執筆者:伴 武澄【共同通信社経済部】

※1998年1月28日(水)「特金・ファントラから始まった金融証券疑獄(1)/株式市場のターボエンジン」の内容に一部誤りがありましたので2月5日レポートを差し替えました。

オランダ人のジャーナリストであるはファン・ウォルフレンは「人間を幸福にしない日本というシステム」という著書で「知性に恵まれた人は権力者を監視し、権力のもたらす危険を人々に告げ知らせる無償の責務がある」と日本の知識人の無責任体質を批判した。

返す刀で「権力者集団間の関係とか庶民の生活にかかわる制度だとかの研究に首をつっこむのは、学界に地位を占める者の威厳にかかわる、などと考えさせてはいけない」と空理空論に食む学界に自己批判を求める。

●有権者は投票を通じた「行動」を●

この本がベストセラーとなったのは単に硬直的な日本の政治や経済のあり方を批判しているからだけではない。多くの国民的課題の解決を日本の知識人に代わって提起しているからではないだろうか。知識人に対しては、国民のための学問を勧め、有権者には投票を通じた「行動」を提起している。ウォルフレン氏が一番批判したいのは、「政治は汚いもの」と決して手を汚そうとしない学者や評論家、マスコミの姿勢だ。「第三者的な議論」では何も変わらないという事実を日本人に突きつけている。

日本の政治に横行しているのは「偽りのリアリティー」であり、政治理論が最も頻繁に見出してきた真理は「権力が他の一切の人間性を圧倒した時、必ず腐敗と破壊に到るという真理だ」と極めて明快に日本社会を切った。そのことがまさに、昨年来これでもかと明らかにされる金融機関と大蔵官僚との癒着構造の実体を予見していた。

●「事実」を語る大蔵VS「真実」を語る山一●

政治家や官僚が言っていることは「うそ」ではない。しかし「真実」ではない場合が多い。銀行や証券を指導・監督していたはずの大蔵省は1991年8月の損失補填事件以来どのような指導・監督をしてきたのだろうか。2月4日の衆院大蔵委員会で、大蔵省の松野允彦元証券局長は損失事件があった当時、山一証券から「飛ばし取引に関する相談があった」ことを認めた。

日本経済新聞が先週1月30日金曜日の朝刊1面で「山一の損失簿外処理は大蔵省が指導」とスクープしたことが国会証言の背景にある。記事では「指導は91年12月と92年1月に松野証券局長(当時)から三木淳夫副社長にあった」としている。松野氏は「相談があった」とし、日経の記事は「指導があった」と書いた。密室での会話は水掛け論に終わりかねない。百歩譲って「相談」があって、「止めろ」と言われなければ、山一側が「お墨付きを得た」と考えるのは当然である。大蔵省の指導は「言葉」に表現されないことも多い。次のエピソードはそうした大蔵省と証券会社との暗黙の関係を物語っている。国会証言では、大蔵省は「事実」を語り、山一側は「真実」を語っているのだ。

●大蔵省の”ささやき”は絶対命令である●

1987年10月19日、ニューヨーク株式市場の暴落に端を発したブラックマンデーは、日本市場にも深刻な影響をもたらした。ダウ工業30種は1日で508ドル安の1738ドルまで売られた。翌20日の東京市場は3836円安の2万1910円まで下げた。この時、NTTの株価がおかしな動きをした。日本経済新聞の10月21日付朝刊の株価欄では次のように伝えた。

「NTTの株価はめまぐるしかった。前場約2万株の売り物を残したが、後場は前日比22万円安の269万円を付けた後、一転買い気配に。証券会社の自己売買部門と事業法人とみられる買いが5000株入った。

」。半数以上の株に値が付かず、値が付いた753銘柄のうち569銘柄までがストップ安になっていた時、NTTにはなぞの買い注文が入っていたのだ。

翌21日にNTTの株価は24万円高となり、1日でブラックマンデー前の株価を回復した。NTTは1カ月先に1株255万円での第2次売り出しを控えていた。株価を255万円以下にするわけにはいかなかった。第1次は119万円だったが、瞬く間に株価が急騰、一時300万円台をつけたこともあった。ここまで書けば、何が起きたのか、賢明な萬晩報の読者は分かっていただけたと思う。

後から聞こえてきた話は、ブラックマンデーの日本では20日の昼時、大蔵省から野村証券の役員に電話が入り『NTTの株価はどうなの』と言ってきたということである。大蔵省幹部のささやきは万能である。「何をどうしろ」とは決して言わない。しかし、証券会社のMOF担(大蔵省担当)役員は、大蔵省からの電話で意味するところが分かった。ただちに自己売買部門に「NTTへの買い」を指令した。

金融・証券の幹部の遺伝子DNAには「大蔵省のささやきは絶対命令である」との回路がたたき込まれているのだ。たとえブラックマンデーのような市場の底が抜けようとする事態にもである。