費者物価指数は「西友物価指数」並みの大幅下落となったはずだ。

消費者物価指数がマイナスになっていれば、実質経済成長率が名目成長率を上回り、低い名目成長率でも実質成長率を押し上げるという近代経済学にとっても非常に興味ある研究素材となったはずである。消費者は常に勤労者でもあり、勤める企業の国内売上高が減少するのは困る。だが、それを上回って物価が下がれば生活には困らないはずだ。変化を認めようとしないお役所のおかげで”物価下落による成長率押し上げ効果”はまぼろしに終わった。そして気が付くと世界経済はドルが復活、円の時代が終わっていた。