執筆者:伴 武澄【共同通信社経済部】

1998年1月28日(水)「特金・ファントラから始まった金融証券疑獄(1)/株式市場のターボエンジン」の内容に一部誤りがありましたので2月5日、レポートを差し替えました。

知床峠からクナシリ島を眺めると、地図でみる島よりよほど大きな島であることが分かる。日本人は終戦後に復員したのだから島にはほとんど日本人はいない。復員が強制されたものかどうかは、既に50年の歴史を経過しているから分からない。

橋本首相とエリツィン大統領との昨年のシベリア首脳会談で、2000年までの平和条約締結へ向けた協議が決まった。当然、北方領土のいくつかの島の返還も議題に上るはずだ。島の返還が現実味を帯びれば、いまそこに住んでいる人々が返還後どうなるのか考えざるをえない。単一民族という国家の概念さえ崩れてしまうのではないか。

第二次大戦の前だったら文句なくロシア人を追い出して日本人が入植することになったかもしれない。しかし、いまの世界でそんな人権を無視したことはできない。島の住人たちは日本への帰属を選ぶか、ロシアへの「帰国」の選択が迫られる。ロシアへの帰属をそのままに日本への永住権だけが認められるというケースも考えられる。いまの日本政府だったら、島の住人を在日朝鮮・韓国人や中国人のような地位に置くことになるのかもしれない。

どちらにせよ、島の住人たちの土地の所有権や子弟の教育が課題になる。政府部内で、そこまで考えているかどうか実に不安である。仮に日本のなかでロシア人という”少数民族”が住むことになれば、当然ながら新たな国民としての生存権が発生する。日本という国は、外国人が日本の国籍を取得することを想定していない珍しい国家である。法務省に外国人の帰化について取材したことがある。驚いたのは「外国人は国籍を取得する権利などない。帰化が認められるだけだ」と語ったある事務官の発言だった。この国の政府には「国籍取得」という概念がないのである。

1992年の官報が手元にある。「帰化を認められた」新しい”日本人”の約100人ほどのリストが掲載されている。朝鮮・韓国人と中国人がほとんどだが、「創氏改名」をしていないのは、1家族だけだった。みんな田中だとか鈴木姓を名乗った。Windmillさんは「風間さん」に変えていた。驚くほどのことではない。前の総選挙で神奈川県・湯河原町から立候補して落選したツルゲンさんの日本名は「弦玄」だった。帰化したハワイからの関取もほとんどが奥さんの名字を名乗っている。筆者の中国人の友人も最近、帰化して「許」から「松村」と改姓したことを報告してきた。

法務省によれば、強制しているわけではない。それはそうだろう。しかし、自治体の窓口では「外国人と分かるような名前でお子さんがいじめに遭ったら可哀想でしょう」と行政指導するらしい。「日本が好き」で帰化するぐらいだから、当然と考えるのはどうだろうかと思う。この国で生活することを余儀なくされている人も少なくないはずだ。

帰化というのは「日本人になりきる」ことで、日本語をしゃべり日本的名前をつけることにつながる。日本人だって先祖からもらった名字を変えたりするのは辛い。韓国で”帰化”すると、金とか朴の姓を付けなければならないのかは知らない。だか、アメリカの国籍を取得するときに英語的姓に変更するよう行政指導されるなど聞いたことがない。

後輩の記者と話していたら「小笠原にはアメリカ系の日本人が多くいて名前もそのままである」という。村役場の住民課に電話したら「シボレーです」と言うんで、「どんな漢字を書くのですか」と問うたら「片仮名で、シ・ボ・レー」と答えたのでびっくりしたらしい。片仮名の名字があったところで取り立てて驚くことはないはずなのだが、やはりこの日本という国では驚嘆すべきことに違いない。

北方領土が返還されたら、元のロシア的姓が残るようなことになってほしい。