執筆者:伴 武澄【共同通信社経済部】

(Kyodo Weekly 1月26日号掲載)
昨年7月の中国への返還をはさんで盛り上がった香港経済は、東南アジア通貨危機の影響で揺らぎ始めた。株価と不動産はピーク時比で20%下落、米ドルとのペッグを維持しようとする香港政庁と市場との綱引きがかつてなく強まっている。
12日には東南アジア最大の証券会社であるペレグリン・インベストメントが事実上倒産、大手不動産の一角のサイノランドは経営危機の噂を背景に証券市場で大きく売られた。好決算を誇っていたキャセイ・パシフック航空も730人にも及ぶ大リストラ策を発表、観光業にもようやくアジア通貨危機が波及し始めた。
●バブル精算に向かうサイノランド●

1月の第3週、香港の不動産大手の一角であるサイノランドの株価が倒産の噂を背景に45%下落し、香港株全体の足を引っ張った。15日、会見した同社役員のマイケル・チャン氏は「経営状態は良好である。倒産などは根も葉もない噂である」と経営不安をきっぱり否定した。
チャン氏は「旧正月後のマンション販売で20億香港ドルの売り上げが見込まれ、数億ドルの短期借入金の返済には十分対応できる」との展望も示したが、親会社のチムサツイ・ペロパティーズ株は34%下がるなど売りはグループ全体に広がった。
サイノは、シンガポールの華僑一族が経営する香港拠点の不動産会社、チムサツイ・ペロパティーズの子会社。80年代の不動産不況時に仕掛けた大量の土地取得が、その後の経営基盤を形成したが、93年からの地価高騰後の積極的な土地取得がその後の経営を圧迫、96年から赤字経営に陥っていた。
香港の不動産市場は昨年11月以降、サイノランドを含めヘンダーソンランドや長江実業など大手デベロッパーは相次いでマンションの大幅値下げを実施、高級物件を中心に投売り的様相を呈している。しかし、サイノランド以外にはまだ大手の経営難は伝えられていない。長江実業などは過去の蓄積である内部留保の厚さに支えられており、金融関係者も「香港はこれまで何度も似たような不動産不況を経験してきた。これくらいの価格下落ではびくともしない」との強気の見方が多い。
しかし、香港資本は旧来から東南アジア市場と金融面で密接なつながりを持っており、アジアの資金調達の場としての機能を果たしてきただけに、いつまでも長引くアジア通貨危機の埒外にいられるはずがない。
そうした中で注目を集めたのが、ホープウェルによる「不動産開発への復帰」を宣言だ。この10年間、不動産取り引きから手を引き東南アジアや中国での高速道路や鉄道事業などのインフラ投資を進めてきた。今や底値と判断した華僑資本らしい機敏な動きとの受け止め方もあるが、不動産をめぐる香港での思惑はさまざまだ。
●リンケージ懸念させるペレグリン倒産●

大手証券のペレグリン・インベストメントは1月12日、清算に向けて法的措置を開始したと発表した。日本を除くアジア最大の証券会社で、昨年末まで倒産を予想したものはほとんどなかった。
プレグリンの倒産の直接的な引き金は、インドネシアの運輸会社ステディーセーフ社への2億6000万ドルに及ぶ貸し付けの焦げつきだった。東南アジアでの金融破たんが香港に波及した初めてのケースで通貨危機の中で香港だけが安泰ではいられないことを世界の金融関係者に知らしめた。また、同社は中国企業の香港上場で中心的な役割を果たしてきただけに中国でも大きなショックとして伝えられた。
同社の危機は突然やってきた、これまで有力な後ろ盾だった米ファースト・シカゴ・インターナショナル・フィナンスとスイスのチューリッヒ・センター・インベストメントがペレグリンへの融資を突如、中止した。インドネシア通貨であるルピー下落が泥沼的様相を呈してきたことが背景にあるというのがもっぱらの見方である。
1月9日、香港政庁は同社に対して営業停止を命じた。今後、東南アジア発の香港企業倒産に注意を払う必要が出てきたということが言えそうだ。

●加速する外国人の香港観光離れ●

香港を訪れる外国人観光客は昨年5月までは前年同月比10%前後の勢いで増えつづけてきたが、7月は前年同月比35%、8月以降も20%を超える減少が続いている。
香港には毎年1200万人の観光客が訪れ、135億香港ドルを稼ぎだしてきた。その収入はGDPの8%を占め、雇用の12%を支えてきた。返還前の香港を見ようと外国人が押し掛けた96年の反動に加え、アジア通貨危機後のアジア諸国の外国旅行自粛が大きく影響している。
経済危機に瀕している韓国からの旅行客が激減し、一番お金を落としてきた日本人観光客はホテルなどによる日本人への割増料金が発覚して香港にそっぽを向いた。
キャセイ航空は昨年11月、海外からの航空運賃をほぼ半額にする大キャンペーンを張ったが、運悪くにわとりの新型インヘルエンザ騒動に巻き込まれてキャンセルの山を作った。香港観光業協会によると、香港政庁に認可された1260の観光業者のうち、400社が経営難に陥っている。
人口630人で製造業をほとんど持たない香港は金融や観光などサービス業で生計を立てており、アジア通貨の下落で相対的に高くなった香港ドルはサービス業の成長に大きな障害となってきたようだ。特に返還以後は植民地的なエギゾチズムは失われ、ショッピングやグルメの楽しみの場としての香港は急速に魅力を失っている。
●いつまで続く米ドルペッグ制●

香港のもう一つの懸案は、香港ドルの対米ドルペッグがいつまで続けられるかという問題である。ドルペッグ制は、1983年に起きた通貨危機を教訓に、同年10月から1米ドル=7.8香港ドルに固定した制度。香港上海銀行など3行が香港ドル紙幣を発行しているが、これらの銀行が紙幣を発行する際に同価値の米ドルを香港金融管理局に拠出しなければならない。
つまり、香港では流通している紙幣と同じ量の米ドルの備えがあるということ。香港は、800億ドルを超える外貨準備を保有する有数の米ドル保有国。現在流通している香港ドルは百数十億米ドル。流通量の7倍以上の外貨準備をもっていることが、香港の強みとなっている。
これに中国の1300億ドルの外貨準備を加えれば「どんな香港ドル売りにも対応できる」というのが金融当局の自信となっている。
香港の米ドルペッグ制は、通貨安定を図れる大きなメリットがある半面、自由に市場金利を操作できないという不具合があるだけでなく、大幅に下落したアジア通貨との不整合も問題となる。
いまのところ、通貨当局は「ペッグ制を維持するコストより放棄するコストが上回る」ことを再三にわたり表明している。しかし、市場では返還の一周年を前後に香港も変動相場制への移行が余儀なくされるとの見方は消えていない。(了)