執筆者:伴 武澄【共同通信社経済部】

●官僚からかかる突然の電話●

突然、郵政省の某課長補佐から電話がかかってきた。郵政省など担当をしたことはない。面識があろうはずがない。「日本の携帯電話市場についてご説明したい」というのだ。ある雑誌に「世界の携帯電話市場は欧州規格のGSMが席巻している。GSMは欧州、アジアとアフリカのほとんどの国でローミングできるのに、日本のNTT方式は国外に出たとたん使えない」と書いたことがお気に召さなかったようだ。署名入りだったから電話番号を調べてきたようだ。

来ていただいても自説は曲げないことを何回も電話口で説明したが、相手は「とにかく一回伺いたい」と言う。あまりのしつこさに「じゃあ。1時間だけ話を聞きましょう」と会う日時を決めた。「近くだから出向きます」といっても相手は固辞して、どうしても自分が出向くという。翌日、汚い共同通信の一室でその課長補佐と会った。

正直言って、東大出身の官僚からわざわざ電話をもらうのは悪い気はしない。相手を持ち上げて、いつのまにか自分の土俵に相手を取り込む。これこそが官僚の人心掌握術なのだ。彼は自分で筆者の名前を見つけたのではない。上司が雑誌で見つけて、彼に「説明」に行くように命じた。ご説明は2時間にわたっても終わらなかったが、取材予定が入っていたので切り上げてもらった。課長補佐は「近々また来ます」と言って帰ったが、筆者が大阪に転勤してしまった。そして、課長補佐が置いていった膨大な資料はのどから手が出るほどおいしいものだった。

●確実にインプットされる大蔵の論理●

かなり昔の話だが、消費税導入前夜、参院議員だった野末陳平氏を議員会館に訪ねた。先客がいたため待っていると、大蔵省の薄井税制二課長が出てきた。顔見知りの記者と場違いのところで出会ったことに一瞬うろたえた様子をみせたが「やあ、どうも」といって去った。野末さんに「お知り合いなんですか」と聞くと「あの人のご説明には閉口している。ようく来るんだ」とまんざらでもなさそうだった。野末陳平氏は二院クラブに属していて税金に関してはかなりの専門家だった。

当時、駆け出しの大蔵担当だった筆者は「なるほど。こういう仕組みになっているのか」とひらめいた。大蔵省だけではない。官僚が新しい政策を導入しようとするときは、局を挙げて課長補佐クラス以上が毎日「ご説明」に奔走する。自民党の幹部はもちろんだ。野党からはてはマスコミまで説明する範囲は想像を超える。知らない相手であろうが躊躇しない。新聞記者の夜討ち朝駆けと同じである。

自民党の最高幹部は別として、大蔵官僚がわざわざ自分のところに出向いて「ご説明させていただきたい」と電話がかかってきたら、それこそ悪い気がしないし、断れるものではない。警察や検察の事情聴取は強圧的に相手を呼びつけるから拒否できないが、官僚は自ら出向くという手法を取り、相手のプライドをくすぐる。こういうときの官僚は実に腰が低い。

初対面でも心を開いているよう相手に感じさせる術も心得ている。もちろん与党議員と野党議員とでは打ち明ける内容に濃淡がある。しかし、「官僚の論理」はこうした「ご説明」を経て、相手の脳裏に確実にインプットされる。日本の行政は法律を読んだだけでは分からない。政省令や各種通達に精通した人たちだけのものとなっている。官僚の「ご説明」を聞くと「なるほどそういうことになっているのか」とその分野の玄人になった気分にもさせられる。一度「ご説明」を受けた人は政府統計など貴重な資料を定期的に手にすることができるし、気軽に電話での質問も可能になる。政策に通じていない国会議員やマスコミには絶大なるメリットをもたらす。コンピューター用語でいえば、彼らは官僚フォーマットが終わったことになる。